超大陸
南正太郎
*****
いつもの帰り道の、いつもの公園。
まだ時間も早いせいか、公園には子供の姿がちらほらと見受けられた。砂場に座り込んで山を作っている者。滑り台に登っている者。茂みでひそひそ話をする者。
「ねえ、湯山くん。スーパーコンチネントって知ってる?」
湯山の横を歩く少女が尋ねた。
「なんですかそれ」
「超大陸よ」
「超大陸……、パンゲアですか?」
パンゲアとはかつて地球に存在した巨大な大陸である。この大陸が地殻変動により分裂し、現在の六大陸が形成されたとされている。
「ええ、でもパンゲアは過去の大陸でしょ。スーパーコンチネントは未来の大陸なの。なんでも二億五千万年後の地球には、再びパンゲアのような超大陸が出現しているらしいわ」
「へえ。さすがは三年六組、萩原梢子先輩。物知りですねえ。ところで今度は何に影響されたんですか」
「ふふふん。えっとそれはねえ~」
多分に嫌味を込めたセリフは通じなかった。梢子と呼ばれた少女は眼鏡のブリッジに中指を当て、得意げに話を続ける。
「この間、テレビをつけたら
また始まった。湯山はそう思った。
梢子は何かと感化されやすい。バトル漫画に影響されてオリジナルの特殊能力を披露してみたり、深夜アニメに影響されて萌えキャラのあるべき姿を語ってみたり。そのたびに振り回されるのはいつも相方の湯山だった。
「で、それが今度書く小説と何の関係があるんですか」
二人は数年前から『萩の湯』というペンネームで創作活動をしている。アイデアを出したり、世界観を練るのが梢子の仕事。キャラクターや細部のシナリオを考えるのが湯山の仕事だ。以前から書いていた小説がこの間完成したので、最近はもっぱら次回作の構想を練っている段階である。梢子がこういう話をするときは、何らかの形で創作に関係していると相場が決まっているのだが……。
「そうね……。じゃあ」
梢子はあたりをきょろきょろと見回し、子供の戯れている砂場へと早足で向かった。そして、山を作っている子供たちの前でおもむろに立ち止まる。
「ごめんね、お姉ちゃんたち、この砂場使いたいの。代わってくれないかな?」
ぽかんと梢子を見上げる子供二人。無理もない、突然、人民服をまとった高校生に砂場を譲ってくれと頼まれたのだ。
「お願いっ! このジュースあげるからさ」
梢子はそう言って肩に掛けたメッセンジャーバッグから二つの紙パックを取り出し、戸惑う子供に無理やり押し付けた。学校の自動販売機で売っているカフェオレである。いくらミルクが入っているとはいえ、コーヒーなど渡して子供が喜ぶのだろうかと湯山は思う。
「さて」
子供を砂場から追いやると、梢子は立ち上がって湯山の方に向き直った。
「じゃあ、湯山くん。今から言うもの取ってきて」
砂場に戻った湯山が目にしたのは、両手を泥まみれにした梢子の姿と、その足元に作られた直径50cmはあろうかという砂の台地だった。
「あ、お帰り」
湯山の姿に気付いた梢子はにっこり笑ってこちらを振り返る。
「はい、雑草たくさん。言われたとおり取ってきましたよ」
両手いっぱいに鷲掴みした雑草を梢子に手渡す。すぐ近くの草むらで引きちぎったものだ。
「うん。ちょっと少ないけど、まあいいや。それと……」
「木の枝と小石ですよね。ちゃんと持ってますよ」
湯山はそう言ってズボンのポケットに手を突っ込むと、そこから一本の棒と小石を数個取り出した。
「はあ、勘弁してくださいよもう。枝や小石はともかく、何で学校帰りに草むしりなんてしなきゃいけないんですか」
「ごめんごめん。虫に刺されなかった?」
「幸いにして大丈夫でしたよ。最近は結構寒いですからね」
「ああ、そうか。もうそんな季節なんだ。早いな……」
梢子が夕焼けの秋空を見上げる。憂いを帯びたその表情が湯山の胸にチクリと突き刺さった。湯山が梢子と小説を書き始めて既に一年と数ヶ月。結成当時一年生だった湯山も今では二年になり、二年生だった梢子は三年になっていた。
「先輩、進学とかどうするんですか?」
「うーんまだ決めてないけど多分、そのまま残ると思う」
そのまま残る、とは付属の
「そっか。先輩、頭良いですもんね……」
思わず寂しそうな声が漏れた。
付属大学への進学が許されるのは一部の勉学優秀者だけである。湯山の成績では内部推薦の獲得は相当に難しい。梢子が真浜大学への進学を希望する以上、『萩の湯』の解散は時間の問題だと言えた。
「俺、頑張って勉強しますよ。勉強して……、絶対に先輩と同じ大学に行きます」
湯山は精一杯強がってみせる。そんな宣言だけで簡単に成績が上がるなら苦労はしない。湯山の言葉があてにならない口約束であることは、誰の目からも明白だった。けれど梢子はそんな湯山を意外そうに見つめると、
「うん。楽しみにしてるよ」
そう言って優しく微笑みをよこした。大きな黒縁の眼鏡が夕日を受けてきらりと輝く。『眼鏡っ娘』を自称する梢子のトレードマーク。お世辞にも似合っているとは言えない。けれど、眼鏡を外した姿が誰よりも可愛いことを湯山は知っていた。
「それで、結局何なんですか? その砂山」
梢子は「あっそうだった」と小さく声を上げると、咳払いをひとつして静かに語り始める。
「それは、宇宙のどこかの星の話……。大昔の地球か、遠い未来なのか、はたまた別の惑星なのかもしれない」
