03-4

 下らない会話。背後から足音。既に相手は気配を隠す気も無い。外来診療室を出た時から気付いていた「相手」をここまで誘導することに成功した二人は、右折路の手前まで来ると背中合わせに振り向いた。廊下の向こう側から、あからさまにその筋の人間が追いかけてくる。


「銃火器は持ってないな」

「んだね。網屋君は呼ばなくて大丈夫か」


 中川路が少しだけ重心を落とす。塩野のポケットに入れたままの手が動く。追う側と追われる側、両者の制空権が接近する。

 そして、それがあわや触れそうになる瞬間。

 二人の横、廊下の奥から何者かが駆けてくる音。


「二人とも、肩貸せ!」


 是非を聞く間も無く、何者かに肩を掴まれる。体重が掛かったかと思うと、三人目の白衣が宙を舞っていた。

 一回転したのを見届けた次の瞬間、革靴の底が追っ手の鼻梁を潰している。後方に大きく仰け反る被害者。着地の勢いで体を翻し、もう一人の側頭部にハイキックを直撃させる。

 ここでようやく動きが止まった。


「すまん、遅くなった」


 少し崩れたオールバックの髪を無理矢理なでつける。白衣のボタンを外しながら振り向いたのは、目澤であった。


「おっそーい目澤っちおっそーい! 弁当にうつつ抜かしてんじゃないよー!」

「いや、そういう訳では」

「図星か! 図星なのか! 若い娘の手作り弁当でデレデレか!」

「だから違うと言っとろうに!」


 一喝すると、白衣を脱ぎ捨てる。殴りかかってきた相手の右腕を自身の左手で廻し受け、手首を掴んで捻り上げながら一歩踏み出す。脇腹に打ち込まれる強烈な肘打ち。

 崩れ落ちる相手の影から飛んでくる蹴り。これもまた右腕で廻し受け、足首を掴んだ。同時に相手の軸足を踏み付ける。そのまま、向こう側に押し倒した。頭部が廊下と激突する鈍い音。

 最後の一人は一瞬ためらいを見せたが、それでも目澤に勝負を挑んできた。だが目澤の方が速い。綺麗な正拳突きが腹に入り、苦悶の表情で倒れ伏した。


 数瞬の出来事であった。屈強そうな男達は全て廊下に転がり、呻き声を上げている。

 中川路が落ちた白衣を拾い上げ、軽くはたいてから目澤に渡す。何事も無かったかのように。


「はいお疲れ」

「おう」


 目澤が白衣を羽織っている間に、塩野が動き出す。最も軽傷だと思われる男を見繕い、その横にしゃがみこんだ。顔を覗いて満面の笑顔を向ける。


「あのさ、誰に頼まれた?」


 目が合う。勿論、憎しみのこもった視線しか帰ってこない。


「素直に言ってみ? 悪いようにはしないから」


 これもまた当然のことながら、返答はない。だがそれで良いのだ。ここまでの言葉、表情、双方の間に漂う空気でさえ、塩野の「武器」となるからである。

 塩野の笑顔の質が僅かに変わる。相手に分かるように向けられた、その変化。

 そっと囁くように、耳元で塩野は言葉を放つ。


「大丈夫だよ、お父さんにもお母さんにも、絶対に言わないから」


 相手の、自分に向ける感情が変わる。疑問にまみれた瞳を声色で拭い取る。


「絶対だよ。約束する」


 その一言で陥落したのが、門外漢である中川路や目澤から見ても分かった。つい先程まで険しい顔付きで睨みを効かせていた男が、突然、子供のような顔で喋り始める。


 その異様な光景を気にもとめず、中川路も動き始めた。

 倒れている一人一人を順番に、眼底、口腔内、皮膚とチェックしてゆく。塩野と夢中になって話し込んでいる男まで全員終わると、首を横に振った。


「見た限りでは該当者無し。あとは採血しないと分からん」

「こっちも収穫無し。いつも通り、普通に雇われただけの人らだね」


 塩野も肩を竦める。つられて、目澤も同じように返した。先ほどまで話し込んでいた男は、目澤から受けた打撃の痛みも忘れて眠っていた。


「あとは市村の検査待ち、だな」

「こいつらのも念のため頼もうか」

「いや、いいんじゃない? そこまで手を煩わせる訳にはイカンっしょ」


 廊下に転がる男達を眺めて、中川路がぽつりと漏らす。


「ここ最近、本当に酷くなってきたな」


 残りの二人の表情も曇る。


「次は俺達の番、ってことだな」

「僕らの予想が当たっているならね」

「まあな。網屋君までこちらに呼び寄せる羽目になってしまったし、いよいよ、か」

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