04-3

 駐車場は地下にあるので、下まで彼女を支えながら降りて車に載せた。薄暗がりの中でカーナビゲーションが起動する。


「お家、どこら辺ですか」

「加納こどもクリニックってご存知でしょうか」

「ええ、良く知ってます」


 陣野病院には、小児科が無い。整形外科的な内容であるなら診ることはできるが、内科的内容になってしまうと中学生以下は診療できないのだ。

 加納こどもクリニックは、陣野病院から最も近い小児科として頻繁に紹介する先である。

 苗字に聞き覚えがあったのは、それだったのだ。


 いや、だがしかし、苗字が同じだからと言ってそこの人間だとは限らない。一つの地域に同じ名字が固まるのはよくある事だ。今日だって、外来にBさんが何人来たことか。


 そんな目澤の思惑とは裏腹に、彼女が指定した場所は加納こどもクリニックの裏手。即ち、クリニック院長の自宅箇所であった。

 近い。歩いて十分もかからないような場所だ。


 彼女の自宅に到着すると、目澤は彼女に肩を貸して玄関ポーチの低い階段を登った。鍵を出すのは大変だろうと、目澤がチャイムを押す。


『はーい。どちら様ですか』

「夜分遅くに申し訳ありません。目澤と申します」

「ごめんねお母さん、ドア、開けてもらっていい?」


 スリッパの音がして、すぐにドアが開く。姿を現す一人の女性。


「こんばんは。本当に夜遅く申し訳ありません、加納先生」

「いえ、目澤先生、どうされました?」


 加納こどもクリニック副院長、加納香澄医師。つい最近、高校生になった患者の引き継ぎをしたばかりの相手だ。


「知らない男の人に連れて行かれそうになって、目澤先生に助けてもらったの」


 ごく簡潔に彼女が説明する。副院長、ではなく、彼女の母は青くなった。


「え? 何? それ何? ああ、えっと、こんな所で立ち話も何ですから、中にどうぞ」

「いえ、これで帰りますので」

「そういう訳には行かないですよ。ちょっとお父さん、お父さーん! 来て! 大変なことになってる!」


 大変なことになったのは目澤も同じである。送って即帰ろうと考えていたのだが。


「あれー、目澤先生お久しぶりです」

「お久しぶりです。その節は大変お世話になりました。その後どうですか」

「予後も順調です。早い段階で見つけて頂いたので助かりました」


 院長の加納竜治医師まで出てきて、玄関先で挨拶合戦。


「中に入って下さい。どうぞどうぞ」

「いや、もう遅い時間ですので。明日の勤務もありますし、これで失礼します」


 勢い良く頭を下げて、なし崩し的に場を去る目澤。親子三人がこちらに頭を下げているのを車内からちらりと確認して、早々に帰宅したのであった。




それから、一週間後。


 例の彼女のことは気になったが、自宅が医院である訳だし、レントゲンも撮っているだろうから大丈夫だろうと安心し切っていつも通り働き、そして迎えた出勤の朝。


 ネクタイを締めていると、不意に玄関チャイムが鳴った。こんな朝の時間にセールスもないだろうとインターホンを取ると、聞き覚えのある声がする。


『朝早く申し訳ありません、加納です』


 驚いて玄関まで飛んで行くと、小ぶりのトートバッグを持った彼女が立っていた。


「おはようございます。お忙しい時間帯に申し訳ありません」

「いや、別に、余裕あるので平気ですよ。どうしたの?」


 差し出されるトートバッグ。


「先日は本当にありがとうございました。お礼と言っては何ですが、よろしければこれ、お召し上がり下さい」


 中身は、布に包まれた箱と思わしき物体。


「お弁当、作りました。お昼かお夕飯にでも、どうぞ」

「え、いやそんな、わざわざありがとうございます。でもいいの? こんなに良くしてもらっちゃって」

「これ位しか、私、できないので。お口に合えばいいんですが」

「じゃあ、ありがたくいただきます」


 彼女の顔に、屈託ない笑顔。

 ああ、やはり、この子は笑っている方がいいなあと目澤は思った。

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