白光の陰

八花月

全一話

 ああ、やっぱり帰ってからやれば良かった。

 放課後、図書室を出ながら六ツ院雪枝むついんゆきえは思った。

 慣れないノートパソコンを貸して貰って、気が昂ぶっていたのだろうか。

 違う、後ろめたかったのだ。

 きちんと許可は取っているのだが、今日の放課後から長期間練習を休む。当然試合にも出ない。

 もう自分が部に戻ることはないかもしれない……。雪枝は薄々そんな気がしている。

 雪枝は、腕時計を確認した。そろそろ部活も終わる時間か。

「おお雪枝君、まだ帰宅してなかったんだね。ちょうどよかった」

 わざとらしく声をかけながら近づいてくる人影。

 振り返らなくても、雪枝には誰かわかっていた。

「ちょっと頼まれてくれないか?」

 土佐十子とさとおこ。この、白光女学院で生徒会副会長をしている。

 雪枝が全幅の信頼を置いている人物だった。

「どのような御用を?」 

 今まで図書室でおこなっていた事も、この十子に頼まれた用事である。

「少しややこしいことなんだけどね。僕はいかにも君が適任だと思うからお願いするんだよ」

 さすがに悪いと思ったのか、十子は僅かに眉根を顰めた。

「君、今ソフト部で盗難騒ぎが起こってることは知ってるだろう?」

 雪枝は短く返事をして頷く。知らないわけがない。

 今朝まで自分が活動していた部のことなのだ。

「あれの犯人がわかったとかでね、今大騒ぎなんだよ。……いや、正確に言うと、今大騒ぎになり つつある、って感じかな」

「良かったじゃありませんか」 

 雪枝も気にはなっていたのである。

 一ヶ月ほど前から、ソフト部の部室から頻繁に金品が消える、と噂になっていたのだ。

 みな、偶然に物を失くしていただけかもしれないが、全員が薄々部内の誰かが犯人だろうと思っていた。

 もちろん雪枝もである。

 犯人が見つかったのなら幸い。どんな事情があったのかはわからないが、反省して立ち直って欲しい、と雪枝は心から思う。

 雪枝も部員達のことは良く知っているが、心底悪人だと思えるような娘はいなかった。

「良くないよ。何一つ良くない」

 十子はため息をつきながらかぶりを振る。

「犯人が水原だった、って言うんだから」 

「部長が?」

 何かの間違いではありませんか? と雪枝は声を張った。

 水原はソフトボール部の部長である。情に厚く面倒見の良い性格なので、人望もあった。

「当然だ、雪枝。こんな大事な時期に水原がそんなつまらないことをするわけがない。彼女には

 我々と分かち合う使命がある」

「それもそうですが、水原さんは……」

「ああ、うん、わかってるよ。人間性の話をしてるんだね」

 十子は微笑んで、雪枝の言の後を引き取った。

「僕の言い方が悪かった。水原の生一本は筋金入りだったね。我々の目的とは関係無く、理由のない盗みなどしないな」

 雪枝は十子の瞳を見ながら、はい、と頷く。

「頼みと仰ったのは?」

「ああ、雪枝にこの事件を上手く収拾して欲しいんだ」

 事も無げに言う十子と対照的に、雪枝はハッと息を呑んだ。

「それは、事件を解決せよという意味でしょうか?」

 十子はうーん、と鼻の奥を鳴らし、

「別に解決しなくてもかまわないが、解決した方が収拾しやすいだろうね」

と、返事をする。

「……私にそんな能力があるのでしょうか?」

「あるさ。君の重要な資質だ」 

 十子は、少し怒ったように口を開いた。

「まあ、正直なところを言えば、雪枝の紹介も兼ねている、といったところだ。水原と会長……

 リーダーに対してね」

 ああ、と雪枝はのどから声を出した。全てを了解したのである。十子は雪枝のために、この仕事を持ってきたのだ。

「わかりました」

 雪枝は一礼して、すぐにソフトボール部の部室に向かう。

「君はいつもよく人を見て、観察している。それがいかに得がたい資質なのかメンバーに知らせたいんだよ」

 十子は、雪枝の背中に声を掛ける。

「あと、くどいようだが、水原は私たちの大事な仲間だ。よろしく頼む」

 雪枝が振り返ると、十子はこちらに向かって頭を下げていた。

 その様子を見て、雪枝はもう一度深々とお辞儀をして、部室に駆けて行く。



 もう二度と入ることはないと思っていた部室に、こんなに早く戻ることになるとは。

 雪枝は、部室に向かいながら今朝のことを、よくよく思い出している。

朝練が終わりグラウンドから部室に戻った時、雪枝はふと涙ぐみそうになっている自分に気づいた。

 それほど熱心にやっていたわけではなかったが、これが最後の朝練だと思うと無性に切なくなったのだ。

 緩みそうになる涙腺にグッと力を入れて塞き止め、雪枝は誰もいない部室で自分のロッカーを開け、バッグの中から小さな花瓶を取り出す。薄く緑色のついた、半透明の小洒落た花瓶だった。

 手早く水を差し、これもやはり準備しておいた桔梗の花を一輪、テキパキと生ける。それを隅の小さなテーブルに飾り、ふうっ、とため息をついた。

 別に誰に頼まれたわけでもなく、雪枝としては一つの記念のようなつもりだった。

 自分がここからいなくなった後、少しの間であろうが、この花が残っていて欲しいと思ったのだ。

「やっぱり、感傷かな」

 ぽそりと、雪枝は誰ともなく呟く。

「なかなか心ゆかしいことをするなあ、六ツ院は」

 雪枝はびくっと肩を震わせ振り向いた。もうみんな行ってしまったと思っていたのだ。何となくこんなことをするのを気恥ずかしく思い、わざわざ誰もいなくなるまで待っていたのに。

「一人で残って何をしてるんだろうと思った」

 水原茜みずはらあかねである。迂闊だった。彼女は部長なので、最後に鍵を閉めなければいけないのだ。

「あ、あの、部長、あたし、今日から長期間練習をお休みさせていただくので……」

 何も悪いことはしていないのに、変にドギマギして言い訳じみた口調になってしまう。

「花一輪残して戦場に、か。風情があっていいな。六ツ院らしいよ」

 ハハハ、と笑いながら茜はおどけた調子で言った。

「いや、他人事じゃないんだけど。そろそろ私も引き継がなきゃなあ」

「でも、部長は部長ですから」 

 近い将来、茜もソフト部を休み雪枝や十子たちに合流しなければならない。いや、茜は二年であることを考えれば、もう二度と部に帰ることはないと考えたほうが良いだろう。実質引退だ。

「そうも言ってられないよ。くだらない騒ぎを残したまま部を去るのは心残りだけど、仕方ない な」

 茜は渋い顔をしている。盗難騒ぎのことを言っているのだ。

「そうですね。盗難だけじゃなく、その、ど、動画まで……」

 雪枝は思わず頬を染めて口ごもった。

 最近、この白光はっこう女学院ソフト部の更衣室、つまり部室の盗撮画像が出回っているらしいという噂まであるのだ。

 もっとも、こちらは悪意のあるデマだろうということで落ち着いているが、気分の良いものではない。

「ああ、そうだな」

 茜は苦虫を盛大に噛み潰したような表情を見せた。

「まあ、私が辞める時までに出来る限りのことはしていくよ。そこはまかせて」

 辛そうに無理やり笑ってみせる茜を見ながら、雪枝は罪悪感を覚える。自分だけさっさと逃げてしまうようで、気が引けるのだ。

 どうしても果たさなければならない、大儀のためとわかってはいるのだが。

 

 

 ああ、と雪枝は放課後の廊下を小走りに駆けながら心中で嘆息する。

 私はやっぱり間が抜けている。もうさんざん自分を責め苛んでのだが、思い出すとまた情けない気分になった。

 昼休み、まだ私物を残していたことを思い出し部室に行った時、ふとした拍子に自ら花瓶を割ってしまったのだ。

 また新しい物を買ってきて、生け直そうかとも思ったのだが、馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。

