03-5

 話はつけてあるから、先輩は時間になったら車を持ってきてくれれば良い。そう、朝伝えてそのまま講義に出た相田は、午後のゼミが終わるとすぐに駐車場へと走った。細かいことは何一つ説明していなかったので、駐車場で待つしかない。

 畑の真ん中に突然できた大学の、畑に囲まれた駐車場は無駄に広い。田舎の大学なので、車通学バイク通学が普通にまかり通る。申請すれば即日許可という緩さなのは、それが必要であり必須だからだ。

 予定していた時間の十分前に、黒い四輪駆動車が入ってきた。網屋の車だ。手を振るとすぐに気付いたのか、側で車を停めた。


「持ってきたぞぉ」


 明るい所で見ると傷の酷さがよく分かる。車体がぶつかって来た時の感触を思い出し、相田は苦々しい顔付きになった。


「運びますんで、運転代わります」


 何日かぶりに乗る網屋の車。行く先は大学の裏手にあるガレージだ。ガレージのシャッターは開いており、数名の学生と思わしき影がある。

 真っ先に出てきたのはつなぎを着込んだ青年だった。相田とはまた違う「犬系」だな、と網屋は酷いことを思う。相田よりはしっこそうな犬。相田が柴犬や秋田犬なら、こちらはコーギーであるとかビーグルであるとか、その辺りだ。

 網屋と目が合うと、即頭を下げた。客人の対応に慣れている。


「話は相田から大体聞いてます。ちょっと書類を書いて頂きたいので、こちらへどうぞ」


 促されるまま中へ入ると、ガレージの中には二人の学生が待っていた。

 片方は随分大人びた青年。端に置いてある会議机から立ち上がると、長身を深々と下げての挨拶。

 もう片方はつなぎを着た女性。深い赤褐色の髪を無造作に束ね、バイクをいじっている。こちらに気付くと、頭を下げてから角に置いてあるコーヒーメーカーへ小走りに駆ける。


「ちょ、ちょちょちょ、おい、相田」


 小声で呼ぶ網屋に、相田はしぶしぶ振り向いた。


「何スか」

「お前、出会いが無いとか言ってんじゃないよ! すげえ美人いるじゃんか!」


 小声のまま大興奮する網屋に、相田が投げかける声は凄まじく冷たい。


「ああ、もしかしてアレっすか? あいつ、生物学上は人間だけど中身はゴリラっすよ。ゴリラ」

「聞こえてんぞ相田ァ!」


 ガレージの隅から怒号。相田は「おおコワ」と肩を竦めて網屋の影に隠れる。


「ま、とりあえずこっちで書類ちゃっちゃと書いちゃって下さいよ。なぁに、ちょいとサインするだけの簡単なお仕事ですぜゲエッヘッヘッヘッヘ」

「詐欺よ! 奥さん大変ッ詐欺よォーッ!」


 などと言っておきながら、長身の青年から差し出された書類は随分と真っ当、というより、本格的なものだった。そもそも、書類云々など想像もしていなかった網屋は、面食らいながら言われるままに空欄を埋めてゆく。

 その間に、例の犬っぽい青年二号が見積もりを済ませていた。見積書を挟んだバインダーを手に、意気揚々と中へ入ってくる。提示されたこちらの見積書もまた、やたらしっかり出来た代物だった。


「こんな感じです。期間はそうだなー、四日五日くらい見てもらえば。ああそうだ、修理を担当します、佐伯司さえきつかさです。よろしくお願いします」

「あ、いえ、こちらこそよろしくお願いいたします」

「で、こっちが神流椿かんなつばき。こいつも修理担当しますんで」


 コーヒーを持ってきた女性が会釈する。網屋から見れば十分に女性らしいのであるが、コーヒーカップを置いた後、相田に「後でシメる」と言い放つ辺り、後輩の言うことも完全に間違いではないらしい。


「ヨネやんは自分で言えよー」

「……モータースポーツ同好会の会長を務めております、豪徳寺米政ごうとくじよねまさです。若輩者ではありますが、当同好会の責任者ですので、なにか御座いましたらこちらまでお申し付けいただければ幸いです」

「は、はい。分かりました。お願いいたします」


 簡素な会議机越し、互いに頭を下げ合う。


「かったーい、ヨネやん硬い。顏、顏」


 佐伯に言われ、豪徳寺は頬をむにむにと揉んだ。長身、鋭い顔つき、バリトンボイスと、要素が揃いも揃って目澤以上の威圧感を発している。


「先輩先輩、ここにいるメンツ、全員同い年なんですよ」

「えっ、ウソ」

「凄いでしょう。世の中不思議がいっぱい」

「イッパーイ」


 そこへ、外から誰かが駆けて来る音が聞こえてきた。ずいぶん軽い足音であるので、女性だろうと網屋は見当をつける。案の定、姿を表したのは学生と思わしき女性であった。


「すみません、遅れました! すみませんっ」


 荷物を抱えて頭を何度も下げる度に、真っ直ぐな長い黒髪が揺れる。


「そんなに慌てなくても」

「いえ、でも、お茶菓子が……椿に渡しておけば良かったんですけど」

「仕方ないよ。最近、朝はいつも用事あるんでしょ?」

「うん」


 抱えていた荷物の中身は、焼き菓子であった。クッキー、パウンドケーキ、マフィンまである。それらを用意している姿を遠目に眺めて、網屋は再び相田の背中をつつく。


「おい、おいおいおいおい相田さんよ」

「あーもう、何スか」

「美人二人目登場だよ? 何あのナイスバディお嬢様。出会いって本当に無いんですか? 高望みしすぎなんじゃないんですか?」


 網屋の詰問に、ただただ相田は遠い目をして、


「あんな美人に……彼氏いないと、思いますか……?」


 と答えるのが精一杯であった。


「あぁー……ゴメン。ゴメンよ相田……」

「人間はねぇ、分相応に生きていくのが正しい姿なんですよ……分かりますか先輩、身の丈に合った相手ってのがあるんです……いいですか……貴方の脳内に、直接語りかけています……」

「ヌゥ邪念! 邪念が俺の頭の中に!」

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