真実の隠し場所

 視線が一斉にファビアンに集まった。


「言ったはずだろ。一なる女神さまから人間が何を授かったのか、具体的なことまでは伝えられていない」


 ファビアンは肩をすくめて、いつの間に腰から下げていたのか炒り豆を口に放りこむ。なんとなくわかってはいたけれども、彼は炒り豆が好きらしい。


「はっきり具体的でなくても、なにか手がかりになるようなことでも……」


「ない」


 身を乗り出して食い下がるアンバーに、ファビアンはきっぱりと言い切る。言い切ったあとで、彼の視線が宙をさまよった。


「あるとすれば……いや、ないな」


 首を横に振ったけれども、もう遅かった。

 アンバーの知識欲に火がつき、ますます身を乗り出してきた。


「あるんじゃないか!」


「いや、ない。あったとしても、あんなところから見つけるのは無理だ」


「あんなところ? どんなところだよ」


 バンバンと机を叩くアンバーの目がギラついている。一度知識欲に火がついた地竜を止めることなんて、同族の地竜でも困難を極める。

 ファビアンは自分の失言にほぞを噛んでいたことだろう。アンバーが机を叩き続ければ、一枚岩の頑丈なテーブルの天板が割れてしまうだろう。すでにヒビが入り、破片が宙を舞い始めている。

 今度は批難がましい視線を集めたファビアンは、げんなりと肩を落とした。


「わかった。わかったから、叩くな一枚岩の小倅」


「最先端っていう二つ名、いい加減覚えてほしいね」


 面白くなさそうに言い捨てたアンバーの目は、まだギラついている。


「黒宮の書庫だ。あそこには、あらゆる真実が埋もれていると聞いたことがある。真偽は定かではないが、あるとすればそこしかない」


「黒宮の書庫、だって? ああ、一なる女神さまぁ……」


 竜王の宮殿の書庫と聞いて、アンバーの興奮は一気に冷めて落胆の表情を浮かべると、急に力が抜けたのか勢いよくテーブルに頭を打ち付ける。派手な音がしたと思ったら、彼の頭を中心にテーブルが凹んでいた。

 クレメントは仮面の向こうで、青筋を立ててたに違いない。


「おい、いい加減にしろ、石頭の小倅。テーブルを割ってみろ、叩き出してやる」


「あー」


 すっかり意気消沈したアンバーが頭を引き剥がして、軽くテーブルを撫でる。それだけで、一枚岩のテーブルは元通りになった。


「黒宮にあった書物なら、全部読んだよ」


 彼の虚ろな声に、わたしは自分の顔が引き攣ったのがわかった。

 それはつまり、わたしたちが都に滞在した短い間で、黒宮の書物を読んだということだ。それにしても、いったい、いつの間に黒宮の書物まで目を通していたというのか。

 竜族には、わたしたち人間とは違う。人間の姿に変化するけれども、明らかに人間とは違うのだ。さっきもアンバーが、一枚岩のテーブルを頭で割りかけて、軽く撫でただけで元通りにしたように。違うのだと受け入れてしまえば、いちいち驚いたりはしない。

 けれども、地竜族の異常な知識欲だけは、いまだに驚かされるし受け入れがたいものがある。それはきっと、知識欲はわたしたち人間も持っているからだろう。


「月も明るかったし、眠らずに読んだけど、ははっ、目新しいことなんか、なーんにも、ははっ……」


 なにがそれほどショックだったのか、アンバーは全部玲瓏の岩窟にあったしとか虚ろな声でブツブツとぼやいている。

 アンバーを正気に戻したのは、やはりファビアンだった。


「馬鹿なのか、この地竜のガキは?」


「だから、最先端のアンバーだって言って……」


「最先端の二つ名を名乗るくせに、黒宮の書庫が一つでないことも、誰もが目にすることができる場所に口伝えにしか残さなかった真実があるわけもないことも、気がつかなかったのか」


 面倒くさそうにファビアンは頭を掻いた。

 アンバーは悔しそうに拳を握りしめたけれども、すぐに目を輝かせて身を乗り出す。


「そうだよ、隠してあったに決まってたんだ!! どうして気がつかなかったんだろう……というか、三日じゃ全然足りなかった。もっと時間があれば、ちゃんと見つけられたかもしれないのに」


