第20話 忘れられるものならば

 朝日が、薄いレースのカーテンを過ぎて部屋へと入りこむ。

 光が、眠っていたジョゼフィーヌの瞼をそっと開かせた。

 寝台に横たわったまま天蓋の裏を眺めていたジョゼフィーヌは、腕を天井へ向けてのばす。

 白くて細い、少女の手。

 今日も自分が生きていることが、そしてこれが自らの身体であるということに、未だに慣れないのだ。

 この星に生まれ変わってから、もう十年以上も経っているというのに。

 だんだん、女になっていく肉体と、薄れゆく前世の記憶が胸を締め殺されるように悲しくもあり、涙が出そうなほど嬉しくもあった。

 ジョゼフィーヌは起き上がり、窓の方へ向かうとカーテンを寄せ、窓を開けた。

 少し肌寒い、けれど明るい朝の空気を愛おしむように吸い込んでいく。

 ああ、我は生きている。

 それだけのことが、わたくしはたまらなく嬉しいの。


 朝食を済ませたジョゼフィーヌが、離宮内にある図書館へと向かっていく。

 今日の魔術の訓練は昼からで、それまでは自由時間だ。

 他国からの人質であるジョゼフィーヌは、閲覧できる資料が制限されている。

 魔法や戦術、医療や法律といった”国の利益になること”に関することは自分からは学べないので、楽しむのは専ら詩歌や神話、他の星の歴史物語などだ。

 ジョゼフィーヌは、図書館内を見回した。

 奥の方に、ジョゼフィーヌは入ることが出来ない、国家記録や魔術書の置かれた区域への扉が見える。

 人気のない空間に、古い紙の匂いだけが漂っていた。

 朝から図書館に来るなど、職務を持たぬ人質くらいのものだから、誰もいないというのが常であった。

 地球の東洋地域に関する歴史書を探してジョゼフィーヌが本棚の間を抜けていくと、珍しく先客がいた。

 緑髪の小柄な少女、一緒に魔術訓練を受けているファナ・スキーンだ。

 向こうの方も、ひょっこり本棚から顔を出したジョゼフィーヌに驚いた様子だ。

 ファナがぱっと笑顔を見せて話しかけてくる。

「ジョゼフィーヌ様、おはようございます」

「ごきげんよう、ファナ」

 ジョゼフィーヌは、ファナが手に取ろうとしていた本をちらりと見た。地球の歴史、しかも東洋か。被ってしまったなと思いつつ話題をふる。

「ちきゅう、ですか。そういえば、ルドルフ殿下が前世でいらっしゃった星でしたね」

「はい。仕えることになったお方ですから、学んでおこうと思いました次第でございます」

 少し恐縮して答えたファナに、ジョゼフィーヌは微笑みながら言葉を紡ぐ。

「それならば、この本がおすすめですよ。殿下がまさに生きた”ひのもと”という国について一番詳しいのはこちらでした」

 青色の表紙をし、糸で縫われて綴じられた一冊の本をジョゼフィーヌは指し示した。

 驚いた顔をしているファナへ向けて、付け足した。

「ふふっ。人質の身も色々考えねばならぬことがあるのですよ。あなたがたと一緒です」

 まあ、自分が地球の歴史書を読んでいたのはルドルフに会う前からであったけれども、”学友”と仲良くしておくために、あなたと同じですという面も見せておいた方がよいだろう。

 ジョゼフィーヌはそう考えて口にした。

「ありがとうございます。ジョゼフィーヌ様」

「では、わたくしはこれで」

 そう告げると、ジョゼフィーヌはファナから離れて図書館内をずんずんと抜けていく。

 立場上、少女たちと仲良くはしたい。とはおもっているのだが。

 元が武人である身からすれば、幼き女童めのわらわと関わるのはどうしても慣れない。というか、話をしていて困るというか。

 彼女たちと交わす会話はまだ、三往復ぐらいが限界なのだ。

 