梢子は足元の、砂でできた台地をそっと指さした。
「その惑星には延々と広がる海と、そこに浮かぶ、たったひとつの大陸があるの」
「大陸?」
「そう。ユーラシア大陸なんかよりも、ずっとずっと広い大陸がね。ところで湯山くん。こんなに大きな大陸があると、その上ではどういうことが起こると思う?」
突然の問いかけに、湯山は意表を突かれる。
大きな大陸? 大きいってことは頑丈で動きにくいということだから……。
「じ、地震が少なくなるとか?」
「違う」
自説はあっけなく一刀両断された。
「大陸があまりに大きいとね、湿気を含んだ海の風が内陸部まで届かないの。森林は大陸の淵を囲うように広がるだけで、陸地の大半では延々と死の砂漠が続いている」
梢子は湯山が取ってきた雑草を手に持つと、縁取るようにそれを台地の外周に乗せていった。
「ここには人が住んでいるんだけど、人だって生物だから、水や緑がないと生きられない。だからこの大陸では、海岸線にそって都市国家が形成されているの」
今度は小石を手に取り、雑草の上にひとつずつ置いていく。泥まみれの細い指と、小石を置く慎重な手つきが湯山には妙にアンバランスに見えた。
「この世界の科学技術は未熟だから、大陸の中心部に何があるのかまったく分かっていない。神話や伝承が、かろうじてその一部を伝えているだけ」
梢子は足元の日に焼けた砂を左手で掴み、その砂を台地の中心部にパラパラと振りかけた。水気を含んだ黒い土が、真っ白な砂に覆われていく。
「なるほど、つまり……」
梢子が砂を撒き終わると、そこには広大な砂漠が出来上がっていた。単なる砂山でしかなかった台地は、今や
「つまり、これが次回作の舞台ってわけなのか」
「そういうこと。でね、湯山くん。この大陸の中心にね」
梢子はそう言って最後に残った小道具である木の枝を手に取ると、それを勢いよく大陸の真ん中に突き刺した。
「『何か』があったら面白いと思わない?」
不敵に口元を釣り上げる梢子。まるで悪巧みをしている子供のような表情だった。
「『何か』って?」
「それは今のところ未定。秘宝の眠る旧時代の遺跡かもしれないし、世界をひっくり返すような禁じられた魔法かもしれない。とにかく、そういうすごいものよ。大陸の中心にある『何か』を探して砂漠を旅する主人公……。どう、面白そうでしょ?」
満面の笑みを浮かべる梢子とは対照的に、湯山の心中には不安しかなかった。『何か』とは一体何なのか。設定だけ並べられても肝心の『何か』が決まらなければ、ストーリーの組みようがないではないか。その上どうも中世風の世界観らしく、考証が難しそうである。資料だって調べないといけない。面白そうどころか、できれば避けたい部類の話だった。
「えっと……」
湯山がそう伝えようと口を開きかけたそのときだった。
子供が一人、ものすごい勢いで滑り台から降りてきた。地面に両足を付けたその子は、つんのめりながら二人の間を早足で駆け抜けていく。
「あ……」
超大陸は、あっけなく踏み潰された。
森林がなぎ倒され、都市国家は海に沈み、クレーターが痛々しい傷跡となって大地に刻まれる。秘宝の在り処を示す木の枝は、天変地異の余波によってあらぬ方向へ飛んでいってしまっていた。
「せ、先輩……」
肩を震わせる梢子の姿が湯山を焦らせる。これはまずい。早く何とかしなければ。
「先輩、落ち着いて――」
「おい糞ガキ! 待てやこらぁ!」
湯山がなだめるより先に、梢子は叫び声と共に走りだした。ちらりと見えた横顔に浮かんでいたのは憤怒の表情。こうなると下手に手を出さないほうが賢明である。湯山は何をするでもなく、走り去っていく梢子の背中をただひたすらに眺めていた。
「はあ……」
梢子の怒声が遠くなる。うつむいてため息をつくと、踏み荒らされた超大陸が目に入った。
――面白そうでしょ?
梢子の自信に満ちた笑顔が脳裏をよぎり、湯山は苦笑した。さっきは否定的な言葉が喉まで出掛かったが、言わなくてよかったと思う。
「まったく……。変な話になっても知らないぞ」
そうだ。拙い話でも構わないではないか。別に出来の良い話が書きたくて創作活動を始めたわけではない。
先輩と一緒に何かを作りたい。
それこそが湯山にとっての動機だったはず。大切なのはその過程であって、出来上がったものなんて二の次だ。単純なことだったのに、良い物を書こうとするあまり、長らく忘れてしまっていた気がする。
「
遠くで子供の笑い声が聞こえた気がした。
そういえば梢子はどうなったのだろうか。さすがに子供に暴力は振るうような人ではないが、いかんせん帰りが遅い。ひょっとすると、子供を追い掛け回しているところを保護者に見つかって、お小言の一つや二つでももらっているのかも知れない。
探しに行ったほうがよさそうだ。そう考えた湯山は砂場に背を向けて歩き出す。頭上の秋空は紫がかったオレンジのグラデーション。時々刻々と姿を変える夕焼けと、航空機の吐き出す飛行機雲。
「泣いても笑ってもあと一年……、だな!」
飛行機雲が、ゆっくりと形を変えていく。
超大陸 南正太郎 @mayuragicenter
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます