19 狩人と逃亡者

19-1

「院長せんせー、お休み下さいな」

「いつからいつまで?」

「来週。木曜から日曜まで」

「どうして?」

「出身校から特別講演とか言うのを頼まれちゃいましたぁ。カリフォルニアまで行ってきます」

「はいよ。シフトはまあ、適当に組んどいてくれればいいや」

「ほーい!」




 こんなざっくりした会話があって、塩野は今、カリフォルニアにいる。出身大学からの要請というよりは、ゼミの先輩からの頼みで来たという面の方が強いだろう。

 いや、頼みというのは正確ではない。本来ならば先輩に依頼された講演であるはず。先輩に先約があったから自分にお鉢が回ってきただけ。どうしても外せない用事があるのだと懇願されては断れない。この、扶桑という人に対して自分は弱いところがある。ゼミにいた頃、さんざん世話になったからだろうか。それとも、同じ日本人仲間だったから? その割には、日本人仲間だったはずの高帆に対して、自分の態度は随分悪かったなと少し反省する。

 扶桑先生は有名人だから、いつも忙しそうだ。だから今回の件も仕方ないのだろう。ああ、自分はそんな立場にならなくて良かったな、などと思うのはいささか意地悪だろうか。のんびりが自分には合っている。その話題を出すと扶桑は必ず「国連職員だったくせに」なんて言う。それは昔の話だ。むかしむかしの、おとぎばなし。

 渡米ついでに妻のエリザベスも帰省している。子供達の顔を彼女の実家に見せに来るのはどれくらいぶりだろう。芹香せりか香蓮かれんも大はしゃぎしていたが、はしゃいでいた理由はもしかしたら、学校を休めるからなのかもしれない。我が家の双子ももう九歳だ、大きくなるのはあっという間である。


 久しぶりに歩く大学構内は昔と変わっておらず、塩野は妙な感覚に包まれた。学生の頃に戻ったようだ。そんな場所に講演をしに来るというのも、また奇妙な感覚だ。

 講演と言ってもごく「妥当」な内容のものである。その後に「妥当でない」講演を妥当でない講座でこっそりと行う予定だ。自分が顔を出していたゼミは今だ健在で、どんな学生がいるのか楽しみである。


 講演は大学創立百何周年だかなんだかというイベントの一環だった。自分以外にも卒業生が呼ばれ、それぞれの分野におけるご高説を一発。大きな講堂には沢山の生徒や教員が詰めかけ、なかなかの盛況ぶりを見せている。

 塩野は特に緊張もせず、講壇に立った。実は何を喋るか全くの無計画でここまでやってきてしまったのだが、まあ妥当なことしか喋らないのだから適当でなんとかなるだろう。それっぽいことをそれっぽく喋るのは十八番だ。嘘ではない範囲であるから問題もなかろう。臨床の現場における精神疾患のなんちゃらとかどうちゃらとか、その辺でお茶を濁せばよろしい。

 にこやかに笑顔を振りまきながら、塩野は軽快に喋り始めた。




 その講堂の外。ほとんどの人間が中にいるというのに、たった一人、ドアの付近でうろついている青年がいた。挙動は落ち着かず、呼吸は荒い。キャップの上からパーカーのフードを目深に被り、手はポケットの中に突っ込んだまま。

 しばらくして何か意を決したようにドアを睨みつけると、取っ手に手を掛けた。

 しかし。


「よう、そんな顔してどうした」


 ぽん、と何者かに背中を叩かれた。

 咄嗟に男の取った行動は、振り向かないまま左肘を背後に突き出すというものだった。その行動に一切迷いはない。先程までの挙動不審ぶりが嘘のようだ。

 が、背後の人物は平然と対処してみせた。左肘を掴んで捻り上げ、同時に足払いを掛けて床に押し倒す。すかさず片膝を男の背中に乗せて動きを封じる。捻り上げた左肘はそのままに、空いた片手でパーカーの内側を探ると、掴み出したのは一丁の拳銃。


「おいおい、大学にこんなもんは必要ないだろう? 何をする気だった」

「うるせえ! 離せ! 畜生、離せって言ってんだろクソが!」


 組み伏せられた体勢から無理矢理顔を捻って見上げると、そこには長い金髪を一つに束ねた青年がいた。薄い笑みを浮かべてはいるが、その視線は酷薄そのものである。整った顔立ちと相まって尚更、その冷たさは増した。

