第九章 世界竜族

ファビアンという男

 家族がほしかった。

 ただ、ただそれだけだった。


『――――の日記』より




 ――


 たしかにわたしは、ファビアンに名無し――ユリウスのくそったれと話した内容を後で話すことになっていた。

 何もこのタイミングでなくてもいいはずだとか、期待したわたしが馬鹿みたいだとか、親が親なら子も子だとか、むしゃくしゃしながらも、ユリウスが自分の目的を頑なに教えてくれないと、向かいのベッドに腰掛けて真面目に難しい顔をしているファビアンに話してやった。

 とはいえ、話せることなんてたかが知れている。

 ユリウスですら抑止力について存在のみしか知らなかったこと。それから、彼の目的について教えてくれなかったことだけだ。後者は、名無しがユリウスであると明かせないせいで、彼には世界を正すことよりも秘密にしておきたい目的のほうが重要だとしか、伝えられなかった。


「名無しの目的、か」


 わたしの話に、彼は最後まで口を挟まなかった。

 話し終える頃には、少しは溜飲が下がっていたけれども、まだ完全に下がったわけではない。腹の底にまだムカムカが残っている。

 なにかこう、花嫁と花婿らしい雰囲気の話がしたい。そういう甘い雰囲気の話が具体的にどういうものなのか、わたし自身よくわかっていないのが辛いし、腹立たしい。

 話題を変えたくても見つからなくて、結局、独りよがりなユリウスの話を続けるしかなかった。


「ファビアンは、あいつの目的がなんなのか知らないの?」


「知らんな。そもそも奴に個人的な目的なんてものがあるとも知らなかった」


 ファビアンが首を横に振るのは、意外でもなんでもない。

 彼にとって、名無しはふざけたやつだけど頼りにするしかない奴なのだ。


「ところで、さっきから不機嫌じゃないか?」


「むぅ、……別に」


 さすがに気がつかないほど、ファビアンは鈍くはないようだ。けれども理由まで察してくれるほどではなかったようで、彼は肩の力を抜いてほっと安堵の息をつく。


「そうか、ならいいんだが」


「むぅ……」


 なぜそこを言葉通り受け止めるのだろうか。不機嫌な態度をとって、彼に察してもらおうとしたわたしが、馬鹿みたいではないか。


 わかっていたつもりだった。

 ファビアンという世界竜の死にぞこないは鈍いやつだと、わかっていたつもりだった。

 はっきり言いたいことは遠慮せずに言わなくてはならないと、心に決めたのだ。それが、わたしらしいやり方だと確信していた。今も確信している。だからといって、空気を読んで察してほしいときは察しろというのは、わがままではないはずだ。

 二人きりの甘い時間を期待していたのに、なんて恥ずかしくて言えるわけがない。

 だからといって、このまま彼を帰すのも悔しい。


「ねぇ……」


「なんだ?」


「ファビアンは、わたしのことをどう……ううん、違う。ファビアンにとって、わたしはなんなの?」


 のぼせかかるくらい頭を使って振り絞って言葉にできたのは、リュックベンの女らしい遠慮ない物言いとは程遠いものだった。声だって、上ずっていなかったかどうか、不安だ。


 本当は、どう想っているのかと、訊きたかった。

 顔が赤くなっていないといいのだけれども、あいにく確かめようがない。

 ファビアンの顔をまともに見れないでいる。まったく、リュックベンの女らしくない。


 わたしは、おそらくまだ彼に期待していたのだろう。

 花婿だからわかってくれるはずだと。そうではないと、ナターシャとユリアが自身の経験をもとにくれたアドバイスを、すっかり忘れていたのだ。生まれたときから定められた世界でたった一頭の花婿と、出会った瞬間からうまくいくほうが稀だということを。

 特にナターシャは、ディランの第一印象が最悪だったため、一度は人間の男と駆け落ちしている。今では、そんな逸話が嘘みたいに、夫婦仲は良好だ。誰の目にも、お互いを尊重し合うように愛しているのがわかる。その愛情表現は一風変わっているけれども。

 だから、花嫁も花婿も互いに気持ちを通じ合う努力をしなくてはならない。

 正直、こんなに通じ合う努力が大変だなんて想定外もいいところだ。


 わたしの煩悶など、鈍い彼に伝わるはずもなく、


「フィオは、俺の花嫁だろう」


 他になにがあると言わんばかりの答えが返ってきた。


 ひどい脱力感が襲いかかってきた。


 不公平だ。不公平ではないか。

 わたしは、こんなにもファビアンとの距離を縮めようとしているのに、彼はまったくなのだ。


「それがどうかしたのか?」


 けれども、これは本当におかしな話なんだけれども、脱力感の中に安心した気持ちもあった。


「…………逆に鈍くなかったら、それはそれで怖いかも」


「ん?」


 口の中でつぶやいたら、なんだか気が楽になる。自分でも拍子抜けするほどスッキリした顔で、聞き取れなかった彼にたいしたことないと笑いかける。


「なんか、安心したって言ったの」


「そうか、ならいいんだが……」


「うん。いいの」


 おそらく、これから先、何度も彼に期待しては期待通りにいかないと腹をたてるだろう。もしかしたら、遠慮なくまくしたてることもあるかもしれない。そんな予感がする。

 それが、今のわたしに思い描けるたった一つの二人の未来だ。

 これから、もっとたくさん思い描けるようになるだろうか。そして、思い描いたとおりの未来が待っているのだろうか。


 揺り起こされた世界で、わたしは何ができるのだろうか。

 真理派たちに、どう立ち向かえばいいのだろうか。この困難を乗り越えなければ、どんなに幸せな未来を思い描いても虚しいだけだ。


 ファビアンにしてみれば、なぜ機嫌がなおったのか、わからないままだっただろう。それでも戸惑っていたのは、少しの間だけだ。すぐに気を取り直して腰を上げるのだ。


「すまなかったな、こんな遅くに」


「あ、うん」


「タチアナには、礼を言っておいてくれないか」


「むぅ……わかった」


 すっかり忘れていたけれども、ターニャに出ていってもらっていた。彼女のことだから、こんなに早く彼が出ていったら、逆にがっかりするだろう。いや、もしかしたら憤慨するかもしれない。彼女だって、ニコラスとゆっくり過ごしたいだろうし。

