04-2
「大丈夫ですか」
呼び掛けてやると、緊張の糸が切れたのだろう。大きい瞳から涙がぽろぽろとこぼれ始める。
「ああ、申し訳ない。怖い思いをさせてしまったね。でも、もう大丈夫だから」
冷たいアスファルトに崩れ落ちたまま立ち上がれない彼女に、目澤は手を差し伸べた。
「立てるかい?」
女性は目澤の手を取るが、痛みに顔をしかめる。
「手首をひねったか……足も」
近くで見ればすぐに分かるほど、右手首が赤く腫れ上がっている。左足首もひねっているだろう事は、足を無意識に庇う仕草で分かる。伊達に整形外科を兼任している訳ではない。
なるべく早めに応急処置を行いたいが、勤め先の陣野病院は少し離れている。どう考えても、自宅で手当する方が手っ取り早い。
「家がすぐ近くなので、そこで応急手当をします。時間とか平気?」
女性は涙を必死に拭い、それから「はい」と気丈に答えた。パニックは収まった様子に、目澤は胸を撫で下ろした。
「背負って……は、無理か」
女性はロングスカートをはいていた。ならば、背負って運ぶのはすこぶるよろしくない。どうしてもスカートがめくれ上がってしまうからだ。
「ちょっと失礼」
迷っている暇、考えている暇は無い。目澤は彼女、即ち患者を両腕で抱きかかえて持ち上げた。「お姫様抱っこ」とかいうやつだと気が付いたのは、かなり後だ。
自分の鞄とコンビニの袋、女性の少し大きめなトートバッグを肘に掛け、患者を両腕に抱えた状態で、目澤は走り始めた。
公園を抜けて、少し狭い道を数分行けばもう自分のマンションだ。エントランスホールを抜け、エレベーターに乗って五階へ。右に曲がって角部屋の前まで来ると、一旦降りてもらう。
鍵を開け、キーはまたコートのポケットの中に突っ込んで、大急ぎで靴を脱ぐ。
「靴、脱げるかい?」
「はい、大丈夫です。できます」
「ついでに、靴下の類も脱いでおいて。湿布を貼ってすぐにかぶれたり、アレルギー反応を起こした事はある?」
「ありません」
「注射を打ったり、薬を飲んだ時に、痙攣を起こしたり、アレルギーが出た事は?」
「それも無いです」
すこぶる乱暴な問診をしながら、ダイニングキッチンのカップボード下に置いてある大きな救急箱を取り出す。一緒に、ラテックスグローブの箱も。
玄関に戻って患者を椅子まで運び、もうひとつ椅子を持ってきて足を乗せる。手指を洗ってからグローブをはめ、上からさらに手洗い。外傷があるかもしれないから。
手足首共々捻挫だけで済んでいたので、外傷の件は杞憂に終わる。湿布を貼り、包帯を巻いてテーピングの役割とする。
「これで立てると思うんだけど、どうかな」
恐る恐る立つ患者。体重がそろりと掛かった後、安堵の表情を見せた。
「立てます。ありがとうございます」
「いえいえ。明日、必ず病院で診てもらって下さい。応急処置だけなので」
と、ここまでやって、自分が名乗ってすらいなかったことに気が付いた。病院内ではないので、名札だって付けていないのだ。
「申し遅れました。陣野病院に勤めております、目澤朗と申します。もし、特にかかりつけの病院が無いのなら、明日来院していただければ自分、いますので。外科の目澤に用だと受付で言ってもらえれば通じます」
「やっぱりお医者さんだったんですね」
「はい」
ラテックスグローブを常備している医療関係以外の人間など、そうそういない。
「えっと、加納みさきです。熊谷産業大学に通っています」
加納という苗字に聞き覚えがある。だが、意識はそこに留まることは無かった。
「学生さんか。女性の夜道の一人歩きは危ないから、気を付けないと」
「……はい」
「常に友達と複数で帰るか、運転免許があるなら車を使った方がいい」
確かに、若い。随分と可愛らしい顔立ちをしているから、よろしくない輩に狙われることもあるだろう。どんなに気を付けていても、いざとなったら体は竦む。
「あの、本当にありがとうございました。助けて頂いた上に、治療まで」
「いえいえ」
「あと、お弁当も……」
コンビニ袋を手に下げたまま立ち回りなどしたものだから、袋の中で弁当が斜めになっていた。慌ててテーブルの上に置いたのもだから、中身が彼女から丸見えである。
「別に、それ位なら何とも無いよ、気にしないで。さて、お家まで送ります」
「いえ、そんな、これ以上は申し訳ないです」
「駄目です。足だって応急処置をしただけだし、夜道を一人で歩かせる訳にはいかないよ」
「でも、ここから近いので……」
「駄目。今日はとりあえず、大人の言うことを聞きなさい」
「……はい」
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