10-2


 ふと、相田と塩野の目が合った。


「あのね」


 塩野はそう言って、次に、その場にいる全員の顔を順繰りに見て、


「相田君にさ、大まかでもいいから事情説明しておかないとマズくない?」


 と少し首を傾げてみせた。目澤は黙って頷き、中川路も「それもそうだな」と返す。


「さて、どこからどう言ったもんか……ええと、俺ら三人とも、研究員やってる頃があってね。何年前だったっけ?」

「まだギリ二十代だったから、えーと、十一年前まで」

「そんなもんか。その頃の研究員仲間がどんどん殺されてるんだ。で、今狙われてるのが俺らです。警護をお願いしているのが網屋君です」

「乱暴な説明だなぁオイ」

「うるさいよ目澤うるさい。これ以上の説明無いだろ」


 引き戸が開いて運び込まれる刺身の皿を、まるで従業員のように受け取って机に並べる中川路。その行動も、話す内容も、全てが「普通」の延長上にある。


「あまり詳しくも話せないし、話すとしても長くなるし」


 その内容が気になるが、目の前にある刺身も猛烈に気になる相田である。恐ろしく分厚いそれは、キラキラと光り輝いて宝石のようだ。相田にとっては。

 その熱視線に気付き、中川路は皿を相田の前へ押し出した。


「食べなー。うまいよ」


 気が付いている。中川路は、この感情が何なのか分かっている。

 餌付けだ。

 餌を待っている犬に、ほらたんとお食べと差し出す気持ちだ。


「いただきます!」


 きちんと手を合わせ、割り箸を割る時の期待に満ちた表情と言ったら。

 一方網屋は、刺身の切り口を凝視していた。大トロだろうがエンガワだろうが、凄まじいエッジでカットされているのだから、包丁を握ったことのある人間ならその恐ろしさが分かろうというものだ。


 更にタコの天ぷらもやってくる。刺身とツマを食べて黙りこくっていた網屋が、タコ天を口にした途端に呻き声を上げた。


「これ……これ、刺身用のタコを揚げてる……!」


 タコと聞くと硬い食感を想像しがちである。が、これは火が通っているにも関わらず柔らかいのだ。かと言って、生のままの噛みきれない柔らかさとはまるで違う。さくりと歯が通る。


「海無し県の更に端で、これだけの魚介を食えるとは……一体ここ、何なんですか」

「銀座で修行した大将が、地元で店を開くとこうなる」

「ぎんざ!」


 網屋の口から半分ほど裏返った声が出る。


「道理でツマまでやけに旨いわけだ」


 絶妙な量のツマは、刺身を食べ終えるとほぼ同時に無くなる。完璧な計算に基づく非の打ち所のない配分に驚いている所へ、今度はアジフライとゲソ揚げが大皿に乗って同時攻撃を仕掛けてきた。


「フライはね、最初は何も付けずに食べると良いよ」


 目澤はそう言って、指でアジフライをつまんでしまう。


「あとは塩がオススメ」

「目澤、高血圧で死ぬぞ。ただでさえ塩で酒飲んでるんだから」

「内科部長さんの健康指導受けているから大丈夫だよ」

「コンビニ弁当マンが何言ってんだか!」

「でもー、昼食だけはリッチだぬ」


 アジフライをつまむ手が止まる。ニヤニヤしている塩野と中川路。


「リッチだぬ」

「うらやましい限りだなぁ。幸せ者だね、目澤先生」

「……そうだぞ。悪いか」

「悪いね!」

「極悪だ!」

「お前ら本当に容赦無いな」


 極力、他愛無い話をする。相田と網屋がここに到着するまでの時間に、彼等が何を話したのかは二人には分からない。きっと後悔と、反省と、色々なものが渦巻いていたのだろう。

 だが、今はその時間ではない。飲んで、食べて、相手が生きていた時と同じように過ごすこと。彼等に出来る弔いはそれしか無い。


 ゲソ揚げの柔らかさと異様な旨さに感動している若者二人を眺めて、中年三人は笑う。かつての己を重ねて。

 死んでしまった仲間にもこんな頃があった。若さがあり、これからの人生があり、希望とか夢とか、あるいは野望であるとか、そんなものが混在して、愛だの友情だの仲間だの家族だの、そう、ありとあらゆる可能性があったはずだ。


 それらは全て絶たれた。道の先は年をとった後にも続いていたはずだ。日常を積み重ねてゆくにしても、新しい場所を切り拓くにしても。

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