08-2
で、その相田が吸い込まれるように入っていったのは中華料理店であった。
そこでシグルドは、迂闊にも「車で連れてってくれるんなら、昼飯奢るよ」と軽々しく口にしてしまった昨晩の己を徹底的に呪うこととなる。
ありがちなランチセット、おかずが選べるタイプのものを選んだまでは良かった。ごく妥当な油淋鶏やら麻婆豆腐やらだ。
で、相田が選んだのが。
「俺も昼セット、大餃子の八個で」
餃子の大きさはかなり大ぶりである。この時点で、正直言って相当の量なのだが。
「あと、単品で黒酢豚と、チャーシューレタス炒飯、デラックス担々麺の黒。えっと、あとは回鍋肉でお願いします」
しれっと注文してのけ、この後口走った台詞がこれだ。
「ま、少なめで」
シグルドの眉根が寄る。
「え? 少なめ?」
「お前さぁ、一昨日のコイツの食いっぷり見てなかったのかよ」
「あー、いや、でも。あれ? 白米はやたらと食ってるなぁ、とは、思ったけど」
「そうか、まともに見てなかったか。ならば目の当たりにするがいい、フードファイター相田雅之の恐ろしさを」
ここからが本番だった。まず真っ先にやってきたランチセットの餃子を、普通サイズの餃子かと言う速度で片付けテーブルの上にスペースを作る。次に来た担々麺(これまた予想以上の量の具が乗っている)を麺が伸びる前に攻略。この時点で、他の二名はまだ自分のランチを食べ終わってはいない。
これまた予想以上に塊という程大きく、予想以上に真っ黒という程黒い黒酢豚を手慣れた様子で切り分け、あっという間に完食。咀嚼していないわけではない。かと言ってがっついているわけでもない。淡々と、ごく普通に食べているはずなのに、消費速度がどこかおかしい。
担々麺のスープを汁物代わりに、炒飯と回鍋肉を平らげて完了。最初のランチセットについてきた白米とスープはいつの間にやら消えていた。
シグルドは思った。確かにこの相田雅之という人、選手時代の写真を漁ると、大抵が何かを食べているシーンだった。で、いつも何か食ってるなぁ程度の認識であったのだが、違う。そんな生易しいものではない。
「いつも何か食ってる」という言葉は、表現としては合っていたのだ。常に何がしか食っているが故に、拾い上げられる写真は食事風景ばかりであったのか、と。
「えっとさあ」
「なんじゃいシグルド之助」
「ブルックリンだったっけ、ホットドッグの大食い大会」
「早食い、な。早食い」
「あれ、出ればいいんじゃないのかなって思うんだよね。相田君さ」
冷たい水を一杯飲み干して、相田がにこやかに返す。
「俺、早食いは苦手なんで無理っすよー」
「いや十分早いよ? 凄く早いよ?」
「それに、時間制限系って食う量も限られるじゃないですか」
「え?! そういう問題だったの?」
に、しても。あれだけの量を平らげたはずなのに、相田はケロッとした顔をしている。シグルドは首を捻った。テーブルの上を埋め尽くしていた皿は幻だったのだろうか。
「相田君さ、まだ、食える? 食うんなら頼んでいいよ?」
「えっ、いいんですか」
網屋が何とも言えない顔になる。具体的に表現すると、警告を発しようと思ったが今更無駄だと気付いて止めた顔、だ。
「すいませーん、注文いいですかー。えと、高菜炒飯と、エビチリと、エビマヨと」
「エビ被り?!」
「並べて見たかったんですよね。あとはー、四川麻婆豆腐と、油淋鶏と、酸辣湯スープ。あっいけね、鉄鍋棒餃子も」
網屋は思い出す。ちょいと前に同じ光景を見たな、あれは先生方だったっけ。
相田は端から見る分にはごく普通の体型をしている。太っているわけでも筋骨隆々なわけでもない。食べ方も普通に見える。だからこそ、あっという間に目の前の食料が消えてゆく様が現実味を伴わないのだ。
相田の食いっぷりを初めて見た人間は大抵こうなる。本当にこの人は全部食べたのだろうかと、己の認識を疑い始める。
ガキンチョの頃からこうだった。相田がレースのために筋トレをしていたことも、ハードな練習やレースに相当のカロリーを消費していたことも、そして、多分今だに筋トレ癖が抜けていないことも、網屋は把握している。
それでも、おかしい量を食べていることには変わりはないし、網屋は相田に外食を奢ることは、無い。きっと多分、無い。
ちなみに、相田は外食で割り勘をすることは滅多に無い。割り勘になる時はさすがに量を「一般的」なところまで引き下げる。
さて。
怒涛の如く食べ、見事に完食してみせた相田は、祖父から受けた教育に従ってきちんと手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
テーブルにはすっかり綺麗になった皿の山。皿の向こうに、驚愕の視線を向けるシグルド。そのシグルドに、哀れみの視線を投げる網屋。
「俺さあ、昨日言ったよな? 相田にメシ奢ると、凄まじいことになるから止めておけって言ったよな?」
「……いいんです。ファンですから。いいんですぅ」
「お布施ってやつか。大変だなぁ」
会計の時に財布と睨めっこしていたのは秘密だ。
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