03-7
「全くあいつら、相田が嫌がってんの分かってるくせに」
椿が忌々しそうに吐き出す。火の粉は相田本人にも降りかかってきた。
「相田も相田だよ? 引退したんだからレースには出ないって、最初っから突っぱねてりゃ良かったのに」
「いや、でもさ、前崎はともかく高橋は良い奴だし」
「良かぁ無い! レースの時期になる度まとわりついて来る奴が良いワケ無いでしょうが! 第一ね、講義が終わった直後に、生徒の前でこれ見よがしに土下座する人間なんて……」
レンチ片手にまくし立てていた椿は、豪徳寺に肩を押さえられてようやく我に返る。豪徳寺が一言、「お客様の前」と告げたのがとどめとなった。
「……ああぁ、ごめん。ゲストいらしてたのに、あぁ」
呑気にマフィンを食べていた網屋に視線が集中する。網屋は口中のマフィンを慌てて飲み込み、全力で首を横に振った。
「いえいえいえいえ、俺のことは熊の置物か何かだと思ってもらえればいいので。コーヒーとお菓子おいしいです。おいしいです」
「コーヒーのお代わり、淹れますね」
「すみませんすみません、ありがとうございます、すみません本当に、ああ、ハイ」
米つきバッタも青くなる程頭を下げる網屋。小さく笑いが漏れて、ようやっと元の空気に戻る。
相田はパイプ椅子を網屋の隣に引き寄せて、溜息混じりに腰掛けた。昔の事とは言え、やはり蒸し返されると良い気分はしない。己の意志の弱さが招いた事態ではあるが。
頬杖をついて、もう一度長い溜息。今度の溜息はどちらかと言えば、ただ単に肺の中の空気を出してしまいたいだけだった。
そんな相田をじっと見つめていた網屋はふと、こんな事を言い出した。
「いい友達に恵まれてんな、相田」
不意打ちだった。空気が緩みきったタイミングに突然、真面目な顔と真面目な声で言われたものだから、相田は訳も分からず耳まで赤くなる。
「ま、まあ、そうっスね」
「大事にしとけ、一生付いてけ。価値が有るのは、金銀財宝より身近なダチだ」
頭をわしわしと撫で回されて、相田はヘラヘラと笑うしかない。さてどうやって赤面を誤魔化そうか、そもそも何でこんなに赤くなっているんだと焦っているところへ佐伯から助け舟が出る。
「代車、二台あるんで選んでもらっていいですか」
「あ、はーい」
内心で快哉を叫ぶ相田。案内される網屋を見送ると、両手で顔を挟んで何とか熱を手の平に移そうと試みた。うまく行かず、両手で頬を押し潰したり揉んだりする。
と、ここまで行動してようやく、相田は視線に気が付いた。両手で顔を挟んだまま、錆びついた機械のように首を動かすと、今までずっと机にかじりついて電卓と格闘していたはずのみさきと目が合った。
「良い先輩、ですね!」
ボールペンを持ったまま、良い笑顔で親指を立ててみせるみさき。
「みさきちゃん、どこから見てた?」
「一部始終です」
「マジで」
「マジです」
ガレージの脇に、二台の軽自動車が置いてある。白と黒のそれは、文化祭の展示用に塗装したものだと佐伯は網屋に説明した。
「あれー……どこかで見たことあるんだよな、この配色って言うか、この……」
二台を前に、網屋は腕組みする。
白を基調にした方は、薄いエメエラルドグリーンのラインが所々に入っていた。黒い方は同じように、金色で入っている。
「なんだろこの、メカっぽい感じ。ええと、あれ、絶対これ見たことある」
「ありますか」
「あぁー、えーっと、何だっけ、ホラ、日曜日の朝にやってたよね、特撮より早い時間に」
佐伯は笑顔で、記憶と悪戦苦闘する網屋を見守る。
「てか、こっちの白いやつ、赤いラインじゃなかったっけ? あれ? 俺の思い違いかな?」
「いえ、合ってます」
「だよね? 赤かったよね?」
塗装を施した張本人である佐伯は、それはそれは満足気に微笑んでいた。『分かる人が見れば一発で分かる分かりにくい痛車』を毎年産みだしては、文化祭の度にモヤッとした気持ちをばらまく佐伯。ここにも一人、見事に引っかかった人がいる。
「うわー何だっけー思い出せない! ヒント、ヒントを下さい」
「アニメ、メカものまで合ってます。もうちょっとですよ! 頑張れ!」
全くヒントになってないヒントを与える。網屋が正解を導き出すのは、この十五分後であった。
ガレージのシャッター前に置いてある、網屋の車。傷付いた側面を、豪徳寺と椿が睨んでいた。
「派手にやってるな」
豪徳寺がぽつりと漏らす。事前に相田から話は聞いていたが、まさかここまでとは思っても見なかったのだ。
左側面のドアが二枚とも傷だらけになっている。
「バナナじゃあないね、これ」
側面から垂直に車が衝突することによって、上から見た時バナナのように湾曲して見える「バナナ損傷」とは異なる凹み方である。
ならば、ガードレールや壁などでこすったのか。その線が最も有力であるが、どうしても違和感を拭い切れない。
相田は「自分のせいで、人の車に傷を付けてしまった」と言った。だが。
「あの相田が自分でぶつけるとは思えない」
椿は腕組みしたまま呟いた。その気になればいくらでも速く走れるが、公道ではそれをやらないのが相田であったはずだ。
「佐伯なら分かるか?」
「多分。でも……」
二人とも、その後の言葉は口に出さない。原因を突き止めてしまって良いものか、と。
「じゃあ、来週取りに来ます」
「はい。変更があったら、相田伝いで連絡しますんで」
「お願いします」
黒い方の代車を選んで、網屋は帰宅した。
全員が全員とも、実費だけで良いと言い張るものだからさすがに折れた。多勢に無勢、ああも力説されては引くしか無い。
だが、網屋はこうも考えていた。さて、取りに行く時、差し入れをどれだけ作ってゆけば良いのだろうか。
「とりあえず、重箱用意するか」
網屋が四段重を二つと大量のおにぎりを持ってガレージへ行くのは、一週間後の話である。
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