 どうも、自分はこの部に何一つ残していくことはできない、という運命らしい。

 これは部活動などに未練を残さずきちんと自分の使命を果たせ、という何者かからのメッセージだ、と無理やり心を納得させた。

 だいたい、顧問の森安もりやす先生がさっさと鍵を渡してくれないからだ。だから気が急いてしまって、あんなことに……。

 胸中で繰言を繰り返しそうになったが、雪枝はすぐにその暗い思いを振り払う。

 人のせいにしてもしょうがない。だいたい自分が放課後まで待てば良かったのだ。部のみんなと顔を合わせたくないからといって、無理に昼休みの間に部室に行こうとしたのが悪いのだ。

 ……でも森安先生も、きちんと鍵を保管してくれていれば良かったのに。「あれ、どこにいったかな?」なんて言いながら鍵を探す先生を、二十分近くも待っていなければ。

 ああ、いけない。やめようやめよう。

 再び頭を振って、雪枝は気を入れ直す。

 しっかりしなければ。これから難題に立ち向かわなければならないのだから。


 

 部室に着くと、さながらそこは野鳥の群生地のような混沌が支配していた。

「私、部長がこんな人だとは思いませんでした!」

 甲高い声が聞こえてくる。

「いや、まだわからないし……」

「だって今、恵見も見たでしょう?!」

 喋りながら感極まった様子で、その少女は泣き出してしまった。

「それは、見るのは見たんだけど」

 なだめている娘も、困惑している。

「あのう……」

 恐る恐る雪枝が部室に入ると、みな一斉に注目した。

「六ツ院か」

 茜が目を丸くして顔を上げる。心底驚いているようだ。

「何をしに来たんだ?」

 戸惑いの中に、若干憤りが抑えられないといった声音だった。

「あら雪枝、あなたも何か盗られてたの?」

 まだ睫毛を濡らした少女が、雪枝に問いかける。

「やめなさいよ、そういう言い方」 

 茜を責めていた娘が町田淳子まちだじゅんこ、とりなしているのが坂崎恵見さかざきめぐみ。共にソフト部の二年で、雪枝の同級生だった。

 何をしに来たのか? と問われると困ってしまう。

「サブリーダーに言われて来ました」 

 最適な答えを探した末、雪枝はこう口に出した。

「……土佐に? そっちのほうか」

 納得したわけではないが了解した、という顔で茜は頷く。他二人は怪訝な様子で雪枝と茜を交互に見ていた。

「盗難の件に進展があったということですが、詳しいお話を聞かせていただけないでしょうか?」

「土佐って、生徒会副会長の? どういうこと?」

 恵見が混乱している。

「副会長は、今回のトラブルに対して非常に心を痛めていらっしゃいます。出来る限り穏やかな解 決を望んでいる、との仰せでした」

「なるほど。土佐がそう言っているということは、白楽しらくもそうなんだろうな。あいつらの考えてることはわかるよ」

 茜の言った白楽というのは、生徒会会長のことである。土佐十子と一緒に行動していることが多い。

「穏やかって言ったって……内々で済ませろってこと? 私だって警察沙汰は嫌だけど、黙っているのも嫌よ」

 淳子が鼻息荒く口を開く。

「聞いての通り」

 茜は嘆息して、目を瞑った。

「まあ、先生方に黙っているわけにはいかないだろうなあ。その後は流れに身を委ねるよ」

「そんな他人事みたいに!」

「ちょっと待ってください」

 雪枝が、茜と淳子の間に割って入る。

「そもそも部長が犯人というのは、本当なんですか?」

「本当よ。だって否定しないじゃない」

 淳子が険のある口調で答えた。

 雪枝が目線をやると、茜はしっかり受け止めた。雪枝は、茜は犯人ではないだろうと思っているが、だとしても否定しない理由が判然としない。

「今盗った時計だって、まだ返そうとしないし」

 淳子が続けて勝ち誇ったように言う。

「わかったわかった。返すよ」

 降参、とでも言いたげな様子で、茜は肩にかけているバッグから弁当箱ほどの大きさの時計を取り出し、ロッカーの上に置いた。そこがこの時計の定位置なのだ。

「こんなものを盗んだんですか?」

 驚いた雪枝は、誰とも無く問いかける。どう考えても、わざわざ茜がリスクを負ってまで盗らなければいけないようなものとは思えない。

 ? 雪枝は、今何か違和感を覚えたが、その正体を掴めなかった。

「盗癖があるんでしょ。万引きとかも止められない人って、病気みたいなものだって言うじゃない」

 いかにも蔑んだような口調の淳子が、雪枝の癇に障る。

「でも確かに、わざわざそんな物を持って行こうとするのはおかしい気がする」

 恵見が呟くと、またもや淳子が感情を剥き出しにして噛み付いた。

「今だって、自分で認めたじゃない。恵見だって見たでしょう? いかにもこそこそしながら、あの時計をバッグに入れてたの」

「まあね」

 不服そうに返し、恵見は何か言いたげに茜を見る。どうやら彼女も今回の件に納得がいっていないらしい。

あの何の変哲もない置き時計。値段も大したものではないだろう。どうしてあんな物をわざわざ……。

「あっ」

 雪枝は、唐突に違和感の元に気付いた。さっき茜のカバンの、開いたファスナーの隙間から、ちらっと見えていたのだ。静かに時を刻み続けるもう一つの時計の針が。

「ちょっと、どうしたの?」 

 淳子と恵見も、訝しげにこちらに目線を向けるが、雪枝の意図を掴めないようだ。 

「あの、部長」

 雪枝が声をかけ、カバンの中を覗こうとすると、茜は急いで開きかけのバッグを閉めた。初めて見せた動揺の色である。

 これはどういうこと? 時計が二個ある? 茜は時計に病的に執着していて、時計ばかり盗んでいる異常者?