 またテーブルを叩こうとしたアンバーを、クレメントの恐ろしい視線が阻止する。そして、その見えざる怒りの炎のような視線は、黙れという警告でもあったのだろう。

 額に汗をかいて口を閉じたアンバーに代わって、クレメントがファビアンに尋ねる。


「それで、その隠された書庫とやらに、確実に抑止力が記述された書物があるのか?」


「あるとすれば、だ。仮にあったとしても、あそこから見つけ出すのは、絶望的だ」


「それは、どういうことだ?」


 なぜ、ファビアンは先ほどから歯切れの悪い言い方をしているのだろう。彼らしくないような気がする。


「多すぎるんだよ」


「は?」


 いたって真剣なファビアンに、わたしたちの誰かが間の抜けた声をあげる。


「質も量も、あそこに収められている書物が多すぎる。ほとんどが、一度収めたら日の目を見ることはないから、整理もろくにされていない。ゴミ溜めのようなところだ」


「具体的な量は?」


「さぁな、少なくとも、玲瓏の岩窟の大図書館よりは多いはずだ」


 うんざりしたようにクレメントの問いに答えたファビアンは、アンバーがよだれを垂らさんばかりに興奮していることに気がつかないのだろうか。


「それでも、あるとすればそこ以外にない。だが、見つけられるかは、絶望的だ。あんなところ、一日どころか半日だって耐えられない」


「だが、地竜どもなら、耐えられるどころか、楽園だろうよ」


 クレメントに言われて、顔を上げたファビアンは、だなと短くげんなりと同意する。

 犬だったら尻尾が千切れそうなほど振っていそうなアンバーは、今すぐにでもその楽園に行きたかったことだろう。けれども、クレメントが冷ややかな声でお預けを食らわせた。


「最先端のアンバー、お前……」


「一枚岩の小倅だって……あ、しまった」


 自分の失言に愕然として我に返ったアンバーがおかしくて、思わず笑ってしまった。

 冷ややかだったクレメントも、すかさずからかうような声になる。


「よし、一枚岩の小倅……」


「クレメント様、最先端です。ごめんなさい、ごめんなさい! どうか、二つ名で呼んでください。せっかく二つ名もらったのに、父さんの息子ってあんまりですぅ」


 取り乱すアンバーに、一緒に旅をしてきたターニャとわたしは愉快な気分になった。そんな場合ではなかっただろうに、深刻な態度を続けるのは疲れるのだ。今こうしている間も、故郷の人たちは大変な目にあっているかもしれない。けれども、わたしが一人で背負いきれないようなことを勝手に抱えこんで悲観的になったら、お姉ちゃんにきっと怒られてしまう。わたしは、わたしのできることをすればいい。わたしは一人ではないのだから。


 愉快な気分になっているのは、アンバーをよく知っているわたしたちだけだ。ニコラスとアントニーはわけがわからない顔をしている。隣のファビアンは、それほど関心がないのか、ボリボリと煎り豆を食べている。


「ま、たしかに、お前にも弟が生まれるしな。いつまでも、一枚岩の小倅では、そのうち区別に困る。それまでに、もっとしゃんとするんだな、一枚岩の小倅」


「…………え?」


 おろおろうろたえていたアンバーから表情が消えた。


「おと、うと?」


「おいおい、何言ってるんだ。一枚岩の奥方が懐妊したことくらい……」


「そんな話、僕は聞いてない!!」


 アンバーが悲鳴じみた声を上げる。

 首をかしげたクレメントは、不思議そうに続ける。


「この前、リュックベンで会っているだろう。その時には……」


「あああああああああああああんの、糞親父ぃいいいいいい!!」


「どうどう、落ち着け、一枚岩の小倅」


 感情がこもっていない平坦な声で、ファビアンは顔を真赤にしたアンバーをなだめる。


「どのみち、玲瓏の長にうかがいを立てるのが筋だ」


「今から、月影の高原に行って話をつけてくる」


 鼻息を荒くするアンバーだったけれども、その必要はなかった。


 チリーン


 可憐な音が、ターニャの方から聞こえてきた。


「氷鈴だ」


 彼女は取り出した氷鈴は、チリンチリンと急き立てるように鳴り続ける。

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