 かといって、引き止めたところで距離が縮まるとはとても考えられない。

 なぜ、彼と他愛もない話ができないのだろうか。やはり、定められた相手というのを意識してしまうのがいけないのだろうか。


 軽くため息をこぼしながら、部屋を出ていく彼の背中を見つめる。黒い長衣に、背中の中ほどまである黒い髪。後ろ姿だけでは、とても世界竜族の生き残りだとわからない。死んだ老竜ライオスは、後ろ姿だけでも貫禄がにじみ出ていたというのに。

 楽園で憩うているライオスに伝えたい。世界竜族の生き残りは、あなたが切望したほどすごいやつじゃないって。全竜族の王族とか、尊敬や憧れの念を込めて、いろいろと語り聞かせてくれたけれども、実際には聖典で真実を捻じ曲げて都合よく世界を支配してきていた。ライオスが尊敬するほどの種族ではない。そもそも世界竜族なんて――、ふいにある疑問が浮かび上がってきた。


「ねぇ待って!」


 呼び止めた声がつい大きくなってしまって、振り返った彼は軽く面食らっていた。


「なんだ?」


 向かいのベッドにもう一度腰を下ろすようにうながしてから、どう尋ねればいいのか急いで考えた。

 今日、ディランが教えてくれた竜族の秘術の秘密を聞いたときに感じた違和感の正体が、はっきりわかってしまった。


 四竜族は、世界を構成する四つの偉大なる元素を司る神の息吹から生み出されたとされている。だから、それぞれの元素を操れるのだ。

 ディランは、真実を教えてくれた。力を酷使しすぎれば、命を削ることになるから、懲罰に鉄枷が使われるのだ。ドゥールがその身をもって教えてくれたから、間違いない。

 では、世界竜族の場合はどうだろうか。四竜族の血が混ざったのが、彼らが隠してきたルーツだ。一なる女神さまが降臨される以前は、親に食べられてしまうことからも、四竜族よりも劣った存在だったはずではないか。神の息吹から生み出された四竜族と、世界竜族はそもそもルーツが異なる。

 ファビアンが世界の隙間と呼ぶモノをつないで、一瞬で遠い距離を移動したりしている。けれども、その秘術は四竜族ほど自由に使えるわけではなさそうだ。一度に連れて行くことができる人数は限られるようだし、一日に何度も使いたがらない。そこまで考え始めたら、ベルン平原で、ルカが彼に何を言っていたのかも思い出してしまった。


「ファビアン、世界竜族も四竜族と同じように、世界の力を利用しているの?」


 ファビアンはすぐに答えなかった。器用に片眉をつりあげて、わたしの問いを反芻しているようだった。


「なぜ、そんなことを知りたがるんだ?」


「なぜって、それは……」


 案の定というべきか、彼は問い返してきた。


「わたしが、あなたの花嫁だから」


「答えになっていないな。竜の森で育てられたからには、わかるだろう。竜の妻でも、竜の秘術については知らないことくらい。そもそも、同族でもおのれが持つ秘術をすべて明かすのは、避けられていることも、知っているだろうが」


「むぅ」


 ファビアンの言うとおりだ。ディランが明かしてくれたのは、あくまでも彼の判断でしかない。クレメントは快く思っていないようだったし、ファビアンもそうだったのかもしれない。


「わたしは、世界の中心の塔で都合よく未来を変えてきたことを、知っている。その代償がなんだったかも」


「名無しのやつ、そんなことまで……」


 実際には、ユリウスが親切に教えてくれたわけではないのだけれども、ファビアンは痛いところをつかれたようだ。ガシガシと頭をかいて、観念したように口を開いた。


「そのこと、他の連中に話したのか?」


「話せるわけがないじゃない。正直……否定してほしかった」


 否定してほしかったと口から出てきて、わたしはまだ信じられないでいたことに気がついた。

 嘆きの夜が、ファビアンの花嫁であるわたしの誕生を千年遅らせるために、黒い都にいたすべての命を犠牲にしたなんて、心のどこかで嘘だと信じたかった。


 ガシガシ頭をかく彼は、嘆きの夜のことをどこまで知っているのだろうか。


「話せるわけがない、か。確かにな。言っておくが、俺はそんなことしていないぞ。出来損ないの俺に、未来を変えるなんてできないしな」


 そんなことができるのは世界竜族の中でもごく一部でめったに行われることではなかったと、彼は続けた。


「なぁ、なんで知りたがるんだ。竜と結婚しても、花嫁は人間だ。不老長寿の恩恵はあるが、竜になるわけじゃない」


「花婿のあなたのことを知りたいって思うのは、当然でしょ」


 困惑するファビアンに、わたしははっきりと言ってやった。


「それに命を代償にしているなんて、心配になるじゃない」


 はぐらかそうと開きかけた口を閉じて、彼は観念して肩を落とした。


「わかった。話すよ。お前が安心するまで」


 どうやら、期待通りの甘い雰囲気にはならなかったけれども、とても有意義な二人きりの夜になるようだ。

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