04 中年と手作り弁当
04-1
今から二ヶ月前。まだ寒い時期の話だ。
目澤はいつも通り、徒歩で帰宅していた。
勤め先の病院からさほど離れていないマンションに一人暮らししている目澤は、健康のためとか車を出すのが面倒だからなどという理由で徒歩通勤をしている。
当直の日以外は毎朝、最寄りの駅から大量に出てくる高校生にまみれて歩き、帰りはコンビニエンスストアで夕飯を買ってから帰るか、いつもの連中と飲みに行くか。
たまに、ではあるが、目澤は帰宅ルートを変更することがあった。
少し遠回りして別のコンビニへ行ってみたり、公園を突っ切ってみたり。あるいは、建物の隙間を通り抜けてショートカットを開拓してみたり。
その日は随分寒かったので、月がよく見えた。月を眺めて帰ろうかと少し遠回りをしたのだが、月はじきに雲の間へと隠れてしまった。
仕方無いので最短路を行こうと、ビルとビルの間を抜けて、自宅近くの公園まで出た時だ。
何やら、揉めている一団を発見する。
男性三名。女性一名。女性が男性に取り囲まれる形だ。いわゆるナンパというやつだろうか。
歩みを止めぬまま、目澤は一団へと接近した。その道が最短路であったからだ。
「別にいいじゃん、ちょっとだけだからさー」
「結構です」
「そんな事言わないでよ、ね?」
最寄り駅から三つ先のターミナル駅には一時期、こんな青年たちが大量にたむろしていたらしい。目に余る程であったため警察によるパトロールが始まり、駅前から鼻つまみ共は一掃された訳だが、結局は散り散りになっただけだ。このように。
「すみません、もう、本当に失礼します」
「ちょっと待てって」
一人の男が女性の手首を掴んだ。
「ホラ、遊びに行こうよ」
掴んだ手を無理矢理引っ張る。女性は振りほどこうとしたが、逆に腕を捻り上げられてよろめいた。さらに、残りの二人が囲む距離を詰める。
「とりあえず、車乗ろ? ね?」
側に停めてある車の方へ引きずられる女性。抵抗し、男に突き飛ばされる。
「クッソ、もうちょっと大人しくしてろよ。悪いようにはしねえつってんだろ」
「おい、君たち」
突然の呼びかけに、男も女性も振り向いた。声を掛けたのは当然、目澤だ。
「嫌がってるじゃないか。やめなさい」
「……んだよ、ケーサツかと思ってビビった」
「うっわお前ちっちぇー。ダッセ」
「んだよ、ただのオッサンじゃん」
近づいてきた目澤に、男が二人詰め寄る。
「あのさ、オッサンには関係ないんで、引っ込んでてもらえますか」
肩をぶつけてくるが、目澤は意に介さない。
「嫌がっているからやめたまえ、と言ったんだ。きちんと双方望む相手を探しなさい」
「あっれー? この人、言葉分かんねーのかな? 引っ込んでろって言ったよね俺」
そう言いながら、一人の男がダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
「ヤッベ、リキくんヤル気だ。ヤッベ」
取り出したのはやはり、案の定、予想通り、ナイフであった。
少し大きめのバタフライナイフを小器用に片手で展開すると、刃の部分で目澤の胸の辺りを叩く。
「引っ込んでろよ。な? オッサン」
その後に何か言おうとしていたのかもしれない。だが、彼の口から次に出てきたのは痛みによる絶叫だった。突然の出来事に対応できない男二人。
理屈としてはごく簡単だ。視界の外、即ち相手の膝を、真正面かつ至近距離から踏み抜いてやっただけである。
目澤に武道と武術を教えてくれた義父曰く。
武器を持ち向かってくる相手に容赦はするな。武器を手にした時点で、それは殺意と同義である。
殺意を持ち向かってくる相手に油断はするな。どんなに弱い相手でも、それは刺客と同義である。
最初から容赦などする気は全く無かったから、まあ、結局は同じなのだが。
膝を抱えて悶絶する男。意識を保ってやる義理は無いので、足の先で仰向けに転がし、鳩尾の辺りを踏みつける。胸郭が圧迫されて呼吸が滞り、間も無く気絶した。
慌てたもう一人が、落ちたバタフライナイフを拾い目澤に襲いかかってきた。上段に大振り。狙って下さいと宣伝しているようなものだ。
ご要望に応えて、一歩踏み込んで肩から当て身を入れてやると、車に向かって吹っ飛んだ。
ここでようやく、全員気絶させたら面倒だなと考え始める目澤。自宅の近くで、大の男がすっ転がっているのもどうか。三人も。
「そこの君」
唯一手出しされていない、女性の腕を掴んだままの男に話しかける。最後の男は弾かれたように女性の手を離した。
「仲間を連れて帰りなさい。今日はここまでにしておくから」
「えっ」
「ただし、もう二度とこんな事はしないように。いいね?」
公園の外灯だけが照らす薄暗がりの中でもはっきり分かる程に顔面蒼白な彼は、当て身で吹き飛ばされた男を無理矢理叩き起こすと、気絶したもう一人を引きずって車に載せた。
エンジンを掛けたままの車であったので、すぐに発進する。
後には、目澤と女性だけが残された。
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