 金髪の男は奪い取った拳銃を頭に突き付けると、ハンマーを起こす。


「何を計画していたのか話すだけでいいんだ。簡単なことだろう」

「な、中にいる奴等を全員ぶっ殺してやるんだよ。気に食わねぇインテリ面した奴らをよぉ!」

「……違うな」


 声が低くなって、銃口はより強く突き付けられる。


「お前の動きは訓練されたものだ、学生のものじゃない。筋肉の付き方もそうだ。銃や服装はそれなりに整えてきたようだが、誤魔化しきれない箇所が多すぎる。何が目的だ」


 若い男の顔付きが変わった。落ち着きなく視線を動かしていたのがおさまり、錯乱していたような表情は理知的なものになる。これ以上偽っても意味は無いとすぐに悟る辺り、ただのチンピラではないことが分かる。


「……お前がそれを知ってどうする」

「止めるのさ、それが仕事だからな。一応名乗っておこう、ニューヨーク市認可の賞金稼ぎバウンティハンターだ」

「わざわざカリフォルニアまで来るとはご苦労なことだな」

「お前みたいなのがいなければ、今頃マンハッタンで呑気にドーナツでも食ってたよ。さあ、これ以上ゴネても仕方ないだろ。洗いざらい話せ」


 喋っている間、男は拘束を逃れようと藻掻き続けていた。が、藻掻けば藻掻くほど余計に身動きは取れなくなる一方だ。それでも男はどこか余裕があった。その余裕が、気になる。嫌な予感がする。


「もう遅い。狩りは始まった。貴様、賞金目当てではないのだろう? 我々の標的が誰なのかも、知っているのだろう? ならばもう遅い。貴様も、この瞬間から獲物だ。追われる側だ」


 顔には気味の悪い笑みが張り付いていた。金髪の男は舌打ちをひとつ。この相手から搾り取れる情報は無いと悟ったからだ。出来ない訳ではなかろうが、その時間が勿体無い。

 背中を押さえている膝に体重をかける。容赦無く相手の肺を圧迫する。そのまましばらく待てば、あっさりと気を失った。

 素早く手足を紐で拘束し、建物の隅に引きずって運ぶ。物陰で相手のだぶついたパーカーを広げてみれば、出るわ出るわ、大量の弾倉にバタフライナイフまである。


「クッソ、何だこりゃ。倉庫か何かか」


 その全てを没収し、さらに猿ぐつわまで噛ませると男を茂みに放り込む。足早に出入り口まで戻ると、静かにドアを開けた。


 中ではまだ塩野が講演を続けていた。何を言ったのかは知らないが、会場中が笑い声に包まれている。観客達の意識は完全に塩野へと引っ張られていた。おかげさまで、その流れに逆らう人間がよく分かる。

 笑っていない人間が一人。他の人間は肩を揺らして大声で笑っているというのに、たった一人だけ微動だにしない。


 片隅に佇むその人物にゆっくりと接近する。あまり若くはない男だということが、近付くにつれ分かる。屋内だというのにロングコートを着込んだまま。席に座れないわけではないのに立ったまま。

 金髪の男は歩みを止めた。近距離まで接近してはいない、正面から相手を見たわけでもない。それなのに、彼は不審な男の正体を悟ったのだ。

 斜めの角度から見える、その男の特徴。忘れるものか。右頬に走るその傷を、口元に浮かべる薄笑いを。


 二名の間だけ、まるで時が止まっているようだった。塩野の講演内容も、観客達の盛り上がりも、この空間を支配しているはずの全てが彼等の間では凍りついている。切り取られ隔離された両者の、鋭い視線が真正面から火花を散らしてぶつかり合った。


「……クリストファー・ボーグナイン!」


 金髪の男から漏れる、呻き声。傷の男は返事の代わりにただ笑ってみせた。観客の笑い声に紛れて互いの声は聞こえない。だが、何を言っているのかは手に取るように分かる。


「さあ、始めようか。この時を楽しみにしていた」


 明確な挑発の言葉。一年前、客船で言われた、あの言葉の続き。

 同時に塩野の講演が終わる。観客は皆立ち上がり、一斉に万雷の拍手を送る。鳴り止まぬ拍手と喝采の中、金髪の青年は気付いてしまった。もうひとつ、息が詰まりそうなほどの殺意。その殺意は背後から聞こえる音で出来ていた。扉を開く音、そして、銃のスライドを動かす音だ。

 傷の男は笑う。笑う。

 金髪の青年は傷の男に背を向け走り出した。


「頑張ってくれたまえよ」


 背中に投げつけられた台詞を振り払って青年は全力で走る。数歩分の距離を瞬く間に詰めると、闖入者が気付くよりも速く右手首を掴んだ。内側に捻り上げ、ほぼ同時に拳銃を奪い取り、そのまま体を壁に押し付ける。奪った拳銃を胸元に突き付け、元いた場所に振り向けばもう傷の男はいない。


 青年は少し目を細め、男のいた空間を睨んだ。


「……狩人のつもりか」


 鳴り止まない拍手の中に、言葉は溶けて消えた。

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