第四章

第四章

製鉄所。「たたらせいてつ」と平仮名で書かれている紙が貼られた正門の前でワゴン車が止まる。

運転手「はいどうぞ。降りてください。」

蘭「長く移動して、お体、大丈夫?」

秀龍「ええ、一応痛み止めは持ってきましたので。」

蘭「リウマチが出たら遠慮なくいってね。僕らは何も知識がないので、、、。」

杉三「そんなこと、彼が自分で努力すればいい。さあ入ろう。運転手さん、僕らを下して。」

蘭「杉ちゃん、運転手さんにお礼ぐらい言いなよ。すみません、今お金払いますので。」

運転手「ああ、後で振り込みでもいいですよ。」

杉三「手数料がかかるんでしょ?知ってるよ。」

秀龍「面白いこと言う方ですね。読み書きできないのに、手数料のことは知ってるって。」

蘭「はい。こういうことだけはなぜか知らないけど、覚えているんですよ。杉ちゃん。」

運転手「じゃあ、おろしますよ。」

と言って、杉三と蘭を外へ出す。杉三は運転手のほうは見ないで、正門のほうへ移動していき、門をノックする。

杉三「来ましたよ。新しいかた連れてきたよ!」

声「開けてありますからおはいりなさい。」

蘭「杉ちゃん、その門古いんだから、そんなに乱暴にたたかないの。壊れたらどうするんだよ。」

杉三は無視して門を開ける。蘭は急いでタクシーにお金を支払う。

蘭「帰りもお願いしたいので、またお電話いたします。」

運転手「わかったよ。」

と、車のエンジンをかけて去っていく。

秀龍「昔の、武家屋敷みたいな建物ですね。時代劇に出てきそうな、、、。」

杉三「僕はテレビを見ていないので、それはわからない。応接室はこっち。」

秀龍「は、はい。すぐ行きますよ。」

蘭「杉ちゃん、リウマチって本当に痛いんだから、少しかげんしなよ。どんどん進ませないほうが。」

杉三「いや、善は急げだからね。青柳教授、来ましたよ。柏原秀龍さんです!」

と、屋敷のふすまが開いて、

懍「どうぞ、おあがりなさい。」

杉三「はい!」

と、ガラガラと玄関の戸を開けて入ってしまう。外が日本風のつくりである代わりに、中は全く段差がなく、車いすであっても簡単に入ることができる。

杉三「こっち!」

と、応接室へ向かい、ドアを開ける。

懍「ようこそいらっしゃいました。あなたが、柏原秀龍さん。」

秀龍「はい、そうです。よろしくお願いします。」

懍「よろしく。主宰者の青柳です。」

杉三「正式には青柳懍教授だ。よろしくね。」

と、懍に右手を出すように促す。懍がその通りにすると、杉三は秀龍の右手を握らせる。

秀龍「すみません、連れてきてもらったものはいいものの、僕はご覧の通り、製鉄というものには参加できないのですが、、、。」

懍「ああ、気にしないでくれていいですよ。製鉄は確かに本業ではありますが、できる人だけやればいい。できない人は参加しないでかまいません。ほかにしてもらうことはたくさんありますからね。かえって、できないと宣言してくれたほうが、いいんですよ。日本の学校ではみんな同じことをするのを美しいと思っていますが、それは毒にもなりますからね。」

杉三「そうそう。彼もそうなんだけど、学校は百害あって一利なし!」

秀龍「自宅にいた時は、痛みのせいでほとんど何もできなくて、ずっと布団で寝ていました。そんな人間が、ここにいてもいいのでしょうか?」

懍「ええ、全くかまいません。先ほどの杉三さんの言葉とは矛盾するようですが、ここで寝泊まりして、通信制の高校に行っている者もおります。ここでパソコンを使ってインターネットで会社をやっている者もいますよ。ただ、厳守してほしいルールがただ一つだけあって、ここを終の住処としないこと。それさえ守ってくれれば、何に使ってくれてもいいですよ。」

杉三「きっと、すぐにやれることが見つかるよ。青柳教授は僕と一緒で、機械が大嫌いだからね。機会を取っ払えばいい仕事はすぐ見つかるもんさ。ここでやっているたたら製鉄だって、機械を一切使わない素晴らしい製鉄法なんだよ。」

