10-3

 散々飲んで食って、目澤が飲む生酒の瓶が座卓の端にずらりと並んでようやく宴はお開きとなった。一直線に並べる必要は果たしてあったのか。


 中川路は相田に車の鍵を渡し、相田は「車、回してきます」と最初に出て行った。中川路に金を渡した目澤と塩野も、早々に靴を履いて出てゆく。

 網屋はつい、いつもの癖で皿を重ねてしまう。骨やらゴミやらはひとつにまとめ、コップから何から全て座卓の端に移動させてからようやく席を立った。ここまでやらないとどうにもスッキリしない。

 座敷を出てショートブーツを履きながら、店の奥にあるレジ前に移動した中川路を目で追う。すると、左の座敷から見覚えのある人物が出てきたことに気が付いた。


「あれ、神流さん?」


 赤褐色の長い髪。すらりと伸びた四肢。意志の強そうな視線と目が合う。


「あー、網屋さん。お久しぶりです。いや、そんなお久しぶりって程でもないかな」


 つい先日、早朝から押しかけて散々迷惑を掛けた「グリズリーコーヒー」の神流椿は、そう言って微笑んだ。


「この前はすみませんでした。開店前から……」

「いえいえ。ざっくり営業なので問題無いですよ」


 椿が最後まで言い切らないうちに、店の扉が開いて客が入ってくる。網屋と椿がいる位置はまさにその玄関口であるので、足を引っ込めたり身を縮めたりと大変だ。


「とりあえず出ないと、ですね」

「そだね」


 外は当然、もう暗い。風はなく、僅かに蒸し暑い。

 駐車場に向かう相田と、その後を追う目澤と塩野。さらにそれを追う、網屋と椿。


「それにしても、神流さんとこんな所でお会いするとは」

「あ、椿でいいですよ。苗字だと何て言うか、名前なんだか苗字なんだか分からなくなってきちゃって」

「なるほどそう来たか。じゃあえっと、椿さんはここへ一人で?」


 相田が中川路の車に乗り込み、エンジンを回す。タイヤが砂利を踏む音。


「そうですね。ちょっといいことがあったので、お祝いと言うか、うーん……自分への褒美です。女子っぽく言うと」

「ご褒美かぁー。確かにここ、ご褒美レベルだもんな」

「網屋さんは?」

「俺は、お世話になってる人に奢ってもらって。恥ずかしながら、今日初めてここ知りました」


 ゆっくりと車がやってきて、駐車場と店舗の中間で停まる。目澤と塩野が後部座席に乗り込み、網屋は横を通りすぎて駐車場へ。

 椿に気付く相田。窓を開けて声をかける。


「椿じゃん。どしたこんなことで」

「ご飯食べに来た」

「なんだ、だったらお前にもメシたかれば良かった」

「ざっけんな相田」


 引き戸が開いて、会計を終えた中川路が出てくる。のれんを手で退けて、車の方に顔を向けた。後ろ手に引き戸を閉め、道へ一歩踏み出す。


 その時だ。


 黒い影が、中川路を取り囲んだ。現れた時の速度のまま中川路の口を塞ぎ、一人が上半身を、もう一人が膝の辺りを抱え込む。そのまま中川路を横に抱え上げると、すぐ側に駐めてあった車のトランクへ放り込んだ。黒い影が素早く座席に乗り込むとドアが閉まり、車は緩やかな坂を登って旧道へ出る。

 この間、数秒。中川路は声を上げる事もできないままこの場から姿を消した。


 瞬間的に実行された誘拐劇に、その場にいた全員が思考停止する。が、網屋がそれを打ち破った。


「相田、追え!」


 鋭い声が空気を破る。


「……はい!」


 相田は疑問を差し挟まない。迷い無くギアを入れた。エンジンが加速の咆哮を上げる。赤い車は目澤と塩野を乗せたまま坂を駆け上がり右へと消えていった。

 後に残された網屋と椿。何が起こっているのか分からない状態のであるのは、呆然としている椿の顔を見れば分かった。

 椿に声をかけようとする網屋だったが、電話の呼出音が言葉を遮る。迷いもせずに出た。当然、掛けてきたのは医師達の一人、塩野である。


『もしもし網屋君っ』

「先生、どんな状況ですか」

『旧道をそのまま西へ真っ直ぐ移動中』


 車の中の塩野は、身を乗り出して前方を見つめる。一つでも情報が欲しかった。相手の車のナンバー、県内ではない。走行の仕方、躊躇いはなく速い、ただし横道にそれる気もない。窓はスモークでよく見えず、正確な人数は分からないが最低でも運転手を含めて四人以上。車体は清掃されているか否か、整備された車であるかどうか、タイヤの沈み方はどれほどか、車種は何か……


 見逃すな。塩野は口の中だけで呟く。何一つ見逃すな。飾られた絵を見ようとして、それに近寄ってはいけない。額縁、壁、部屋という空間そのもの全てが、絵のために用意された鍵なのだから。

 点を繋ぎ合わせる。確実に繋がる点だけを、出来る限り速く。正確に。


 正解は、思っていたよりも簡単に出た。


『そうだ、インターだ! 花園インターチェンジに向かってる!』


 藤巴から西に六キロ余り。最も近いインターチェンジである。網屋の顔がますます険しくなる。


「インターに入られると厄介ですね。それまでにケリを付けます。車種とナンバーは?」


 自分の車に向かいながら最低限の情報を聞く。一人で運転と対応をこなさなければならないが、不平不満を言っていられる状況ではない。やれることを、できるだけやらねばならない。時間もない。

 インターに入られるとますます追いにくくなるが、最悪の事態も想定しなければならないだろう。念の為に弾倉を多めに持ってきておいて正解だった。後部座席に重火器系も積んでおいたはずだと、ドアを開けて確認しようとしたが。


 突如、二の腕を強い力で掴まれた。

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