 突然、雪枝の頭脳が猛回転し始めた。ここに何かあるのだ。おそらく、きちんと順を追って考えていけば上手く解決できるはず。

「そういえば、花瓶も無くなってるじゃない?」

 淳子が再び声を上げた。

「案外、花瓶も部長が盗って行ったんだったりしてね」

 雪枝は、だんだん今回の事件がはっきり見え始めた。

 あともう少し。もう少し材料が集まればどうにか、事件を収拾することが出来るはず。雪枝は、急速に自分の中に湧き上がってくる力を感じた。

「淳子、今日身体の調子悪かったの?」

 雪枝が唐突に声をかけると、淳子は、えっ? と眉を顰めた。

「ああ、そういえば最近、淳子調子悪そうね。今日も二時限目に保健室行ってたし」 

 恵見が、思い出したように口を挟む。

「ちょっと、何なの急に?」

 突然の話題の転換に、淳子は戸惑っている。

 雪枝は、茜に視線をやった。

 どういうことですか? と目で問うているつもりだったが、茜は無反応である。

 時計だ。時計が核心のはず。雪枝は考えている。

『部長にこんなことをするのは気が引けるけれど……』

 どうも茜から話す気はないらしい。仕方ない。雪枝はカマをかけてみることにした。

「部長って誰か、付き合ってる人、いるんですか?」

「は?」

 きょとんとしている茜を、雪枝はじっと見ている。

「違う……じゃあ、兄弟……。あ、部長って弟さんがいらっしゃるんでしたっけ?」

 僅かに茜の眉根が動く。

「あ、弟さん。弟さんを庇ってるんですね?」

「あんた何言ってるの?」 

 恵美が声をかけるが、二人は向き合ったまま黙っている。

「土佐に言われて来たんだっけ?」

 茜が先に口火を切った。

「私のことは放っておいてくれ、って伝えてもらうわけにはいかない?」

「サブリーダーは、茜さんのことを、大切な仲間だと言っていました」

 雪枝は敢えて今、茜を部長とは呼ばなかった。

「それに、これは淳子のためにならないと思います」

「はあ?」

 淳子は殊更声を張ったが、雪枝は意に介した様子はない。

「……なるほど。まあ、それは確かにそうだな」

茜は大きくため息をついた。

「まかせる」

苦い口調で一言漏らしたあと、茜は口を噤む。雪枝は、だまって頷いた。悪いようにはしない、と目で語りかけながら。

呆気にとられている二人に、雪枝は向き直った。

「窃盗の犯人は部長じゃないの。淳子は知ってるでしょ?」

「何がよっ!?」

金切り声を上げる雪枝に対し、雪枝は大息しながら首を振るばかりだった。

「自分から言うつもりはないのね?」

 雪枝が念を押すと淳子は一瞬ひるんだが、何か行動を起こす様子はなかった。

「花瓶、いつ見たの?」

は? と淳子は唇を歪ませる。

「花瓶、無くなってた、って言ったでしょ?」

「いつ、いつって……朝練の時に決まってるでしょ」

「ねえ、花瓶って何?」

恵見が割って入った。 

「何? 何が?」

「何って……」

「あの花瓶、私が置いたの。しばらく部を休まなきゃならないから、記念のつもりで何か残して行 きたくて……」

混乱している二人に、雪枝が言う。恵見は未だ怪訝な様子だった。

「だから、それが何なのよ」

「よく、土佐さんに言われるの。〝雪枝はいつも自信無さげに見える〟って。自分ではそんなつもりりないんだけど。でも、今朝みたいな時はやっぱり自覚する。自信がないっていうか、人の目を気にしすぎてしまうんだと思う。こんなことをしたら、どう思われるか、とか……」

「何の話をしてるの?」

 淳子は怒りを通り越して、当惑している。気がおかしくなったのかと思い、多少恐怖を感じているようだった。

「ねえ、淳子。今日、朝練が終わった後、部室に入った?」

「入ってないけど? 当たり前じゃない。部室の鍵は部長と森安先生しか持ってないでしょ」

 答えながら、淳子は茜を見る。

「私、何か恥ずかしくてね。感傷的っていうか、自分に酔ってるとか思われると嫌だな、って思って……。みんな出て行ってから、こっそり花瓶を置いたの」

 雪枝はため息をついた。

「部長には見られた……。部長は鍵を掛けないといけないから、私を待ってたの。でも、それ以外 の人には見られてない。その後私は昼休みに、自分であの花瓶を壊してしまって片付けた。だからその間、朝から昼休みまでの間に、部室に入った人でないと花瓶があったことを知るわけがない」

 淳子は、やっと雪枝の意図を理解しはじめる。しばらく口をパクパクしていたが、

「ぶ、部長に聞いたのよ」

 と搾り出すような声で言った。

「悪い。言ってない」

 茜が即座に否定する。目をきつく瞑っていた。

「と、時計を盗ったのは事実でしょ。部長が嘘ついてるのよ。だいたい鍵を持ってるのは部長と先生だけ、ってのはあなたも認めたじゃない」

 雪枝は深く嘆息する。

「証拠はあるの? そこまで言うからにはあるのよね?」

「あるよ」 

 簡単に答えたのち、雪枝は茜に向き直った。

「そうですよね部長。淳子を庇ってるんでしょう?」

 茜は目を丸くする。

「部長は時計を盗んだんじゃなくて、交換してたんですよね?」

「え? そうなの?」

 恵見が素っ頓狂な声を上げ、棚の上の時計を手に取った。一瞥して、雪枝は続ける。

「部長は部室の盗難騒ぎがずっと気になってた。だから、犯人を見つけるために隠しカメラ入りの時計を持って来て、元々あった時計とこっそり交換した。それを回収してるところを二人に見つかった。そうですよね?」