懍「まあ、有名なあの映画では、この製鉄を悪事として描いておりましたが、僕はその反対だと思うんですよね。確かに、大量の材木を使って砂鉄をとかしますから、木はどうしても必要になる。でも、それをさせることによって、自然のありがたさを学ぶことができるんです。そこさえ押さえておけば、悪事には絶対ならないはずなんですよ。まあ、それを忘れてはいけないとあの映画は訴えたいのでしょうが、しかしあのような描き方をしてしまっているから、僕たちも規模を縮小しなければならない羽目になりましたけどね。」

秀龍「そうなんですか。」

杉三「決して、捨てられたとか思わないでね、ここの人たちは、優しすぎるくらい優しい人たちだよ。怖い顔してる人もいるけど、それは傷ついているからさ。君みたいに、学校で木傷ついている人も大勢いる。前にも言ったけど学校は、百害あって一利なし。これをみんな知っているから、きっと楽しい生活が送れるよ。いろいろ大変なこともあるのかもしれないけど、きっと誰かが助けてくれるから。大丈夫、幸せになれるさ。」

蘭のスマートフォンが鳴る。

蘭「もしもし、あ、お母さん、ああ、もうそんな時間ですか。じゃあ、僕たち帰りますよ。タクシーだから遅くなってしまいますが、本当にごめんなさい。すぐに帰らせますので。」

と、電話を切る。

蘭「杉ちゃん、もう僕らは帰ろう。君のお母さんから電話だ。和裁教室行く時間だって。」

杉三「まだ説明終わってないのに。」

蘭「杉ちゃん、人のことばっかりじゃなくて、君の、お母さんのことも考えなきゃ。それに、カールおじさんにも迷惑になってしまうよ。和裁教室さぼってると。」

杉三「わかったよ。じゃあ、僕らも何かもって会いに行くから、楽しく過ごしてね!何かあったら、青柳教授もいるからね。みんなやさしい人たちだから、大丈夫だよ!」

と、秀龍の肩をたたく。

と、外で車が止まる音。

運転手「すみません、介護タクシーです。お迎えにあがりました。」

蘭「お迎え来たから急いで帰ろう。」

懍「ええ、僕たちに任せてください。杉三さん、他人のことばかり心配するのは確かに良いことなのかもしれませんが、自分のことをおろそかにしてはなりませんよ。」

杉三「はい、わかりました。じゃあね!また来るから!リウマチが出たらすぐいいな!じゃあ、僕らはこれで!」

蘭「お元気で過ごしてくださいね。」

と、迎えに来た運転手に連れられて、帰っていく。

秀龍「あ、、、。」

懍「まだ不安ですか?」

秀龍「ええ、正直に言うと。杉三さんに言われて来てみましたが、なんか思ったよりハードルが高くて、、、。」

懍「これが、あなたの居室です。好きなように使ってください。たぶんもう、掃除も終わっていると思います。」

と、カギを一つ渡す。

秀龍「アパート、なんですか?」

懍「似たようなものですね。食事は、ほかの者と食べてもよし、一人で食べてもよしです。まあ、製鉄をやるものは、食事の時間は大体決まっていますけれども。やるかやらないかは本人の自由ですから。終の住処にしなければ、何をやってもかまいませんよ。まあ、あなたは、リウマチがあるようだから、はじめはなれるまで、無理をせずに過ごしてください。幸い、この近くに病院もありますし、鍼と灸もあります。」

秀龍「わかりました。少しばかり心細いですが、よろしくお願いします。」

懍「とりあえず、部屋へ行ってみてはいかがですか?水穂が、掃除していると思います。」

秀龍「は、はい。」

痛い足を引きずり引きずり、廊下を歩いて、一番奥の部屋へ歩いていく。すでに「柏原」と達筆な字で名前が書かれている。

秀龍「すみません。」

こわごわドアを開けると、男性が咳をしているのが聞こえる。同時に、床をぞうきんで拭いている音がする。

秀龍「入ってもいいですか?」

声「ああ、もうしわけありません、掃除してたら、かえって汚くさせてしまったので、今拭いているところなんです。」

秀龍「どういう意味ですか?」

おそるおそるドアを開けると、水穂が部屋にうずくまり、右手に持った雑巾で床を拭いているのであるが、一か所だけを集中的に拭いている。彼が左手で口を拭うと、指が赤く染まる。

