01-2

 彼らが向かった店は、アパートから車で十分程度の位置にあった。昔からある地元のうどん屋だ。少しづつ規模を拡大し、広い駐車場を備えるにまで至った人気店である。

 道路の右側にあるその店舗の看板を見つけて、「まだあったのか」と網屋の口から漏れた。

 駐車場には結構な数の車が停まっており、すんなりテーブルにつけるとは考えにくい。


「混んでるっぽい?」

「うーん、別んとこにしましょうか。警察前にファミレスとか色々あるから、その辺で適当に」


 Uターンしさらに車を走らせること二十分。日は完全に沈み、いわゆるディナータイムに突入している。そんな状況で混んでいない店舗を探そうというのはあまりに無謀であった。しかも場所は市の中心部。どの店も駐車場は車で溢れ返り、窓ガラスから見える待機客の数も増える一方だ。

 彼らの車は駐車場に入っては抜けを繰り返し、結局、警察署前のレストラン全てを横断する結果となってしまった。


「ああぁあ、最初んとこで無理矢理入っちまえば良かった!」

「腹減りました先輩」


 後悔してももう遅い。後で悔いると書いて後悔だ。


「クッソー、どうするか相田」

「腹ぁ減りましたぁ先輩ぃ」


 相田の声に悲痛さが増してくる。


「他にどっか無いか、メシ食える所」

「腹がぁあ、減りましたぁあ、先輩いぃいいい」

「これはイカン、限界が来ておる。しっかりせえ相田! 飯が食える所を思い出すんだ!」

「ええと……」


 ハンドルを指で叩いて、その音が五回もならないうちに相田は絶叫した。


「カレーだ! カレーっすよ先輩! こっちをまっすぐ行くと! カレー屋が! あり! ます!」

「落ち着け」

「ライスを! グラムで! 増量! マシマシ!」

「落ち着け」


 信号が青になると同時に驚くほど滑らかにシフトチェンジ、そして持ち主の網屋が体感したことのない急加速。

 相田はもちろん無意識にやってのけている。


「やっぱお前、運転うまいよねぇ」

「カレー! カレー! チキン煮込みにシーフードで! あとはフェアもの! トッピングで!」

「人の話を聞け。そして落ち着け」


 何度目になるか分からない「落ち着け」に被せるように突然、無機的な呼び出し音が鳴り響いた。網屋のスマートフォンに掛かってきた着信である。画面に表示された名を見て、網屋の眉根が寄った。

 最低限の挨拶の後に、相手の話を聞く少しの間。即、網屋の緊張感に満ちた声が響く。


「……え? 今?」


 腹が減ったと喚いている相田でも緊急事態だと分かる。あまりにもその声は低く、鋭かったのだ。


「現在地は? …………ああはい、分かります。すぐに向かいます。準備でき次第、こちらから掛け直しますんで……はい。持ちこたえて下さい」


 車をカレー屋の駐車場に入れるのと、電話が切れるのがほぼ同時。エンジンを切らぬまま相田が何事か問おうとするより先に、網屋が口を開いた。


「相田、お前、ここで先にメシ食っててくれるか。ちょっと急用が出来た」

「どうしたんですか」

「まあ仕事なんだけど、色々……あって、な。終わったら迎えに来る」


 言いながらカーナビの画面を動かしている。ルート案内に指定した到着場所は、ここからそう遠くはないスポーツ複合施設だ。五分もすれば着くか、と相田の頭の中で答えが出た。


「移動するなら、このまま運転しましょうか」


 何気なく放ったその言葉に、網屋の驚いたような顔がぶつかり、言葉がそのまま床に零れ落ちる。逡巡。視線がいったん外れ、戻る。


「いや、大丈夫だ。大体分かる場所だし」

「急ぎなんですか」


 語尾に被せ気味に問う。網屋が相田を引き剥がそうとしているのは明白であった。それを分かっていながら、相田はハンドルから手を離さない。


「多分すぐ終わる。っておい!」


 相田は網屋の答えを待たずに駐車場を出た。ためらいも無しに右へと曲がる。


「すぐ終わるんなら尚更、俺が運転しますよ。運動公園まで行けばいいんですね?」

「お前なぁ!」


 咎める声色は冗談を挟む余地など無い。だが、車はもう走り出してしまった。今更駐車場へ戻ろうにも、無駄に時間を食うだけだ。


「ただそこに行きゃいいってもんでも無いんだぞ」

「そうなんですか?」


 網屋の顔を見もせず、相田は周辺の道路状況ばかりに気を配っている。こちらを見向きもしないと言うより、断固見ないと決めてしまっているのだ。こうなるともう相田は人の話を聞かない、聞く耳を持たないと、網屋は十二分に知っている。

 ああ、と呻いて頭を掻きむしると、網屋はしばらく黙り、深くため息をついて肺の中を空にした。


「ああもう! どうなっても知らねぇぞ!」


 返答は無い。沈黙が肯定を示す。

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