なぜその足で太ってるんだ?


 

 昼前には森を抜けて、魔女通りから二軒跨にけんまたいだ住宅の近くにある排水溝から下水道に入る。片足が閉所恐怖症のマジシャンの様になってから、いつものコースだ。

 別に壁を上る事が出来ない訳じゃないが、余計な体力を使わないといけない。下水を歩けば当たり前に現ドブネズミ達と顔を合わすことになるが、そんなものは気にしなければ良いし、気にならなくなった年頃に、俺はなったのだと思っている。


「よう、三本足」

 下水を少し進むと、いつもの痩せたドブネズミが声を掛けてきた。それにしても、毎度のことながら面白味の一つも無いあだ名だ。どうせなら杖付き老紳士だとか、食肉用競走馬だとか、小洒落たあだ名を付けて欲しいもんだ。

「おはよう、町外れのボロ小屋」

「毎回そう呼ぶが、なんだそれは」

 いつもの痩せたドブネズミは、そういって笑った。褒められていないことは分かっているだろうが、それに怒るほどの気性は持ち合わせていないんだろう。まぁ、それはお互い様だ。


「またママに餌を貰いにいくのか?」

 いつのも台詞を口にして、いつもの痩せたドブネズミはまた笑う。

「あぁ、君と違って優しいママが待っているんだ。こんな足になっても食事に困ることは無い。四本の足が健在で食事に困っている君と俺は、どっちが幸福だろうな」

「別に困ってなんかいない。好きでここにいるんだ。そんな足になるぐらいなら、少しぐらい食べれなくても結構だ」

 いつもの痩せたドブネズミは若干声を上擦らせて話している。少し意地悪をしてしまった。

「そうか、すまない。君が幸せなら何よりだ」

「ふん、気取りやがって」

 いつもの痩せたドブネズミは、いつものように顔を背けて下水道の奥へ消えていった。俺は足を引きずって進んでいく。

 まぁ、こんな町の端を住処にしてるんだ。本来気弱で内気な奴なんだろう。町の中心から追いやられたか、生存競争から逃げ出したか、そんな所だ。そのストレスを俺にぶつけて僅かでも救われるなら、いくらでも受け入れてやるさ。


 下水道を歩いていると、当たり前に何匹かのドブネズミとすれ違うが、声を掛けてくる奴は意外と少ない。ほとんどは哀れみか蔑み、好奇か疑惑を浮かべて、遠くから眺めるだけだ。全く気にならないと言えば嘘になるが、まぁ、俺も歳をとった。

 声を掛けてくるドブネズミは少ないが、たまに若いドブネズミがその若さにカマケて無垢な疑問を口にする事もある。


「なぜその足で太ってるんだ?」


 まぁ、無垢な疑問だ。この足で食料にアリツケるドブネズミは少ないだろう。しかしたまにでも肉を食べ食後の菓子パンまで食べている俺は、運動不足も相まって若干だが肥えている。若干だ。だから、下水にいる一般的なドブネズミにしては不思議で溜まらないはずだ。

「人間と暮らしているのさ」

 俺は嘘を付かずに答える。この答えを聞いた若いドブネズミの反応はほぼ全員一緒だ。

「笑えるジョークだな」

 そういって、言葉通り笑いながら去っていく。まぁ、基本的にはドブネズミだ。自分以外にあまり興味を抱かない。脳内の真ん中に響く命の危険を感じなければ、列を成して下水道から飛び出ることも無い訳だ。


 下水道、ドブネズミの住処に、俺の知った顔は少ない。元々三年前のある事件で同世代のドブネズミが一気に死んでしまった事もあるが、少女と三年も暮らす内に、元々少ない顔なじみはさらに少なくなった。ただ俺も元ドブネズミだ。その事に関して感慨かんがいふけるとか、わざわざ探し出すような心情は持ち合わせていない。


 通り過ぎ様にあからさまに笑われたり、早産の子羊なんて小洒落たあだ名を付けられたりしながら、俺は下水道を進んで、少女の働く宿場に一番近い排水溝に向かった。周囲を警戒しながら地上に這い出る。

 小動物専用の細い通路に身を隠しながら、宿場の裏側へ向かう。正直ここで、ドブネズミは爪や牙を立てて残酷な好奇心の標的にしても良いと思っている奴らに出会えば俺の逃げる切る術はないが、運が良いのか俺の警戒心が強いのか、片足がカナヅチのカモノハシの様になってから襲われた事は無い。まぁ、本気を出せばどうにかなると思ってはいるが、出会わないに越した事はない。