「さっきカバンの中に入れたのが、隠しカメラが仕掛けられた時計。今、恵美が持ってるのが元々部室にあった時計」

と、雪枝は解説した。

「そ、そんな、そんなこと」

 見る見るうちに淳子の顔色が青くなっていく。

「だから! あなたの言ってることに証拠はあるのか? って聞いてるの!」

「だからあるんだってば」 

 答えながら、雪枝は僅かに目を伏せた。

「私の言ってることが本当なら、部長は今、隠しカメラ入りの時計を持ってる。当然あなたが窃盗 してる現場が映ったデータが入ってるはず……。そうですよね?」

「……当然、まだ確認はしてないんだけど」

 茜は何か諦めたように語り始める。

「まあ、そうなってしまうかなあ」 

 バッグから、もう一つの時計を取り出す茜。そのまま裏のカバーを外し、メモリーカードを指先でつまんで取り出した。

 淳子は膝から崩れ落ち、その場で泣き伏した。


「ご苦労だったね、雪枝。いや、期待以上だ。ありがとう」

 土佐十子に拍手で迎えられ、雪枝は思わず笑顔になったが、慌てて頬を引き締める。

 会長の前で、ハリのない顔を見せるわけにはいかない。

 眩しい……。雪枝は手をかざし、眼に入る陽光を遮った。会長の後ろのカーテンが、中途半端に隙間を作っていて、ちょうど光が当たるのだ。

「眩しいですか? ごめんなさい」 

 丁寧に謝りながら、生徒会長、白楽丁しらくひのとはそっと後ろのカーテンを合わせた。

 あ、と雪枝は小さく声を上げる。

 丁の長い髪に、陽の光がキラキラ反射して綺麗だな、と思っていたのだ。

「何でもありません」

雪枝は、奇妙な顔をしている二人に、問われる前に答えた。

「まあ、かまいませんが……。それでは詳しく説明してもらえますか?」

「はい。部室の金品を盗んでいたのは町田淳子でした」

「そう硬くならないでよろしいですよ」

 雪枝は、元チームメイトのことを意識してフルネームで呼んだのだが、丁にそう言われて少しほっとした。しゃちほこばっていた気分が少しだけ緩んだ気がしたのだ。

「手口としては、体調が優れないから、と言って授業時間に保健室に行く途中、部室棟に行ったり、同じく体調を理由に遅刻、早退すると行って、皆がいない時間を見計らって、ことに及んでいたようです」

