最弱の竜族

 観念したファビアンは、話し始める前に腰を上げて窓際の小テーブルにあった水差しを手にとった。


「世界竜族は四竜族と違う。そもそも、神々の息吹から産み落とされたわけではないからな」


 水を注いだ素焼きのコップを片手に、彼は私の隣に腰を下ろす。向かいのターニャのベッドではなく、わたしが腰を下ろしているベッドに、それも肌でぬくもりをかすかに感じるほど側に腰を下ろしたのだ。

 予想外の行動に、わたしは体ごと思考が停止してしまう。

 なぜ、そこに腰を下ろす。近すぎる。不意打ちじゃないか。いったい何を考えているんだ。

 けれどもコップの水で喉を潤した彼は、コップの中を覗き込みながら続ける。


「四竜族は、変化へんげが可能になる前から……いや違うな、生まれたときから力の使い方を知っている」


 はっきりわかった。彼は、わたしのことなど意識していない。隣に腰を下ろしたのも、何も考えていない。

 自分だけ気もそぞろになっているのが馬鹿らしくなって、嫌になるくらい冷静になってしまう。

 いったい何度、わたしは彼に気持ちを空回りさせられるのだろうか。

 腹立たしいことにはかわらいないけれども、だんだん諦め始めているのもたしかだ。


 彼に言われるまでもなく、竜の森で育てられたわたしは、四竜族の子どもたちが見た目は人間と変わらなくても、違うことを知っている。

 水竜族の子どもたちは星辰の湖の水面を走り回るし、地竜族の子どもたちは硬い岩をまるで粘土のようにこねる。火竜族の子どもたちは、平気で炎の中に手を突っ込んで笑うし、風竜族の子どもたちは翼がなくても風にのって空を飛び回る。

 彼らは、強靭な翼と鋭い爪がなくとも、人間ではないのだと、わたしはよく知っている。

 けれども、そんなことはわたしでなくても、知っている人間は多いのではないか。竜の森で育てられたのは、わたしだけだけれども、竜の森に出入りしている人間は少なくない。

 常識と呼ぶほどではないけれども、竜の森と関わりのない人間でも少し考えればわかることだと思う。

 そんなことを彼があえて口にしたということはと、わたしはゴクリと喉を鳴らした。


「世界竜族は、違うの?」


「ああ、違う。……学ばなければらない」


「たとえば……」


 説明に困って、彼は言葉につまる。

 それはそうだろう。今まで誰にも明かしたことのない、一族の秘密だ。

 ところが、続きを待てども彼はコップの中を覗き込んだまま口を閉じている。

 話したくなくなったのではと、不安になるには充分な時間が流れた。


「ねぇ、わたしは誰にも話さないって約束するよ」


「ん? ああ……」


 不安になって、わたしの方から命をも縛る約束を口にすると、彼はようやく顔を上げて苦い笑みを浮かべた。


「約束はしなくていい。もう俺だけだ。秘密にする必要もないだろ。……それに、約束で縛るのは嫌いだ」


 じゃあなぜと、わたしは首をかしげる。


「昔のことを、思い出しただけだ」


「むぅ」


 彼がついたため息に、嫌な予感がした。


「四竜族は、本能的に力の使い方を知っている。呼吸の仕方を、いちいち教えて貰う必要がないように。だが、世界竜族は、それすらも一から学ばなければならない。言葉を覚えたり、読み書きを学ぶことと似ている」


「泳ぎ方を教えてもらうようなのとも……」


「ああ、そうだな、そっちのほうがいいたとえかもしれない。……だから、俺のような出来損ないもいる」


 やはりそういうことかと、嫌な予感があたったと確信する。


 ファビアンは、ヴァンよりも卑屈なところがある。死に損ない、出来損ないなどと、千年も引きずっているとなれば、筋金入りだ。だから、あれほど慕っているユリウスの実の息子だと認めてくれないのだろうか。

