終章
終章
オープンキャンパスの日。籠原大学
高校生と、親子連れが何人かやってくる。殆どの者は、この大学を本命ではなく、併願のつもりなので、あまり真剣さはない。
講堂
司会「それでは、籠原理事長からご挨拶をいたします。」
と言っても、真剣に聴いている者は少なく、スマートフォンでメールを打っていたり、ゲームをしたりしている者ばかりである。保護者も、注意していない者が多い。
籠原はそれを無視して、縁談の上に立つ。
籠原「皆さん、本学にご訪問くださいましてありがとうございます。」
誰も返答するものはなかったが、籠原は続ける。
籠原「今、日本の教育は危機に陥っております。その原因は、ただ座って授業を受けるだけの授業形態と、少子化による、高校側の、進学率至上主義のせいでしょう。しかし、日本政府は、これを黙認したままで、これを変えようとはいたしておりません。これでは、高校生の皆さんは非常に苦しい立場に追い込まれているのでしょう。それは、高校生だけではありません。それを引きずっている大学生にも被害者はいるのです。」
保護者達の視線が籠原に集まる。
籠原「保護者の皆さんも、大学へ行くと言っておきながら、全く勉強をしないでいるお子様たちに対し、一生懸命尻を叩いて、中には自己嫌悪に陥っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして、教師の皆さんは、生徒が勉強をしようとしない中、進学率という仮の仮面に縛られて苦しんでいる方も多いでしょう。それなのに、日本政府は、いつまでも変えようとしないのです。そして、学校同士で責任のなすりあいをする。それでは、いつまでも解決していけません。ですから、その最終目標である大学が動かなかければいけないのです。どこかが動かないと、政府が気が付くのを待っているだけでは遅すぎるのです。」
籠原はさらにつづける。
籠原「生徒のみなさん、どうして音楽をされたいと思っているのでしょうか?それを就職に結びつけようとお考えですか?それはすぐにやめてしまいましょう。」
高校生たちから失笑が上がる。
籠原「確かに、音楽関係の職業に就くことができる方もいるかもしれませんね。しかし、それは、ほんの一握りであることを忘れないでください。」
高校生「だったら、大学は何をするところなんですか?就職先でどこ大を出たと聞かれることも多いでしょうに。」
籠原「はい。それはその通りです。では、皆さんに質問です、この世で、居場所があると考えている方はどれくらいおいででしょうか。もし、この中で、今の高校生活が本当に楽しくて、充実していると考えている方は手を挙げてくださいますか?嘘はいけません、正直に答えてください。」
高校生たちは、ほとんどの者が手を挙げなかった。
籠原「そうですね。やはり、答えは同じでした。質問を変えましょう。皆さんは学校で必要とされていると感じたことはありますか?」
誰も手を挙げるものはない。
籠原「わかりました。一般的な科目では、必要とされていると感じることは、なかなか難しいですよね。しかし、この感情こそが、一番人間にとっては重要です。それが欠損してしまうと、社会に出たとき、何もできない人間になってしまう。その挙句自殺ということもなくはない。話を、本題に戻しましょう。ですが、音楽というものを考えてください。音楽は、心を豊かにしてくれます。一つのパートがかけていたらつまらない音楽になる。そういうこともありますね。つまり、音楽には、ほかの科目では得られないものがたくさんあるんです。
ですから、私たちは、まず皆さんに、「必要とされている感覚」を取り戻してあげるような教育をしていきたいと思っています。方法はいろいろあるはずです。机の上に座るだけではなく、合奏でも合掌でも、何でもできます。そうして、自分がこの世に必要であると、こころから思うことができた時、皆さんは初めて「大人になる」のです。私たちはそのお手伝いをさせていただきます。そして、芸術関係で働くのはほんの一握りかもしれないけど、ここに来た思い出を忘れないでいられるような、そんな学校生活を提供していきたい。私たちは、そう考えています。きっとみなさんは、ここを本命にされることは少ないと思われますが、私たちは、こころから歓迎いたします。どうぞ、必要とされる瞬間を心行くまで味わってください!」
と、一礼し、退出する。
司会「続きまして、古筝科卒業生、柏原秀龍さんからご挨拶をいたします。」
理事長に支えられて、秀龍がやってくる。歩くのもままならなかったが、何とか縁台にたどりつく。
秀龍「みなさん今日は。卒業生の柏原です。」
高校生たちは、シーンとしている。
秀龍「僕は、いま関節リウマチにかかり、古筝とかかわることができなくなってしまいましたが、本日理事長先生から依頼がありまして、お話させていただくことにしました。僕は、ここからかなり離れた、龍山というところの出身です。そこは大変偏見が強くて、音楽をするというだけで村八分にされるような冷たいところでした。しかし、僕は、どうしても音楽をしたかったから、この街ににげるようにやってきて、この大学に入らせてもらいました。
もちろんつらいこともたくさんあったし、結果として、このような体にもなって、なぜ、ここに招かれたのか不思議で仕方なかったのですか、でも、確かに音楽というものに直接かかわることはできないかもしれません。しかし、偏見の中、耐えるということは身に付きました。僕の故郷は、音楽なんて仕事に結びつかないから、そんなものをする人間は死んでしまえと、平気で言う人がたくさんいたところでした。でも、この大学の中で、いろんな人に出会って、確かに結果としては何も得られなかったかもしれませんが、、、。それでよかったと思っているのです。音楽大学にいったのに、失敗した人間が、なぜこの縁台に立っているのか、不思議でならない方もいるのでしょう。でも、僕は、新しい人生を歩くためには失敗も必要だったと思っているんです。悪い人たちのいる地域で育って、結局何も得られなかったけれど、それでもよかったと思っているのです。きっと、皆さんの中でも、そうやって悪く言われて、傷ついている方はたくさんいますよね。この大学は、そのような皆さんを、心から歓迎します。どうか、その心の傷をいやすつもりで音楽に触れ、音楽の持つ気高さ、崇高さ、そして忍耐を、骨身にしみて味わってください。そして、間違った説法を説いて自分をかっこいいと思っている人たちを、軽蔑してください。もしかして、感性の言い方はそういうことさえもできないかもしれない。でも、それに巻き込まれないで、強い自分を維持することも必要な時もあるでしょう。いや、そのほうがおおい。どうか、周りの不用意な発言や、高齢者による偏見や、学校の教師たちによる軽蔑に負けないで!そして、音楽を武器にしないでも構いません。音楽から得たものは、目に見えるものばかりじゃないですから。どうか、偏見に負けないでください!長い時間聞いていただいてありがとうございました!」
と、最敬礼し、隣にいた籠原に支えられて、静かに退出していった。
しばらく講堂は水を打ったように静かだった。
杉三の家。
蘭「杉ちゃん、籠原理事長から手紙が来たよ。おかげで本年度は定員まで新入生が入ったから、大学はつぶれなくてもいいって。」
杉三「よかった。」
蘭「それだけしか感想ないの?」
杉三「よかったのはよかったの。さ、買い物に行こう。」
蘭「杉ちゃんは、やっぱりそうなるよな。」
杉三「何よりも一番幸せだからね、これが!」
終わり
杉三中編 Triangle 増田朋美 @masubuchi4996
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