「なるほど……。しかし、鍵はかかっていたんでしょう?」 

「その辺りは、森安先生に猛省を求めなければいけないな」

 十子がため息交じりに、容喙した。

「森安先生が、部室に鍵を忘れていったことがあって、その時合鍵を作ったんだそうだ。先生も一時期無くなっていたことに気付かなかったらしい」

「森安先生、ズボラですから……」

 雪枝は、部室の鍵を貸してもらうのに、何度も待たされるハメになったことを思い出していた。

「まあ、こう言ってはなんですが、私達にとって一番都合の良い顛末になりましたね」

「それだ、丁」

 十子は腕を組んで、壁に凭れかかっている。

「水原には一片の非も無いことになった。これは充分過ぎるほどの成果だと思うが?」

「元より部長に非はありません」

雪枝が主張すると、

「その通り。しかし、水野がいらぬ火の粉までかぶる必要はないということだ」

 と、十子は落ち着いて返した。

「あなたは何か勘違いしているようですが」

 丁は、十子に向かってやんわりと非難の眼を向ける。

「私は、六ツ院さんの能力を問題視しているのではないですよ。彼女の未来を慮って加入に反対していたのですから……。他の方のことは存じませんが」

「雪枝は子供ではないよ、丁。その言い方はどうかと思う」

「私、参加をお願いした時に覚悟してます」

「あの、集中砲火はやめてもらえますか」 

 苦笑いしながら丁が言うと、雪枝は顔を赤らめ俯いてしまった。

「わかりました。他のメンバーには私から話しておきます」

「良かったな、雪枝」

 何の衒いもなく、十子は言った。はい、と短く返事をし、雪枝は今日初めて頬を緩める。

 白楽さんが直々に仰れば、大丈夫だ。自分もメンバーに加われる。雪枝はほっとしていた。

 白楽丁は、この白光女学院の生徒会長というだけではない。

 今、秘密裏に再結成されようとしている学生アイドルグループ『Salt』のリーダーでもある。

 ちなみに、サブリーダーは今、同じ部屋にいる土佐十子。生徒会の副会長もしている。

以前の Saltに、雪枝は研修生として見習いのような身分で在籍していた。

 そのため、再結成に加えて良いものかどうか、という意見が出ていたのだ。

それというのも、今回の再結成はアイドルとしての活動だけではなくもう一つ目的がある、ということが大きいのだが……。

「わかっていると思いますが、六ツ院さん。Saltに加入し、目的を達成したその後は、アイドルとして……というより、ほぼどんな形ででも芸能の世界に関わることは出来なくなりますよ」