 今、四竜族がまとまっているのは、世界竜の彼がいるからだ。彼がいなかったら、それぞれの竜族が抱える問題で手一杯だっただろう。こうして、セルトヴァ城塞を拠点に真理派の対策を講じることもなかったはずだ。カヴァレリースト帝国を味方にしたのも、彼のおかげだ。皇帝の友人で弱みも握っていたのもあるだろうけれども。

 もし、彼が本当に無能だったら、四竜族は王族と聞かされていた世界竜族に失望し、ここまで頼ることはなかっただろう。そう、彼は頼られている。

 たった一頭の生き残りである彼が、世界竜族の中でも出来損ないだったとしても――実際にそういうあつかいだったことを、わたしは夢で見て知っている――、今となっては比較のしようがない。

 間違いなく彼は、自身が考えているよりもずっと有能だ。


 問題は、事実として彼を称賛したところで、より頑なになるだけだということだ。

 こういうとき、わたしはなんと言えばいいのかわからなくなる。


 困りきっていることが、顔に出てしまったのだろうか。わかりやすいわたしのことだから、きっとそうだろう。そうでなかったら、鈍いファビアンが軽く頭を振って話を戻すはずがない。鈍いけれども、彼は気遣いができないわけではないのだ。


「話がそれるところだったな。ようするに、世界竜族は力の使い方を学ばなければ、世界の隙間を見定めることもできない。人間と同じくらい、竜族としては役に立たない」


「むぅ、わかったような、わからないような……」


 そもそも四竜族のこともきちんと理解できている自信がない。


「世界の中心の塔がなかったら、世界竜族は間違いない最弱の竜族のままだった」


「未来を予見するだけでも、すごいけど」


「あれは、星の動きを読み解いたのが、たまたま始まりの竜王だっただけのことだ。それも、始まりの竜王の奥方が夢見の乙女だったからできたことだ」


「夢見の乙女?」


 思わぬ言葉が、ファビアンの口から出てきて、目を丸くしてしまった。


「ああ。過去を見るお前と違って、始まりの竜王の奥方は未来を見たらしい」


「つまり、その、奥方が見た未来と星の動きが繋がっていたとかで、えーっと」


「そういうことだ。俺が考えるに、最初のうちは奥方の夢見の力を借りて、竜王の立場を確かなものにしていたんだろうよ。そのうち、星の動きを読み解くことで、奥方に頼らなくてもよくなった。世界の中心の塔を建てて、四竜族だけでなく、人間すらも支配してきた」


「人間は支配なんてされていないわよ」


「実質支配されていたようなものだろ。大きな決断を迫られるたびに、人間の為政者たちは、黒い都を訪れていた。助言を与えていたといえば聞こえはいいが、結局は都合のいいように操っていたに違いない」


 吐き捨てるように、彼は同族を酷評し続ける。


「一なる女神さまは、竜族と人間が並び立つようにと地上に降臨されたというのに。世界竜族は裏切った。最弱の竜族だったことを暴かれるのを恐れ、権力を失うことに耐えられなくなった。見えている世界がどんなに歪んでいこうとも、世界を欺き続けたのは、許されるわけがないだろ。滅んで当然だ」


 彼は、自分が世界竜であることも許せないようだった。


「ファビアン、嘆きの夜は未来を書き換えるために……」


「ああ、そうだったな」


 彼は、肩を落として大きなため息をついた。


「ユリウスさまがやったことだったな。見たよ、星の水鏡で」


「そっか」


 わたしが知らないうちに、ディランに頼むかして、彼が尊敬するユリウスの遺言を見たらしい。

 老竜ライオスに見せられた旅立ちの朝から、まだ一年も経っていない。もうずいぶん前のことのように感じるというのに。

 あの頃のわたしは、何もわかっていなかった。

 無力なのは、今でも同じだけれども、わたしは一人じゃない。隣には花婿がいる。側にはいないけれども、旅の仲間たちとの絆はずっと確かなものになったはずだ。一人を除いて、だけれども。

