エピローグ

 航空機の盛大なエンジン音が遠くから聞こえている。

 羽田空港のロビーはビジネスマンらしき人たちや旅行客などで賑わっている。夏休みの初めということもあってかその人数は目が眩むほどであったが、しかし不思議と僕の足取りははっきりとしたものだった。

 午前十時発、ロンドン・ヒースロー空港往き。

 それが僕がこれから搭乗する飛行機だった。


「いやはや、まったくびっくりしたよね。いきなりイギリスに行きますって言うんだからさ!」


 見送りその一。野々宮美里。夏休みだというのにも関わらず制服姿なのは、きっとこれから学校主催のボランティアか何かに参加するからだろう。あるいは部活をサボって僕の見送りに来てくれたのかもしれない。


「本当ですよ、楠木先輩。見送る側のことも考えてください」


 見送りその二。枢木胡桃。野々宮さんとは異なり、彼女は私服姿だ。突然の報告だったからやはり些か不機嫌なのが、手に取るように分かった。


「前々から考えていたんだけどね。一度は行ってみたいって」


 それは僕自身の望みでもあり、そして猫屋敷綾が望んでいることでもあった。彼女は――彼女の魂はもうこの世にはいないけれど、しかしだからこそ、彼女が見たがっていたものを僕も見ておこうと思ったのだ。それは決して彼女に囚われているということではなく、僕なりの過去との決別のつもりであった。端的に言えば傷心旅行という奴だ。


「まあまあ、お二人ともそれくらいにして……向こうでは私の知り合いが面倒を見てくれるそうなので、どうか安心して行ってきてくださいね、楠木さん」


 見送りその三。渡嘉敷雅さんがそう言って微笑みかける。彼女も野々宮さん同様制服姿である。文芸部の活動は夏休みの間は休止にしているから、もしかしたら野々宮さんと一緒に何かのボランティア活動にでも参加するのかもしれない。

 正直な話、僕がこのイギリス旅行を決断した理由は彼女の存在によるところが大きい。コネが皆無なら僕だって尻込みしていただろう。本当にありがたい話だ。

 さて。

 そろそろ飛行機の時間だ。行かなくてはならない。

 そう思った僕の前に、渡嘉敷さんの右手が伸びる。


「いってらっしゃい、楠木さん」

「いってきます、渡嘉敷さん」


 僕は差し出された右手に応えながら、そう言ったのだった。




 飛行機に乗ったのはこれが初めてではない。以前家族旅行で沖縄に行った時も乗ったから、これで二回目である(修学旅行は新幹線での移動だった)。

 僕は座敷に深く腰掛け、時間潰しの為に持ち込んだ文庫本を広げる。日本からロンドンまでは約十二時間、長い空旅になりそうだ。

 ――離陸から二時間余り経過した頃である。不意に機内に妙な放送が流れた。


「お客様の中にお医者様、警察関係の方はいらっしゃいませんか?」


 医者だけならともかく、警察関係者もということになると、もう考えられることは一つしかない。

 僕は警察関係者ではないけれど、しかしここ数日で警察のそれなりに偉い立場の人と知り合った(これも野々宮さんの紹介である。今後何か大きな事件に巻き込まれた時の為だと言うが、本当に彼女は何者なのだろう)。だから警察関係者に対する言い訳は、後で何とかなるだろう。

 僕は巡回中のCAさんを呼び止めて、言った。


「探偵で良ければ、ここにいますよ」


 どうやらロンドンまでの長い旅路は、また忙しくなりそうだった。

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猫みたいな少女、名探偵の僕 冬野氷空 @aoyanagikou

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