 宿場の裏側に到着して、俺は片足を引きずりながら壁を上る。三本足にも慣れたモンだ。以前の様に素早くとはいかないが、難もなく上れるようになった。

 建物の中腹にある小窓から、俺は宿場の中へ侵入する。いつも僅かに隙間が空いている、俺専用の入り口だ。そこは二階に上がる階段の踊り場で、昼頃のこの時間は、繁忙期はんぼうきじゃ無ければ人通りは少ない。一年間で何度も訪れているが、一度だけドブネズミに無関心な宿泊客に見つかっただけで、騒がれたことは無い。まぁ人通りが多ければ、屋根裏から侵入するだけだし、他にも侵入経路はある。


 俺は周囲を警戒しながら階段の踊り場に降りて、そこに設置されている花瓶置きの裏に空いた壁の穴から、まるでドブネズミの為に作られたとしか思えない壁と壁の隙間に身を隠す。ここにさえ入ってしまえば、宿場のどこへでも行ける。まさしく、ドブネズミの為に作られた通路だ。

 少女はこの時間、昨日の宿泊客が多ければまだどこかしらの客室の清掃をしている。そうじゃなければ調理室で仕込みの手伝いをしていたり、買い出しで宿場に居ない事もある。余程やることが無ければ、受付の奥にある小部屋で茶でも飲みながら、胸が大きな女と夕方前から始まる忙しない労働の前に休憩でもしているだろう。


 俺は始めに調理場へ向かった。ドブネズミ専用の通路を歩いて一階に降りる。食器棚の裏にある壁の穴から調理場に出て、その食器棚の上面に身を隠す。そこに並べられたあまり、というかまったく使われた形跡の無い埃を被った食器の陰から調理場を見渡した。

 少女は居らず、店主の奥さんが健気に鍋を回している。背が低く若干肥えていて、異常に胸が大きな中年女性。フクヨカな体つき同様に、おっとりとした人柄の良い人間だ。少女の手料理も、この人間のおかげで随分と上達した様に思う。


 少女が来る気配が無いことを確認して、俺は食器棚を降りた。次に向かうのは、受付の奥にある小部屋だ。専用通路を移動して、そこに向かう。

 壊れた木箱や汚れたシーツが積み重なった裏に空いている壁の穴から、俺は小部屋に入った。この小部屋は物置兼、少女の様に雇われた人間達が着替えも行う更衣室兼、休憩所に使われている。元々は中程度の広さを持った部屋だったのかもしれないが、今はモノに溢れて窮屈な小部屋になっている。まぁそのおかげで、俺が身を潜める場所がいくらでもある訳だが。


 小部屋にも、少女は居なかった。こうなれば、少女は客室の清掃中か、買い出しに行ってるわけだ。おそらく胸が大きな女と共に。

 俺はしばらく少女の登場を待って、再び調理場へ戻った。いつもの様に食器棚の上面に身を隠して、何やら大量の食器を並べている店主の奥さんを眺める。

 少女はまず、何かが終わると調理場を訪れる。買い出しなら買った食材をここに持ってくるし、客室の清掃が終われば、手伝いを申し出にここを訪れる。何も無ければ、休憩の流れだ。俺も少女と同様に一年近く宿場に通っている。もしかすれば少女よりも宿場に詳しいかもしれない。


 店主の奥さんが食器をいくつかのお膳に並べ終えてから、再び鍋を回し始めたぐらいで、大きな布袋を持った少女と胸が大きな女が現れた。

「買い出し終わりました」

「ジャガイモ重たいですぅ」

 大量の卵を丁寧に取り出している少女の隣で、胸が大きな女は調理台の上に布袋を雑に置いた。

「はい、じゃあ皮むきと卵割りお願いね」

 店主の奥さんは意も介さずに指示を出す。

「私が皮むきをやるわ」

「やった、皮むき苦手。いつも指を切っちゃうの」


 少女と胸が大きな女は、分かれて作業を始めた。少女は慣れた手つきで芋の皮を剥き始めて、胸が大きな女は卵の殻を上手く割れずに、何度も器に指を突っ込んでは、不器用な作業に励んでいる。

「今日は三階の大室で祝い事をするお客様がいるの。料理を運ぶのが大変だと思うけど、よろしくね」 

「お料理を落としたりしないように気をつけなくちゃ」

「私絶対落としちゃう」

「絶対落としちゃ駄目よ」

 三人は同時に笑って、再び取り留めの無い話をしながら調理を続けた。俺はそれを、食器棚の上から眺めるだけ。いつもの平凡だ。

 ドレスを身にまとってる者はいないし、洒落たワイングラスを傾ける話も無い。細切れにされたサンドウィッチを運ぶウエイターも居ないし、手の甲にフレンチなキッスをする気取った紳士も居ない。ただ三人並んで金の為に調理をする。疑いようの無い平凡だ。おとこの為でも無く、卑しい事も無い。俺はそれを、ずっと見守りたいと思っている訳だ。


 もちろん俺はただの元ドブネズミだが、それぐらいの願いなら、口にしても良いと思っている。  

 

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