 わたしに一人ではないと言ってくれたのは、ユリウスだ。彼が言ってくれなかったら、世界の行く末に絶望して何もできなくなっていただろう。

 そっと触れた二重の腕輪は、輝きを失ったまま何も語らない。

 ユリウスの遺言を知ったということは、ファビアンは実の父親が彼だということを認めざるをえなかったはずだ。

 そのことを、彼の口からはっきりと聞いておきたい。

 狼に育てられ人間の罠で怪我した彼に手を差し伸べてくれたユリウスことが、実の父だったと。

 けれども、わたしが期待したほど単純なことではなかった。


「ロムルス」


「え?」


 体が前のめりになるほどうなだれた彼の声は、弱々しすぎて聞き返さなくてはならなかった。


「ロムルス。ユリウスさまが、ご子息に用意していた名前だ」


 どういうことか追求されるのを避けるように、彼は弱々しく続ける。


「世界竜族に限らず、竜族の出生率は人間と比べものにならないほど低いことくらい、わかっているだろ。人間よりの四倍もの寿命だというのに、一人しか息子を授からない竜は珍しくない。どこの誰の息子が生まれたとか、すぐに一族の中で共有されてしまう。ましてや死産となれば……だから、出来損ないの俺でも、自分の出自を調べるなど簡単なことだった」


 少しだけ顔を上げて、彼は弱々しく自虐的に笑う。


「ユリウスさまは、俺に用意していた名前を与えてくれなかった。わかるか? ユリウスさまが、俺を息子だと認めていなかった」


「そんなこと……」


「そんなことはないとか、簡単に言うな」


 ユリウスは、間違いなく彼を息子として愛していた。


「それでも、俺は構わなかった。ユリウスさまだけだった。俺のような出来損ないを育ててくれたのは」


 彼が盲目的にユリウスを尊敬していることには、かわりないらしい。フッとわざとらしく息をこぼして、片手を膝につけて体を起こす。


「不思議なものだな。こんな嫌な過去でも、話すだけで気が晴れた気分だ」


「そっか」


 それはよかったと言えなかった。

 何も解決していない。出会って間もないわたしに打ち明けるくらいで吹っ切れるような思いなら、千年も抱えてこなかったはずだ。

 おそらくこれから先ずっと、もしかしたら楽園に召されるときまで、彼は息子と認めてくれなかったユリウスに対する思いを引きずるだろう。

 卑屈になる時間を減らしていければいい。


 世界は揺り起こされた。

 今日は、ベンが死んだ。

 明日も、もしかしたら誰かが死ぬかもしれない。

 世界を導いてくれる星の光は、届かない。

 未来は、世界がいまだ経験したことがないほど不確かだ。


 それでもわたしは、あきらめない。

 いいことばかりではないだろうけども、悪いことばかり起きるとは限らない。


 ファビアンのウジウジした話しを聞かされて、どういうわけだか、わたしまでも気分がすっきりしてきた。

 夢で知っていたことでも、こうして話しをする意味はちゃんとあるのだ。


 明日は、なにが起きるかわからない。

 こうして二人きりで話しをするのも、難しくなるだろう。

 まだまだファビアンを帰すわけにはいかない。


 ロムルスという名前をどこで知ったのか、今尋ねるのはよくない。ユリウスが直接教えたとは考えられないから、別の誰かから教えられたのか、それとも他に知るすべがあったのか、とても気になる。けれども、我慢だ。

 では、他になにか話したいことないだろうか。

 彼が腰を上げる前に、頭を絞っていると、


「ところで、俺ばかりに話しをさせるのはずるいだろ」


「むっ」


 先ほどまでのは何だったのかと頭を抱えたくなるほど、彼は魅力的な笑顔でそう言ってきた。


 ずるい。

 ずるいのは、いったいどっちだ。


 何を話せばいいのだろうか、何を尋ねられるのだろうか。

 このむず痒い気分は、なかなか慣れそうにない。


 ところが、のん気にソワソワしている場合ではないと、突然城塞にけたたましい鐘の音が鳴り響いた。

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