水穂「もうしばらくお待ちいただけますか?これでは申し訳ないですから。重曹で拭くとか、何とかしますよ。やったのは僕ですから手は出さないでください。」

秀龍「でも、僕、、、。」

水穂「ああ、ごめんなさい。お休みになりたいですよね、それでは、応接室で待っていてもらえますか?住人の方の前で、掃除をしている者が、自らの過失を処理できないのは、重大な職務怠慢になりますから、、、。」

と、いうが、さらにせき込む。

秀龍「あ、ああ、大丈夫ですか?休まれたほうが、」

水穂「いえ、かまいません。掃除を続けますよ。」

秀龍「もういいです。僕も、体を病んでいるから、無理するとどうなってしまうのか、よくわかります。どうか、無理はしないでください。」

水穂「ありがとう、、、。優しいね。」

と、床を拭く手を止める。秀龍は、彼の近くに立ち寄る。

水穂「あなたが、柏原秀龍さんですか。」

秀龍「そうですけど、、、。」

水穂「僕は、磯野水穂と申します。よろしくどうぞ。」

秀龍「あの、ここは一体何をするのでしょうか、鉄づくりにかかわらなくてはいけないのですか?」

水穂「いえ、その必要はありません。僕もここで暮らしていますが、鉄づくりはできませんし。実際に鉄を作っているのは、半数程度ですよ。あとは、ここから高校に通ったり、働きに行ったり、中には仕事のストレスがたまって、ここでリフレッシュするだけの人もいます。僕は、こうして掃除とか、犬の散歩といった、雑用をしていますけど、それでもいさせてくれますからね。」

秀龍「そうですか、、、。」

水穂「基本的に何をやってもいいのです。好きなことをやれば。」

秀龍「水穂さん、聞いてもいいですか?」

水穂「どうしたんですか?」

秀龍「ええ、人って、なぜ生きていなければならないんですか?僕は、もう、死ぬしかないって思ってるんです。なんか一生懸命勉強して大学にいったけど、結局得たものはリウマチしかなかったんですよ。一生懸命、厳しい先生の指導にも耐えましたけど、何の結果を残すこともできなかったのです。僕が住んでいた龍山は、ものすごく偏見の強い地域で、母は、近所のお年寄りが、音楽なんて何も役に立たない、すぐに辞めさせろと怒鳴られながら、僕を立派な古筝奏者にすると言って対抗していました。大学へ行って、母も一緒に来てくれて、二人で家を借りて、大学に通いましたけど、あろうことか野口先生に習うことはできず、それまで習っていた大石という先生に習うことになったんです。僕は、お詫びの気持ちを兼ねて、一生懸命大石先生についていこうとしましたが、何をやっても気に入られたことはありませんでした。友人も大石についているからと言って、誰も近づいてはくれませんでした。一生懸命やれば必ず結果は見えてくる、それを信じて生きてきましたけど、体は悪くなる一方で、どうにもならなかったのです。僕がこうなっていくにつれて、母もだんだんに感情的になり、不安定になっていって。僕は、母の人生も台無しにした、親不孝な息子ということになる。もう、完全にさらし物としか言いようがないのです。だから、何をやっても投げやりになってしまって、、、。リウマチが出るたびに思い出すんです。母が、龍山で喧嘩していたことや、大石先生につらく当たられたことも。だからそれも苦しくて、いつまでも忘れられないんですよ。みんな、忘れてしまえと言いますけど、どうしてもできない。だから、もう死ぬしかないのではないかと、、、。」

水穂「そうですね。理路整然としているから、こちらも、どんな言葉をかけても通じないでしょう。でも、気持ちはよくわかりますよ。おんなじ経験してますから。僕は実際に、妻にいらない人間だと思われたんでしょう、殺害されそうになったことさえあるんです。男は金を作れなければ、産業廃棄物みたいなものですからね。今の時代は、離婚して一人で暮らすことだってできるんですから。それもわかっていたから、僕もこのまま死のうと、何回も思いましたよ。でも、たった一つ、やらなきゃいけないことがあるのです。」

秀龍「やらなきゃいけないこと?」

水穂「ええ、刑期を終えて帰ってきた妻を出迎えてあげること。なんだかおかしな話ですが、妻も僕みたいな夫をもってかわいそうだなと思ってるんです。だから、そのために、生きていかなければならない。それを一生懸命自分に言い聞かせて、ダメだと思う自分の心をたたいているわけですよ。僕も確かに、もうだめだと何回も思ったことがあります。でも、妻は僕が迎えに来るのを待っているんじゃないかなあ。それはどういうことかというと、僕が、妻にもういいのだと、もう十分にやっていけるのだと言ってあげることだと思うんですよ。だから、こんなボロボロの体になっても、生きていようと思うわけです。」

