疾走と弾丸
榊かえる
01 先輩と引越し蕎麦
01-1
先輩が引っ越してくる、それが今日だ。
小学校からの長い付き合いである先輩。彼がこの地元、熊谷市に戻ってくるのは何年ぶりだろうか。十年? いや、そんなに経ってはいないはずだ。頭の中で真面目に計算すると、七年と言う答えが出た。
長いのか、短いのか。言葉にしてしまうと良く分からなくなる。ガキの頃からの腐れ縁から考えれば短いような。自分の人生の比率で考えれば長いような。
連絡は取っていた。たまに会って遊んだりもした。付き合いの長さに実感はあるが、途中ですっぱり抜けている期間がある。それ故に、全体の印象はあやふやになったりもする。
問答無用で引越しの手伝いを命じられた彼は、本来ならもっとゆっくり寝ていたいのを堪えて平日時間に起床し、こうやって朝食をとりつつ待機しているのだ。
先週まではごく一般的な大学生としてバイトに精を出していたが、勤め先のガソリンスタンドが潰れてしまってはどうしようもない。バイト先を探さなければと思いつつ、今週くらいはゆっくりしていたい、だらけていたいとダラダラしていた数日前、先輩から一本の電話がやってきた。
『今度、そっちに引っ越すことになったんだけどさ、どっかいい物件ねぇか』
ある。この地域に引っ越してくるなら、うってつけの物件が一つ。何かをするには少し出なくてはならず、車がないと少々不便ではあるが、それでもそこそこに快適な物件が。
「俺が住んでるとこの、隣空いてますよ。家賃もそんなに高くないし」
『おお、いいねいいね』
「ただし交通の便が悪いですよ」
『別にそんなの気にしねぇし』
そんな会話があって、気が付いたらもう引越し当日だ。
そんなに荷物は無いから大丈夫だ、という言葉を鵜呑みにはせず、相田は黙々とエネルギー源を詰め込む。
とにかく食わねば体は動かない。人からよく、食い過ぎだとかそんなに食べて気持ち悪くならないのかと言われるが、自分としては必要十分な量を食べているだけなのだ。仕方ないとしか返しようが無い。
大食いだと言う自覚は、あるが。
三杯目の白米に残っていたなめたけをありったけかけて、そいつを半分消費したところで、けたたましく鳴る携帯電話。
咀嚼もそこそこに電話を取ると想定通りの相手が出た。
『網屋ですよー。ボチボチ着くぞ』
「うおぅ早いっすね! まだメシ食ってる最中ですよ」
『俺なんざ朝飯食っちゃいねぇよ! 腹ペッコペコだわ! そっち着いたら即メシ食うわい!』
「お、マジっすか」
『先に言っておくけどな、お前にくれてやるメシは無い』
「鬼! 悪魔! 人殺し!」
『……やかましい。あと十分か十五分くらいで着くぞ。着替えとけよー』
一方的に命じて通話は切れる。慌てて残りの米を胃に詰め込み、靴下を探したりシャツを探したりしている間に時間は過ぎてしまう。気が付けばもう窓の外から車の音が聞こえてくるではないか。
「早いッ!」
外から車のドアを閉める音。相田は急いで掃き出し窓を開ける。大きくてゴツ目の四輪駆動車から、黒髪の青年が降りてくる。
「ちいーっス。お世話になりやーす」
一つ上の先輩、
「食うか?」
大きなコンビニの袋を掲げてみせる網屋。結局、必要以上の量を買い込んでいる。
「適当に見繕ってきたんだが……俺の分はまあ、おにぎり二個か三個残してくれりゃいいや」
当たり前のように袋からパンを取り出し、迷い無く食べ始める相田。そして、それを当たり前のように放置する網屋。自分も窓際に腰掛けておにぎりの包装を開けながら、ゆっくりと辺りを見回した。
住居と、畑と、雑木林が、密集するでもなく存在している。見晴らしはそこそこ。中途半端な景色だ。
「それにしてもまあ、こんな畑の合間にアパートなんて、唐突っつーか何つーか」
「畑、潰して建てたんですってよ。もう畑仕事できないって、地主さんが」
「ああー、そんなとこだよな。に、しても」
天井を見上げ、外を見上げ、
「もうちょっとデカイの建てた方が、良かったんじゃないかと思うんですがどうですか相田どん」
網屋がそう言うのも仕方ない。メゾネットタイプの小さなアパートが、ポツリと一棟。しかも、二部屋しかない。これでは一戸建てとそう代わりはしない。
「仕方ないっすよ。予算的な何かっすよ、きっと」
「そうか……まあいっかあ。さーて、メシ食って、荷物中に入れるか」
「あーい、って、荷物それだけですか?」
「家具は最低限買ってあって、今日届く予定。車ん中入ってるのは服とか食器とか、鍋とかだな。あと、蕎麦」
「蕎麦」
「引越し蕎麦」
ピンと来ない顔をする相田に、もう一度。
「引越し蕎麦。終わったら作る」
「誰が?」
「俺が」
「先輩が」
「うん。なんだその疑いの目は。こう見えても自炊暦長いんですのよアタクシ。蕎麦くらい茹でますわよ。ニシン蕎麦ですのよ」
「OK働きます。俺のことは働きアリだと思って下さい」
食い物で簡単に釣れる、これが相田だ。その容姿も相まって「犬」呼ばわりされることもある。網屋は相田の変わりなさに笑いながら、一瞬、ごく僅かだが、寂しいような顔をした。
車に限界まで積み込まれたダンボールの群れを運びに運んで、やたら重いよく分からない荷物も運びに運び、台所の荷物をほどいただけで昼を過ぎてしまう。
ここで引越し蕎麦かと思いきや、タイミング良くやってくる運送業者。梱包を解いて家具を運んで、そんなことを数回繰り返していれば昼過ぎどころの話ではない。春の畑も日が暮れて、差し込む夕日が疲労感を煽る。
「日、暮れちゃいましたよ先輩」
「暮れちゃったなぁー」
疲れ果て床の上に二人とも転がったまま、会話が天井に当たって跳ね返る。
「腹、減りましたよ先輩」
「減っちゃったなぁー。でもさぁ、俺、メシ作るのめんどい」
「めんどいっすよねぇー。仕方ないっすよねぇー」
畑の上空で鳴くカラスの声が、余計に侘しい。
「……面倒くさいから、メシ、食いに行くか」
網屋が口にしたその瞬間、バネ仕掛けのおもちゃの如く相田は飛び起きた。
「おっしゃ行きましょう今すぐ行きましょうメシ食いに行きましょう!」
「何それ! 何その元気さ加減! どこから来るのその気力!」
「車の鍵取ってきますぜ先輩! ウェェーイ!」
「いや、待て。俺の車出す。ガス代だってバカにならないだろ? 学生さんは節約に努めな」
自分の車のキーを取り出して、しばらく見つめた後、網屋はヘラヘラと笑いながら振り向く。
「めんどい。運転してくれーい」
「あーい」
実際のところ、面倒臭さよりも土地勘の無さが運転を委ねる最大の原因だ。七年間の空白は大きく、それを相田もよく分かっていた。
七年前と言ったら網屋が高校一年生、相田が中学三年生の頃の話だ。当時の彼らの移動手段は自転車と電車、あとは徒歩程度であり、把握している範囲などたかが知れている。
「何食いたい?」
「蕎麦とかうどんとか。俺の口の中はもうめんつゆ一色なんです」
「ならば蕎麦屋へ行くが良い。案内せえ」
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