05-3

 相田は迷わず運転席に乗り込む。網屋は助手席に回りこむと、乗りながら通話を再開した。ドアが閉まるのだけ確認して車を発進させる。

 網屋はまず、塩野に目的地を伝える。「もう少しだけ頑張って下さい」との台詞に『なんとかやってみる!』と、エンジン音に負けないほどの悲痛な叫びが返ってきた。


 長くは持つまいと、確信に似た認識。追われる側の消耗を相田は知っている。気力と体力が共に削られてゆく、あの状況を。


 普段出さないような速度で車を運転し続けることは、運転手にとって相当の負担を強いる。速度の制御、車体の制御、路面の状態の把握。それに加えて今は、周辺の交通状況と追手のことまで意識に入れ続けなければならない。

 気力はともかく体力が一番の問題だ。ハンドルを握る握力が弱まれば車体制御は困難になる。速度が速くなればなる程、タイヤは路面に取られやすくなる。どうにかしようと藻掻けども、腕は痺れ、指は麻痺し、視界は狭まる。


 一瞬のミスがどんな結果を招くか、嫌というほど知っている。故に、相田は可能な限り急がねばならないのだ。



 網屋は目澤に、中川路にも同じ箇所へ向かうようにと言伝を頼む。それが終わると、助手席の背もたれを最大まで倒して後部座席へと移動した。

 手にしたのは、重箱である。風呂敷を開けて中の重箱を取り出すと、一番下の段だけ抜いて再び風呂敷に包んでしまった。


「先輩、そろそろ着きますよ!」


 速度を緩めないまま部屋の前へ乱暴に突っ込む。その勢いのまま、車体が小さな半径で一回転する。助手席のドアが網屋の部屋のドア前にぴったりと付いた。

 停まるのとほぼ同時に網屋が飛び出し、吸い込まれるように鍵を差し込む。靴を脱がないまま中へ走り、持ってきたのは細長いスーツケースのような箱とタブレット端末であった。

 乗り込みながら、既に電源が入っているタブレットを操作する。ドアが閉まるか閉まらないかというタイミングで発進する相田。

 敷地からノーブレーキで飛び出して左折。対向車は敷地内から確認済みだ。


 網屋はGPS追跡機能を立ち上げていた。操作を始めて程なく、画面に二つのマーカーが表示される。タブレットをカーナビの横にあるホルダーに突っ込むと、画面を睨みながら「速いな」と呟いた。

 一点がかなりの速度で移動している。そちらが中川路であろうことは、相田にも容易に分かる。


「塩野先生に追い付きそうですね」


 横目でちらりと確認して、アクセルを踏み込む。


「相田、間に合うか?」

「間に合います」


 あえて横道に入らず真っ直ぐ進む。田舎の車もまばらな道ならば、無理に細道へ入るよりも速く移動できる。

 右折する箇所まで約一・五キロ。道に他の車は無く、彼等の黒い車体だけが暴風の如く駆ける。


 ケースを開く網屋。中には黒い一丁のライフル銃。骸骨のような印象を与えるそのライフルに三発の銃弾を装填する。がちり、と、固い金属音。


 右折。そのまま直進。ポイントまであと数百メートル。

 サンルーフを全開にし、一段抜いた重箱の包みとライフルを抱えて網屋は外に頭を出した。風圧が顏を叩く。

 畑ばかりの景色の中、白いガードレールが前方に確認できる。


「着きます!」


 相田の宣言と共に、車は右側の歩道に無理矢理乗り上げて停まった。県道に対して斜めの角度で走る陸橋。僅かに蛇行する県道の市街地側から、例のエンジン音が聞こえる。


 車の上に重箱を載せ、さらにその上へライフルを乗せる。


「相田、あと何メートルだ?」


 タブレットに表示されるマーカーは既に最も近い信号まで来ていた。


「塩野先生、あと三百メートルです! そろそろ見えるはず」


 スコープのキャップを外し、セーフティをオフにして構える網屋。しかし。


「中川路先生も追い付きます、あと五百メートル!」

「何?!」


 スコープを覗く目と逆、左目が爆走するコンパクトカーとそれを追うセダンを捉えた。更に後ろ、猛追する真紅の外国車。追跡するもう一台のセダン。

 片側二車線の道路が低く沈む。両側はコンクリートの壁、上は陸橋。その閉鎖的な空間にまず、塩野の車が飛び込んだ。


 鋭い射撃音。即、ストレートプルのボルトを引き、素早く前に動かす。金色の薬莢が跳ねて飛び、次弾が装填される。


 塩野を追う車がよろめいたかと思うと、車線を逸れてコンクリートの壁にぶつかり、跳ね返って道路の中央に飛び出す。

 そこに飛び込んできた赤い中川路の車。咄嗟に避け、後続車もそれに追随しようとした瞬間、再び射撃音が響いた。

 後続は制御を失い、中央分離帯へ乗り上げる。そのまま、陸橋を支える橋桁に激突した。衝撃が上にまで伝わり、揺れる。


「先生方は!」


 網屋は無理矢理体を捻って振り向く。


「無事です、走ってます!」


 画面上のポイント二つは、県道を順調に西へと移動していた。目視で確認する。陸橋をくぐり緩やかな坂を登って、コンパクトカーと外国車が並んで走っている姿が見えた。


 網屋は車内へ戻り、座席の上に付けてしまった自分の足跡を払った。そこに座って背中を丸める。一発残った銃弾を抜き出して、肺の中の空気を全て吐いた。


「合流、すっか」

「了ー解」

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