03-6
小声でバカを言い合う二人だが、目の前に茶菓子が運ばれてくるとさすがに黙る。
茶菓子を運んだ当人はどうしたかと言うと、豪徳寺の隣に座って電卓を叩き始めた。見積もりの確認と見直しをしているのだ。
ああ、そっちの担当だからスカートでも大丈夫なのかと、妙に納得する網屋。全粒粉のクッキーをありがたく頂きながら、相田達より一つ下の
相田と佐伯、椿は三人で具体的な修理の打ち合わせを始めているので、もう網屋は借りてきた猫の如くじっと待つより他に無い。
故に、誰かが半開きのシャッターをくぐって来るのを真っ先に察知したのも網屋であった。その微妙にぎこちない入り方からして、部外者であることも。
「誰かお客さん、来たみたいだよ」
網屋の言葉に豪徳寺は書類から目を離す。誰であるか認識した僅かな瞬間、豪徳寺の顔が少しだけ曇ったような気がする。
入って来た青年は頭だけをぺこりと下げた。
「お邪魔しまーす。相田、いる?」
呼ばれた相田は振り向き、何とも言えない無表情のような顔付きになった。
網屋は知っている。それは、ちょっと困った時の顔だ。ガキの頃からそうなのだ。
「例の話さ、考えてくれた?」
「いや、あれは一回だけって話だったっしょ」
「まあ、そうなんだけどさ……勿体無いよ、このまま埋もれてるなんて」
「埋もれるも何も、引退した身だし」
「そこを何とか頼む! ジムカーナだけでいいから!」
ついには拝み始める始末。相田はいよいよ、普通の困った顔になってしまった。
どう返していいか悩んでいる所で更にもう一人、追加で客がやって来る。シャッターをくぐった顔を見て、佐伯と椿があからさまに嫌悪の表情を示した。
何故か、先客もだ。
「うっわ、高橋いたんだ」
後から来た客は挨拶もせずに、まず先客に対しての文句。
「前崎こそ、何の用だよ」
「関係ねえだろ」
客同士で険悪な空気を作り出す。後から来た前崎が、その空気を無視して相田に近付いた。
「なあ相田、頼むからさ、うちのチーム入ってよー」
「無理だって。公道攻めたり峠攻めたりしないって言っただろ」
「えー? いいからとりあえず、やるだけやってみようよ。女の子も紹介すっから、さぁ」
語尾と同時に相田の腹へ裏拳が入る。「痛って」と思わず身を屈めたところへすかさず首を抱え込んで、前崎は耳元で囁くように、実際は他の人間にも聞こえるように言う。
「昔の称号が泣くぜ? ”フォーミュラワンに最も近い高校生・相田雅之”だろ? もう高校生じゃないけどさー。なー? こんなトコにいるより絶対いいって」
あ、切れた。網屋はブツリと切れる音を聞いた気すらした。切れたのは、先程から嫌悪感を丸出しにしている二人のうちの片割れだ。
「んな事言うためだけに、わざわざここまで来たのアンタ」
椿が、レンチを持ったまま詰め寄る。声から怒気が漏れ出している。前崎は相田から離れて両手を上げてみせた。
「悪ぃ悪ぃ、こんなトコなんて言って悪かったよ。でもさ、神流だってそうじゃん。こんだけのレーサー抱えておいて、走らせないなんておかしくね?」
「おかしくね? だって。聞いたか椿、相田もお前も、走りたいのに走れないことになってんぞ」
次は佐伯であった。顔は笑っているが、侮蔑と嫌悪に染まっている。あぁ、こっちもやっぱり切れてたんだなと網屋は呑気に思った。
「仮にそうだったとしても、だ。お前みたいに調子こいて峠攻めて、景気良くガードレールに激突するよりはマシだと思うけどなァ」
前崎の顔が青くなる。
「分かりやすい塗料使ってると、すぐに足が付くぞ。それとも何だ?ママがすぐに新しい車買ってくれるから大丈夫か?」
「佐伯、テメェ」
「あー、ごめーん、図星だった?」
前崎が佐伯に向ける視線も険しいが、高橋が前崎に向ける視線の方がより険しい。前崎の腕を力任せに掴む高橋。
「前崎、公道はやめろって言っただろ」
「何でオメーに指図されなきゃなんねーんだよ。個人的な趣味にまで口出しされる筋合いねぇし」
「じゃあ、部の連中まで巻き込むのはよせ」
「いちいちうるせーなオメーはよ! 部長だからって偉そうなツラして……」
ガタリ、と、突然音がした。ガレージ内にいた全員が思わず、音の方向へ顔を向ける。豪徳寺が立ち上がり、高橋と前崎を真っ直ぐに見据えていた。
「お引き取り下さい」
有無を言わせない圧力。双方とも「自分は違うよな?」と言いたそうな表情になったが、豪徳寺はどこまでも平等だ。
「自動車部のお二人は、どうぞお引き取り下さい」
手でシャッターを指し示す。どこまでも丁寧に。
高橋が前崎を小突いて、二人は憮然たる面持ちのまま外へ出て行った。言い争う声が遠ざかり、聞こえなくなってようやく緊張した空気がほどける。
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