「理解しています。私は皆さんと運命を共にします」 

 元より、雪枝は以前のSaltでも研修生だった。アイドルにも芸能界にも未練はない。

「大袈裟に言うなよ。みんな死ぬわけじゃないぞ。Saltが終わっても、その後の人生は普通に続いていくんだ」 

「ですね」

 十子の発言を受け、丁は頷いた。

「……?」

 その後丁は、雪枝をまっすぐにじっと見つめる。雪枝は緊張して待っていたが、丁は大きく息を吐いて、視線を外した。

「この件はこれで終わりにしましょう……。では、水原さんの件について、正確に教えて貰えます か?」

 雪枝は、ビクッと身体を震わせる。ゆっくり、十子に顔を向けると、

「丁は立場上、メンバーのことは全て知っておく必要があるんだ。別に野次馬根性じゃないよ」 

と、宥めるように言った。

「はい……」

「十子には全て話したんでしょう? 彼女から聞きましょうか?」

 まだ言い淀んでいる雪枝に、丁が語りかける。

 意地の悪いことを言うなよ、と十子が嗜めると、

「あら、ごめんなさいね。悪気はなかったんです」

 と、丁は素直に頭を下げた。

 では……と前置きして雪枝が話し始める。

「部室に隠しカメラを仕掛けたのは、そもそも部長ではないんです」

 なるほど、と言いながら丁は顎の前で両手を重ねた。

「しかし、それでは何故水原さんはカメラ入りの時計を回収しようとしたのですか?」

「はい、それは弟さんを庇うためです」

 はっきり言い切った雪枝と対照的に、丁は怪訝な様子を見せる。

「あの、本当に何も言ってないんですね」

 雪枝が問うと、間髪入れず

「雪枝の晴れ舞台だからね」

 と、十子が返事をした。

「……そういう言い方」

 雪枝の頬に薄っすら朱が差す。

「続きを」

 冷淡とも取れるような言い方で、続きを促す丁。反射的に、はい、と応えて雪枝は言葉を続けた。

「隠しカメラを仕掛けた時計と、部室の時計をすり替えたのは、部長の弟なんです」

「水原の隙をついて、鍵を盗み合鍵を作ったようだな」

 十子が、雪枝のあとを引き取って言った。

「その……水原さんの弟という人物は、出歯亀のようなことをしていたということですか?」

 雪枝の視界の端に、俯いて肩を揺すっている十子が眼に入った。

「いえ、何というか、映像は金銭に変えていたみたいです。その方法まではよくわからないのです が」

「その映像は、回収は不可能でしょうか?」

「まあ、無理だね。ネットを使って顧客とやりとりしていたみたいだし」

 十子の言葉を聞き、丁は無念そうに眼を瞑る。

「……やはり、黙っているというわけにはいきませんね」

「おい、それはどういう意味だ?」

 十子が慌てた様子で訊ねると、丁は大きくため息をついた。

「いえ、我が校の生徒の盗撮データを全て回収するのが、事実上不可能である以上、内密に済ませるというのは許されない、という意味です」

「警察沙汰にする気か?!」

「どこにも犠牲者いない、というなら内密に処理する、という道も許されるかと思いますが……」

「あの、いいですか」

 雪枝が律儀に手を上げて、会話に参加する。

「通報したところで、動画データを取り戻すことは出来ません。むしろニュースなどで取り上げられると、より注目が集まってしまい二次被害が広がってしまう懸念があります」

「理屈ではわかっているのですがね」

 丁はゆっくりと、椅子の背凭れに体重を預けた。

「未成年とはいえ、犯罪者が野放しになるというのが引っかかるのです。水原さんの弟が無罪放免というのは筋が通らないと思いませんか?」

