17-2

 精肉コーナーから横に入り、小麦粉を探す網屋。探しながら、彼はみさきに問う。


「相手ってどういう人? あ、話したくないならいいけども」

「全然問題無いですよ。えと、一人暮らしが長い人で、いつも食事はコンビニのお弁当か外食で済ませていたみたいです」

「出た、典型的な独身男だ!」

「そうなんですよねぇ。自炊は全くしない方なので、せめて一食だけでもと思ってお弁当作ってるんですけど……じゃあ、お夕飯はどうなっているんだろうと思うと、心配になってしまって」

「ああー、なるほど。もう、そういうレベルの心配か」

「もちろん下心もありますよ、ちゃんと!」


 今度はみさきの方が握り拳を作って力説してみせる。

 が、網屋はそれをほとんど信じていなかった。食事の心配をしてしまう「オカンスイッチ」が一度入ってしまえば、脳内に巣食うオカンはそう簡単に退いてはくれないからだ。老若男女に限らず、この「オカンスイッチ」がオンになった人々を嫌というほど見ているし、何より自分自身がそうなっている。下心は多分、後からおまけのように付いてきているのだ。

 案の定、みさきの抱く不安は恋愛要素というよりも、もっと実務的な部分であった。


「いつもお弁当しか作っていないので、こう、自炊ならではと言うか、お弁当ではなかなかできないことをしたいんです」


 現場レベルの相談。これならば「モテナイ村の鬼門番」を自称する網屋でも答えることができる。内心、これでいいのかと疑問が頭をもたげるが、そいつは放置することに決めた。


「弁当ではできないこと、かあ……汁物とか、作りたてとか、その辺になるよな」

「ですよね。作りたて、焼きたて、揚げたて……うーんどうしよう、主菜から組み立てていかないと……」

「ちょっと待ったあああああ!」


 突然の制止に驚いて立ち止まるみさき。鰹節お得パックを持ったまま叫んだ網屋は、それはそれはもう鬼気迫る顔をしていた。


「主菜、つったね?」

「は、はい」

「白米ありきで考えた?」

「え、あ、はい。お米を炊いて……」

「甘い! 一人暮らしの男を舐めちゃいかん!」


 鰹節パックが破裂しそうなほどに力を込めて、彼は高らかにこう、言い切った。


「炊飯器、無いかもしれないぞ!」

「…………え?」

「だってさ、今までコンビニ弁当で済ませてきたような人なんでしょ。可能性高いよ、かなり」


 みさきは思い起こす。目澤が自宅で白米を炊いた形跡はあっただろうか。脂汗がたらり、額を流れた。


「可能性を、否定……できないです……」

「だろー? ちなみに相田の部屋、炊飯器はあったが、それ以外は小さな雪平鍋が一つだけだった。袋ラーメン用だな」

「ひとつだけ!」


 みさきの口からほぼ悲鳴。目澤宅は違う、と言うことはできない。いや、それより酷いかもしれない。


「醤油とソースはあったがみりんは無し。料理用の酒も無し。塩は食卓用の小さいボトルのみ。砂糖に至ってはコーヒー用のグラニュー糖だけだ」


 自炊をほとんどしないなら、それだけで事足りてしまうのだ。彼女はまた頭を抱えてしまった。


「米ありき、っていうのは没にしておいた方が良いと思う。もしくは、そうだなあ、鍋使ってパエリアとかリゾットとか。土鍋ありゃあそいつで炊けるんだが、期待はできないな」


