第8話
結局私は二日ほど意識を無くしていた。
目を覚ましたあとは、あの不可思議な色彩もおぞましい生物も見えず、健常な世界と五感を取り戻していた。
驚くべきことに、目覚めたあとの私の肉体は、かつてないほど快活になっていた。プシュケリアが溢れんばかりに漲り、病人達を今までにないほど治癒することが出来た。
そして師の具合も、私と同じく著しい向上を見せていた。数日もすると、師は完全に元のプシュケリアを回復させるに至った。
私を含む弟子達はもとより、町中の人間が師の復活を祝った。そのとき催された祝祭がどれほど盛況だったのか、私は兄弟子に感謝に感謝を重ねて手紙で報せた。
その祝祭で、主役だというのに師は宴席を抜け出し、あの墓地に佇んでいた。
師がいないと弟子達がざわめく中で探しに来た私へ、師は言った。
「お前のプシュケリアは、やがて薬の効果を失い、本来の量に戻るだろう」
「では、またあの薬を飲めば良いのですか?」
「忘れるな。それは本来プシュケリアが困窮している者が受け取るはずのプシュケリアだ。お前を介してそれを配っているに過ぎない」
「分かっています」
「…この薬が、娘のときに間に合っていればな」
師は呟く。
その視線は、一番新しい簡素な墓標に向けられていた。
「先生。あの娘が例の生き物を捉えていたというなら、なぜそちらを喰わなかったのでしょう?」
「喰えないのだ。視ることは出来ても、互いに干渉出来ない」
「では、あの薬を飲めば?」
「例の生き物は薬を通じてプシュケリアをもたらす。あの娘は、逆に薬を通じて彼らのプシュケリアを奪うことが出来ただろう」
「…あんなものと、戦えると?」
「彼女は出来る。私には出来ない」
師は笑う。寂しそうに。
「先生…」
「アロトロバ、この薬に名前は?」
師が問いかける。私は首を横に振った。「ありません」
「作った本人から、手紙でまだ名前はないと教えられました。あの薬、のままです」
「では、私が命名しよう。救われたのだからな」
師は言われた。
何に救われたのですか、と問おうとしたが、やめた。
師は私に告げる。万感の情念を込めて。
「グラリス」
命名された。
私はうつむく。
「多くのプシュケリアが、このグラリスで救われるように」
グラリス――墓標に刻まれたその名前――を見ながら、師は言われた。
ああ、やはり。
あの悪魔は、まだ我々の中にいるのだ。
私は思い、そして、気付けば笑っていた。
(アロトロバ日記 外伝『我が師と悪魔』より)
プシュケリア 鈴本恭一 @suzumoto
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