秀龍「僕はいるだけで、母に申し訳ないと思ってしまうのです。」

水穂「でも、お母さまはきっと、待っているんじゃないですか?あなたのほうから、手を差し伸べてあげればね、きっと安心すると思いますよ。」

と、言い、さらにせき込む。

秀龍「み、水穂さん、大丈夫ですか?」

水穂はせき込みながら、着物の懐に入っていた粉薬の袋を取り出す。秀龍は急いで持っていたカバンの中からペットボトルの水を取り出し、水穂に手渡す。水穂はせき込みながらなんとか薬を口へ入れ、水で流し込む。しばらくすると咳はとまる。

秀龍「水穂さん、、、。そこまで、奥さんを待ち続けているのですか、、、。」

水穂「ええ、たった一人の妻ですから。」

その言葉はどこかインパクトがあった。

水穂「ごめんなさい、重曹で拭いておきますから。気持ち悪いでしょ。」

秀龍「僕がやっておきますよ。水穂さんは横になったほうが。」

水穂「いいえ、責任とらないと気が済まなくて、、、。」

秀龍「でも、お体のほうが大事なのは僕もわかりますから。無理はしないでください。」

水穂「ごめんね。」

秀龍は、水穂から雑巾を受け取って、その汚れを拭いた。水穂は重曹で落とさなければならないといったが、意外に汚れは簡単に剥がれ落ちた。


籠原大学の理事長室。

大石「なんで私が呼び出されなければならないのです?野口が自殺して、古筝科を守っているのは、この私なんですよ。」

籠原「それだから困ります。大石先生、あなたは女性だし、一人で古筝科を引っ張るのは難しいようですから、新しい講師を雇おうと思っています。」

大石「なんですか、理事長は女性を軽視するのですか?」

籠原「いえ、していないからこそ、もう一人講師が必要です。」

大石「でも、古筝科の生徒は今は数人しかいないのですから、私は十分に指導をできますわ!」

籠原「いや、それは間違いですね。久保君から聞きましたよ。あなたは、あまりにも感情的で、とてもついていけないと。先生、久保君、最近学校で見かけませんね。どうしてなのでしょうか?」

大石「そんなの知りませんわ。今時の大学生らしく、遊んで暮らしているんじゃないかしら。」

籠原「そうですかね、ご家族に電話して聞いてみましたが、久保君は、あなたの指導に嫌気がさして、別の大学にいきたいと言いだしたそうですよ。」

大石「彼が私を裏切るようなことをするはずがありません。それに、どうせ当てが見つからなくて、頭を下げるんじゃないかしら。」

籠原「そうですかね。今は、大学なんぞ誰でも行ける時代ですし、すぐに大学を辞めてもうるさく言われない時代なのですから、そうとは言い切れないと思いますけどね。」

大石「いいえ、私の指導が守れていれば、頭を下げてくるはずです!私は間違ってはいませんから。理事長こそ、私を軽視して、女性軽視はセクハラですよ!」

籠原「そういうすぐに感情的になるのがいけないのです!先生、生徒は、名声を上げるための機械だと勘違いしないでください。ある政治家が女性は子供を産む機械と発言したことがありましたが、先生はそれと同じなんですよ!」

大石「何がわかるんです!私は、大学の中で必死でやってきました。その何がいけないというのですか?だって、自分のために働かなければ、誰だってやっていけませんよ。ええ、そうでしょう?」

籠原「確かにその通りかもしれませんが、被害者は誰なのか考えてください!先生が指導した柏原が、今どうなっているか、ご存じですか?」

大石「ああ、あの子なら、きっと古筝関係で働けるんじゃないですか?」

籠原「そんなのんきな発言をするから悪いんですよ!彼は卒業した直後にリウマチにかかって、二度と良くならない生活なんです。彼のお母様は、自分が彼に、あなたに師事しろといったことを後悔しすぎて、精神疾患にかかっている。つまりあなたは、生徒とその母親の二人をつぶしたということになるのです!そんな人間が教育者になる資格はありません!本当は、あなたにここから出て行ってもらいたいくらいですよ!」