 網屋の言葉通り、土鍋の存在も考えにくい。こうなると、作る物はおのずと限られてくる。

 悩みに悩んだみさきの口から出た言葉は「麺類」であった。


「麺類、ですよね。確実性があるのは」

「ま、そうなるわな。パスタ、うどん、そば、ラーメン、冷やし中華なんてのもアリじゃないかな。あっちいからねえ」


 暑いと言うのも当然だ、現在七月末。K市の駅前が毎日のようにニュース画面にお目見えし、関東の最高気温がどうのこうのと喧伝される季節である。

 故に、冷たいものを作るという手もあった。これはぜひ考慮しておきたい部分である。


 みさきは唸った。具体的に「うーん」と唸った。腕を組み、解いて、今度は顎に指を添え、しばらく唸り続け、そして突然「そうだ!」と小さく叫んだ。


「ざる天うどん……!」


 ざるうどんに、天ぷら。これならば暑いこの季節に冷たいものという条件と、出来立てを出すという条件、さらには汁物という条件を満たす。

 そして、前に目澤が「うどんが好き」と言っていたのを思い出したのだ。


「すげえ、加納さん冴えてるな! 上手くやれば鍋ひとつでなんとかなるね。深手のフライパンの方が汎用性高いか」

「フライパンだったら、確かここで売ってましたよね」

「うん、あるね。先に麺つゆ作って、冷やしてる間に麺茹でて天ぷら揚げりゃいいんだもんなあ。そうと決まれば材料材料」


 現在地に近い所から鰹節、昆布、小麦粉、うどん乾麺、醤油、みりんと揃えてゆく。再び野菜コーナーに戻って、とりあえず入れるのはやはりナスだ。他にも夏野菜を幾つか、玉ねぎも入れ、大葉を手に取って少し悩む。


「うーん、二人分と考えると多いんですよね、この量」


 大葉は十枚ワンセットで販売されていた。一人に対し二枚も揚げれば十分なので、どうしても余る。


「だったら、残ったのは弁当のおかずにしちゃえば? ささ身の梅シソ巻きフライとか、あとはホラ、前に俺さ、おにぎり握ってサークルに持ってったでしょ」

「ああ、あの時のおにぎり! 大葉とハムとチーズの」

「それそれ。早い段階で消費できるよ」


 大葉もかごの中に入れると、もう一度精肉コーナーへ。鶏のささ身を多めに入れた。鶏天と弁当の分だ。

 念の為に深手のフライパンとそば猪口を二つ、プラスチック製のボウルセットも入れ、これで買い物は終了だ。



 会計を済ませ、スーパーを出る。

 出入口のカート置き場は随分と散らかっていた。稀にではあるが、きちんと片付けない人間が一台適当に放置することがある。すると、連鎖反応が起こって散らかり放題になるのだ。今日はたまたまその日であったようで、カートもかごも散乱していた。

 が、一人の子供が黙々とそれらを片付けていた。親はまだ買い物袋に商品を詰めている最中で、時折様子をうかがっては整頓に勤しんでいる。

 網屋は彼の邪魔にならぬようカートを端の列に片付けると、少年の頭を撫でた。


「偉いぞ少年、いい仕事だ」


 網屋の癖なのだ、とみさきは気付いた。相田だろうが小学生だろうが、誰彼構わず頭を撫でるその仕草。

 初めて会った時も、相田の頭を撫でていた。それを受ける相田も慣れた様子であったので、きっと昔からなのだ。

 みさきも少年に笑いかけた。


「いい子だね。お母さんのそばにいなくて大丈夫? 心配してるんじゃないのかな」

「大丈夫。お母さんに、片付けてくるって言ったの」

「そっか、じゃあ平気だね。お片付けしてくれてありがとう」


 少年は少し顔を赤らめて笑った。母親の作業が終わったことに気付くと、「バイバイ」と言って去ってゆく。店舗の入口付近で「お兄さんとお姉さんにほめてもらった」と、遠く声が聞こえた。


「……さぁて! 我々も自分の仕事に戻りますか」


 網屋の言葉で我に返る。やらなければならないことは山積み、これからが本番なのだ。


「網屋さん、今日はありがとうございました。助かりました」

「いえいえ、大層なことはしてないよ。頑張れ、胃袋を鷲掴みにしてこい!」


 彼のリアクションは掴むというより握り潰すと言った方が良い。だが、みさき自身はそれくらいのつもりであったので間違いではなかった。


 網屋の車が駐車場から出て行くのを見送って、みさきは気合を入れ直す。


「よし、やるぞ!」


 己の頬を軽く叩いて、鼻息も荒くスマートフォンを取り出した。目澤の番号はもう探すまでもない。

 コール音を聞いている間、心臓は早鐘の如く鳴り続ける。一回、二回、三回、四回。


『もしもし』


 低い声が耳に届く。いつ聞いても、ドキドキする。


「か、か、加納です」


 噛んだ上に声がひっくり返った。あまりの挙動不審ぶりに青くなるが、目澤は気にしてはいないらしい。普通に返答してくる。


『はい、こんばんは。今日はどうしたの?』

「あ、あの、これから、お時間ありますか……?」

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