 図書館を後にしたジョゼフィーヌは、離宮の裏に設けられた庭園のベンチに腰をおろした。

 昼に近づいてあたたかくなりつつある大気に身体を緩めていく。

 ―――今はもう、前世の余生のような気がしている。

 出家したようなものだ。この身体なら、男の欲にも振り回されず、おだやかに過ごせるだろう。

 ジョゼフィーヌはそう思ったりもしていた。

 地球の歴史書には、自らが死んだ何百年も後のことまで記されていた。

 歴史物語は、転生者の記憶を寄り合わせて編纂されている。つまり、前の世代がより早く転生してくるというようにはなっていないらしいのだ。

 本当にこの世はわからぬことだらけである。

 “ひのもとのくに”の行く末について記された書物があると知った時は、狂ったように読みふけった。

 我らを殺すことを命じたであろう”関白殿下”の血は次の代で途絶え、直接手を下したあの武将の家も取りつぶしになったと聞く。

 己は死の間際に、六代先まで祟ると奴らめを呪ったが、六代もちはしなかったのだ。

 転生者からの伝聞を集めた書にはどれも、我ら一族の名は出てこなかった。我らの一族や、関わりのあった者どもがこの星に生まれて来ていないらしい。

 ・・・いや、薄々気付き出していた。

 我が一族が所詮、歴史書に残すに値しない、取るに足らない小大名、”敗者”でしかないことを。

 今なら知っている。我らがいかに一介の、田舎侍の大将にすぎなかったことを。

 あの男の築き上げた”国”にとうてい太刀打ちできるものではなかったことを。

 恨みが向かう先はすでに無くなった。

 生まれ変わった我が身は一族から、当主という責から解き放たれた。

 それでも。憎しみの火は消えてくれないのだ。

 恨みというものは、山火事のように、藪のなかで静かにくすぶる火種が、ふとした時に一気に燃え上がり辺り一面焼き尽くす。そういうものだ。

 己が、時勢を見誤ったために滅ぼしてしまった一族。父母も、妻も。和睦のために嫁がせた妹もきっと磔にされてしまっただろう。

 何もかもを忘れてしまえるものならば、どれほど楽になれるだろう。もう憎まずに済む。自責の念に押しつぶされてしまいそうになることもなくなるだろう。

 もう、忘れたことにして、ただ今を、ジョゼフィーヌという女として生きることだけを考えていこうとした。

 そんな己の前に現れたのが、かつての家臣、久太郎の生まれ変わりたるルドルフだった。

 何もかも失ったと思っていた前世の欠片が、ひょっこり自分の元へと帰って来た。

 本当に嬉しかった。

 だが一方で、どうしても前世を忘れさせてはもらえないのかという嘆きもあった。


 ジョゼフィーヌはふと、前方から走り寄ってくる人影に気が付いた。

 ルドルフだった。

 機嫌よくこちらへ向かってくる少年の姿を見ながら、少女は願う。

 忘れさせてほしい。俗世を捨てた僧のように生きていきたい。心からそう思う。

 だがもしも。久太郎と同じように、我らを滅ぼした男どももまた、この星に今生きているということがあれば、自分は正気ではいられなくなるかもしれない。

 すなわち、殺したくてたまらなくなるだろう。考えうる限りむごたらしい方法で。

 まっすぐに自分を慕い続けてくれている、愛しき家臣と一緒に、血を流そう。

 憎き仇どもの血の雨を、この星に降らしてくれよう、と。

 息を切らして走って来たルドルフが横に座ると、ジョゼフィーヌはつぶやくように尋ねた。

「久太は、もし我らを滅ぼした者達もまた、この時、この星に生まれ変わっていたとしたらどうする?」

「そりゃあもう、皆殺しにしますよ!出来るだけ、むごたらしく殺しましょうね!」

 血気盛んな調子で宣言するルドルフに、ジョゼフィーヌははしゃぐ子供を優しくなだめるような声を出して返した。

「そうだな。それがいい。まあ、奴らが再び我らの前に現れるなど、まずないであろうがな」

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愛しき修羅は星を吞む あいほべく @aihobech

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