大石「そうですか。でも、こちらからも八方手を回させていただきますよ。私の顔に、泥を塗ったのですから!」

籠原「いくらでも塗って差し上げますよ!あなたがこりごりだというまで!」

大石「わかりました。じゃあ、その新しい講師とお幸せにどうぞ!」

籠原「おはいりなさい!」

と、跛行する音が聞こえて、ガチャリとドアが開く。

大石「柏原!」

籠原「見てください、この跛行のしかた、この手の変形。どうですか、これをやったのは誰だとお思いですか?これで古筝なんか弾けると思いますか?どうです?いいですか大石先生、しっかり見てください、そしてこれをしたのは誰なのか、、、。」

秀龍の手は、リウマチのせいで変形している。指に大きなこぶをこしらえており、顔は痛みとともにあることを如実に示していた。

籠原「柏原君、何かいいたいことがあれば言いなさい!」

秀龍「いえ、ありません。この手を見れば誰だってわかるはずです。あの時の面影はどこにもない。」

籠原「どうですか、先生。これを作ったのは誰なのか。これでも、しらばっくれる気ですか?柏原君、これからどうして生きていくつもり?古筝を失ったら、何もないだろうに、、、。」

秀龍「ご安心ください。僕はひと月、富士にある製鉄所で過ごさせてもらって、そこでぼくよりたくさんのかわいそうな人たちに出会ってきました。彼らは、とても美しい心を持っていた。でも、それを大人が無理やりかき回して汚いものにしようとしているのですが、彼らはそれをできず、しかしできなければいけないとして苦しがっている。僕は、もう古筝は弾けませんが、おかげさまで聴覚だけはきちんとしてきましたので、彼らの話を聞いてあげることにしたのです、先生。僕は、先生のおかげでこの仕事を見つけたといっても過言ではないですね。重い病気を持ちながらも、製鉄所で働いていた磯野水穂さんという人がこういっていたのです。つらいことは、確かにつらいけど、その裏側にあるものを感じ取れば、それを逆縁と言って、あたらしいことへの道祖神になってくれる。それは、見ることではなく、感じることでしかわからないと。僕は、もうそれを一度骨身にしみて味わったと思うので、先生、これからは新しい自分として生きていきますよ!」

大石「そ、そんなばかな、、、。」

籠原「いいですか、彼はこの結論を出すのに、実に十年もかかったそうですよ。その十年間何もできなかったそうです。それを何とかさせるも、教育だと思うんですけどね!」

大石は、がっくりと肩を落とす。

大石「許してください、、、。」

秀龍「許すなんて、とっくにしてますよ。道祖神は、すでにいるからです。目の前に。」

籠原「柏原君、本当に教育者としてすまなかった。私のほうこそ、許してもらわなければ。」秀龍「それを言うなら、杉ちゃん、いや、影山杉三さんにお礼してください。彼の説得がなかったら、ここまで成長できませんでしたから。」

籠原「まったく、あの人は不思議な人物ですな。不思議というより、すごいのかもしれない。うちの大学を、立て直すのに一役かってくれて、本当に、ありがとう。」

秀龍「涙なんか、流さないでくださいよ。」

籠原「すまんすまん、男泣きだ。」

大石「本当に、ごめんね、柏原君。その体になっていたなんて、本当に知らなかったから、私、もうどうしたらいいのか。治療費なら何でも出しますから、、、。」

秀龍「いえ、お金はいただきません。」

大石「どうして、私の責任でもあるんだし。」

秀龍「もう、治るものではないと診断されてしまいました、だから、古筝の世界には二度と帰ってこれませんよ。でも、もういいんです。経験というものを得ましたからね。それでいいと思うので、、、。」

大石「ごめんね、本当に、、、。」

籠原「さあ、この大学はみんなやり直しだ。これから、新しい校舎も立てて、新しい人をたくさん呼んで、、、。うん、いくらでもやり直せるさ。古いものを捨てなければ、新しいものは入らない。」

と、窓のほうを見る。

籠原「そろそろ、オープンキャンパスの支度もしないとな。」

秀龍「もうそんな季節ですか。」

籠原「そうさ、この大学の素晴らしさを、一生懸命アピールしないとな。ああ、やっと、何か重石が取れた気がしたよ。」

秀龍「霧が晴れてきましたね。理事長。いい大学を作ってくださいね。」


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