06 疾風と迅雷

06-1


 本日の夕飯は回鍋肉である。キッチンからはにんにくと生姜と、そして今、豚肉が焼ける匂い。


「先輩やべえ! 野菜いらないから肉だけ食いたい!」

「馬鹿! もうちょっとだから待て!」


 コンロ前には網屋。振るっているのはテフロン加工のフライパンではなく、立派な大きい鉄鍋だ。


「米よそっておけよ相田」

「アイアイサー!」


 炊飯器の横には既に茶碗が用意されている。相田の方は茶碗というより、丼であるが。


 網屋の運転手として働く対価としての「食事」。基本的には朝と晩の二食が相田に供される。

 網屋曰く、ある程度の量で作った方が最終的には節約になるし、料理もウマイ。相田には良く分からないが、まあ網屋がそう言うならそうなのだろう。


 そんな訳で、今日も網屋宅へお邪魔しての晩餐なのである。


 例の「契約」以降、今の所、医師達への襲撃は無い。すこぶる喜ばしいことなのだが、相田はタダ飯喰らい状態である。少し罪悪感が残るが、メシはありがたく頂く。

 食べるべき時に食べたいだけ食べる。食べたい時がゴハン時だ。


 キャベツが鉄鍋へと投入される。空っぽの胃袋に響く、野菜がじゅうと焼ける音。

 それと当時に、玄関チャイムの無粋な音。


「すまん相田、出てくれ! 手ぇ離せねえわ」

「アイサー」


 鍋を返す度に宙を舞う、キャベツと豚肉。完成寸前で手を止めさせるなどとんでもない。相田は一も二も無く玄関へ飛んで行った。

 宅配便か何かだろうと、迷いもせず鍵を開ける。「はーい」などと言いながら、ドアを全開にした。


 外にいたのは、一人の男性であった。

 どう見ても日本人ではない。白い肌、グレー掛かった青い瞳、プラチナブロンドの長い髪を一つに束ねている。

 そして、度肝を抜かれる程の色男だ。中川路も相当のものだが、こちらも凄い。コンビニへ行ってファッション雑誌を広げれば、彼の写真があるのではなかろうか。

 白のテーラードジャケットに濃紺のベストとスラックス、白のカットソーなんていう服を着こなしている人間なんて、相田は見たことが無い。白いジャケットなど、カレーがはねたら大変だ、位の印象と感想である。


「夜分遅く申し訳ありません。こちらは、網屋希さんのお宅でしょうか」


 そんな日本感全く無しの男性から、驚くほど流暢な日本語が飛び出す。

 思わず相田の口から「はい」と言葉が出るか出ないかというその瞬間であった。


「相田、伏せろ!」


 キッチンから怒号。思わず頭を抱えてしゃがみ込む。頭上を何かが風を切って飛び越え、ばしりと受け止める音。


「……おいおい、久しぶりに顔を見せたらこれか。酷い奴だなぁ」


 恐る恐る顔を上げると、男性の片手が未開封の粗塩の袋を掴んでいた。しかも、顔の目の前である。


「うるせえ! 帰れ!」


 網屋が怒鳴る。


「こっちはこれからメシなんだ! ドア開けっ放しにしてんじゃねえ、虫が入るだろうが、虫が……って帰れっつったろうが!」


 言うだけ言った挙句に放置して回鍋肉を盛り付けようとしていた網屋だったが、男性が平気な顔で中に入って来たのを見て、ようやく動きを止めた。


「お前ね、折角、兄弟子がはるばる海を越えて会いに来たんだから、もうちょっと歓迎しなさいよ」

「何でお前を歓迎せにゃならんのじゃ! ってか座るなボケ!」


 ダイニングテーブルに着き、小鉢に盛られたネギとメンマのラー油和えをつまむ男性。


「お、うまいうまい」

「つまむな! 減るだろ! 全く、何しに来たんだお前は」

「だから、可愛い弟分の顔を拝みに」

「嘘をつけ! そんな理由だったら、空から槍が降ってくるわい!」


 皿に盛り付けを終えて空になった鉄鍋を、これまた鉄製のお玉でガンガン叩きながら文句を言う網屋。

 そんな網屋を華麗に無視して、男性は相田に顔を向けた。


「騒々しくて申し訳ないね。初めまして、シグルド・エルヴァルソンという者です。よろしく」


 手を差し出されたので、素直に握手する。


「バーのステージなんかでサックス吹いてるので、良かったら聞きに来て下さい」


 確かに、彼の荷物に楽器のケースがある。さぞや絵になるのだろう、と思った矢先に網屋からの横槍が入る。


「表向きのやつはいらねぇよ。コイツ、知ってるから」


 少し驚いた顔になって、それからすぐに笑顔に戻る。しかし、先程までの爽やかな色男スマイルとは何かが違う。


「じゃあ、本業の方を。アメリカでバウンティハンターをやっています。賞金稼ぎってやつだね」

「有り体に言っちまえば、俺と同業だ」

「うわぁ分かりやすい」


 鉄鍋を洗い終えた網屋もソファーに座る。元来座るべき椅子にはシグルドがいるので、仕方無く小さなソファーをテーブルまで引きずっての対処だ。


「ホレ、前に話したろ。俺が弟子入りする話」

「あー……ああそうか、思い出した! ええと、佐嶋さんの所にいたお兄さん」

「そう。それがコイツ」

「どうりで名前、聞き覚えあると思った」


 当のシグルドは何をしているのかと言うと、右手に箸、左手に飯碗を持って満面の笑顔。


「おい、人のメシ勝手に食おうとしてんじゃねえ!」

「熱いものは熱いうちに食べないと。いただきます」

「いただきまーす」

「相田も便乗してないでコイツ止めろよ」


 相田は既に白米を頬張っていて、喋ることができない。シグルドはシグルドで取り皿に回鍋肉を山盛りにしていて、さらにこんなことまで言い出す始末。


「そうだ、ノゾミ、俺のスーツケース開けて。中に土産が入ってるから」

「自分で出せやぁ!」


 怒号をぶつけつつ、それでも律儀にスーツケースを開ける。中から取り出したのは二本のワイン瓶であった。赤と白、一本づつである。


「それに合うツマミ作って」

「なあ、兄弟子さんよ、オメーは俺を便利なメシ作りマッスィーンか何かだと思ってねぇか?つうかだな、突然そんなこと言われても材料無ぇよ」


 すると、シグルドはポケットから何かを取り出して網屋へ投げつけた。


「適当に買ってこい」


 正体は、財布である。一瞬、網屋は殺意の塊のような視線をシグルドに向けたが、財布の中身をしげしげと見つめると態度を軟化させた。


「適当、でいいんだな?」

「おう、任せる」


 網屋は着替えるため、メゾネットの中二階へ階段を登ってゆく。さすがに部屋着のままで買い物には行けない。

 シグルドはヘラヘラと笑いながらその背中を見送り、相田に小声で話しかけた。


「あいつはね、こうやって予算を提示してやると、献立の構築に思考が切り替わるんだ。怒りの矛先が向きそうなった時は有効な手だよ」

「マジっすか」

「予算に限らず、ある程度の枠組みを与えられるとそこに収めようとするから。材料の指定でも効くね」

「良い事聞いた」

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