「しかし……」

 雪枝は内心驚いていた。まさか丁がここまで強硬に事件を司法の手に委ねたい、と主張するとは思わなかったのだ。

「事件が表沙汰になれば、Saltの活動にも影響が出ます。だいたい、その……」

 それを防ぐために、自分が調査したのではないか? 大事な目的のために。雪枝はそう言おうとしたが、寸でのところで言葉を呑みこんだ。

「もう話したと思うが、僕と雪枝はこの間水原の家へ行ってきた。水原の弟……さとるくんとも話しをした」

 十子がすっと割って入る。

「お願いだから秘密にしてくれ、心を入れ替える。データも持っている分は処分する、と泣きつかれたよ。家族や学校に知られたら終わりだ、と終始可哀そうなくらい怯えていた」

「罪を憎んで人を憎まず、と言いたいのですか?」

「違うよ丁。弱みを握っているのは我々のほうだ、と言いたいんだ」

 十子の言葉を聞き、丁は目を細めた。

「今のところ、智君の生殺与奪の権を握っているのも、状況を一番コントロール出来るのも僕達だ。このアドバンテージを自ら手放す手はないと思うが?」

「あの!」

 雪枝が急に、絞り出すような声を上げる。丁と十子は、注目せざるをえない。

「茜さんは、大事な戦力です。その、私なんかよりずっと……。事件が表沙汰になれば、Saltに合流するのは難しくなるかと――」

 わかりました、と丁は大きいため息をついた。

「水原さんが貴重な戦力である、という意見には私も賛成です。ただ、私達がそこまで状況をコントロール出来るかどうかは疑問ですが」

「比較の話だよ。あくまで」

 十子が言うと、丁は首を振った。

「いえ、六ツ院さんと十子の意見を尊重します。今少し様子を見るのも良いでしょう」 

 良かった。雪枝は心底ほっとしている。雪枝は、元研修生ではあったが、今度のSalt再結成に向けての意気込みは重いものがあった。

 リーダーの白楽のやる気に陰りがあるのなら、十子と相談しなければならないと思っていたのだ。

「失礼しました」 

 話が終わり、雪枝は一礼して生徒会室を出て行った。

「……試したな、丁?」

 雪枝の足音が遠ざかるのを確認してから、十子が口を開く。

「あれくらいで気持ちが揺れる人を仲間に加えていたら、目的は達成できないですから。彼女は合格です」

「そういうところが、お嬢様育ちだと言うんだ」

 十子が指摘すると、

「自覚をありますよ」

 と、表情も変えずに言った。

「水原のことは、これでケリがついたとして、最終的に何人くらいになるかな?」

「まだわかりませんが……私としては大所帯になっても良いと思っています。旧Saltには及ばないでしょうけどね」 

 元々Saltは研修生も含めれば、かなりの大所帯であった。丁も末端まで全て把握していたわ

けではないが、おそらく百人は超えていただろう。

武音たけとさんと縁間えんまさんはどうでしょう?」

「あいつらは多分、こっちが断っても無理矢理来るだろう……。いや、個人で何かするかもな」

 十子の返事を聞いて、丁はそれは重畳、と頷いた。

「おそらく、最終的には彼女らが主力になるでしょう」

「向こうの主力にぶつけるって意味ではね」

「……あまり長丁場には出来ません」

「早く仕掛けを作らないとな。まずは情報収集だ。そのためにも、もう少し人を集めよう」

 十子は、虚空を見据えながら低い声で返事をした。

                               了

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