暗黒地帯について

 お姉ちゃんが大好きな市長が、リュックベンの未来を想って強引なくらい押し進めた計画が撤回されたなんて、信じられなかった。

 入浴の習慣がなかった市民たちに、少しずつ竜族たちは受け入れられていったではないか。

 式典からまだひと月と少ししか経っていないではないか。

 頭が真っ白になって、何も考えられないほど衝撃的だった。


「都市連盟の総意だが、リュックベンを含めていくつかの都市では抵抗もある。主席たちが先に撤回を表明して、今は各市民の説明に回っている」


「順番が逆じゃないか」


 クレメントの話に、アンバーが無茶苦茶だと嘆く。彼もリュックベンで活躍してくれたのだから、嘆く権利はある。


「それだけ、市民を納得させる事情があるんだろうよ」


 吐き捨てるように、クレメントにそう言われてしまえば、もう何も言えない。


「ちょっとタイミングがよすぎることが、多すぎないか?」


 心配そうにわたしを見やりつつも、ターニャはあえて現実的な話を進めてくれた。アンバーも、彼女にならったのか、顎をさすって考える。


「整理してみよう。モーガルでライラが僕らを裏切ったのが、今月の三日。その時、初めて使った武器でこの国と取引をしようとしたのが、昨日の六日。南の都市連盟が、破棄したのも、昨日であっているんですよね、クレメント様」


「ああ、その通りだ。だが、実際にはもう少し厄介なことになっている。そうだろう?」


 クレメントは仮面越しに、同席しているラトゥール砦の老兵に話をうながした。


「はい。その武器を持ち込んだ聖王国の奴らは暗黒地帯を抜けてきたのです」


「嘘だろ?」


 信じられないと、ニコラスは呻くような声を上げる。


「あの暗黒地帯を、あんなもの持って抜けるって、あの噂がいよいよ……」


「ニコラス殿下、残念ながら、噂は事実でした」


 アントニーは厳しい顔つきで首を縦に振った。

 そのころには、わたしもようやく冷静に考えられるようになった。お姉ちゃんたちのことが心配だけども、今はとにかく全部聞いたほうがいい。たぶん、クレメントのことだから、もしものことがあれば先延ばしにしたりせずに、真っ先に教えてくれるだろう。そうでないということは、今はアントニーの話のほうが重要だということだ。


 それにしても、わたしはざっくりとだけどカヴァレリースト帝国のことを知っているつもりで、何も知らなかったのだと思い知らされる。

 なぜ、ニコラスが青ざめているのかわからない。

 暗黒地帯が、カヴァレリースト帝国とブラス聖王国の緩衝地帯であることは理解している。無法者やならず者が巣食う危険な場所だとも。

 だから、どんな噂があったのかも知らない。


 ファビアンは、それほど意外でもなかったようだ。


「暗黒地帯は、ブラス聖王国に与したというわけだな」


「属国と言いますか、自治権までという話です」


「もうすでに、与えられたのか? それとも、まだか?」


「まだ、です。なるほど、暗黒地帯の動向まで把握済みとは、さすがです」


 老兵の賞賛を、ファビアンは聞き流す。


「まだ、だろうな。だが、これで暗黒地帯の立場ははっきりしたな」


「なんで?」


 話についていけなくて、つい口を挟んでしまった。どうやら、わたしだけが話についていけないようだと、気がついてしまったせいもある。わたし以外はみんな、暗黒地帯のことをある程度把握している上で、話を勧めているのだ。もちろん、なにか急を要することだったりすれば、わたしを置いて話を進めてくれて全然かまわない。むしろ、そのほうがいい。ただ、そこまで考えるよりも先に口を挟んでしまったのが、悪いのだから。

 わたしが口を挟んでしまったせいで、どうしたものかという空気になって押しつぶされそうだ。考えるよりも先に口や手が出てしまう自分の性格を呪いながら、発言を撤回しなくては。そう口を開きかける前に、アントニーが軽く頭をかく。


「そういえば、そちらの方以外も、皆さん、暗黒地帯がどういう場所なのか、どこまでご存知なのですか? もちろん、ニコラス殿下とタチアナ嬢は、ご存知だとして……」


 彼が言う皆さんとは、アンバーとクレメントの二人だろう。地竜と火竜は、竜の森の東と南に位置している。大陸の北西部の暗黒地帯に地理的に遠いのだから、彼の疑問は当然のことだ。

 アンバーは、軽く肩をすくめた。


「あまり、詳しくは知らないよ。もともと、ひどい不毛の土地で人間が暮らすには向かないということ。その上、混乱の時代に住み着いた人間が、ろくでもなかったから、竜族の恩恵に預かれないってこと。だいたい、その二つを知っていれば、充分だからね」


「なるほど」


 単純なアンバーの返事に、アントニーの表情が曇る。


「では、ひどい不毛の土地で、どうやって彼らは暮らしているのかは、ご存知でないと?」


「あ……」


 アンバーもわたしも、そこまで考えたことはなかった。

 げんなりした声で続けたのは、ニコラスだった。


「略奪だよ。暗黒地帯の近隣の住人たちから、生きるために必要なものを奪っていく。他人が汗水たらして手に入れた生活の糧を、だ」


「そう言われてみれば……ああ、だから、暗黒地帯と呼ばれているのか」


 すぐに納得したアンバーと違って、わたしはどうしても理解できなかった。他人の生活の糧を奪うなんて、どうして理解ができるというのだ。

 納得の声を上げたアンバーは、すぐにでもと顎をさする。


「だとしたら、どうして放置してきたんだろう。帝国でも聖王国でもいいから、制圧して暗黒地帯を自分のものにしてしまえばいいのに」


「お前、本当に地竜なのか。何度も、制圧しようとして失敗している。帝国も聖王国も、だ」


 ファビアンが呆れたように肩をすくめて、アントニーを見やる。ラトゥール砦は、暗黒地帯の蛮族たちから守るためにあるのだから、当然のことだった。


「ファビアン様の仰る通りです。最後に制圧に挑んだのは、俺の曾祖父さんがはなたれ小僧だった頃と聞いています。そもそも、土地勘がない不毛な土地に攻め入るだけでも難しいというのに、あの土地ごと手に入れたところで、なんの得があるのか。開拓できなければ、またああいった輩が住み着くだけです」


「結局、暗黒地帯の輩がちょっかい出してきたら、ほどよく追い払うのが、一番だったんだよ。あるいは、割に合わない取り引きをするか」


 ニコラスは、その現状を快く思っていないようだ。おそらく、ニコラスだけではないのだろう。


「三年ほど前からでしょうか、暗黒地帯の略奪が途絶えてしまったのです」


「むぅ、いいことじゃない」


 アントニーがなぜ暗い顔をするのか、わからなかった。


「いいことといえば、いいことなんでしょう。ですが、さっきも申し上げたとおり暗黒地帯は、不毛な土地。奴らが奪わずに生きているということは、他の地から与えられているということです」


「聖王国に略奪していた、という可能性だってあるじゃないか」


「アンバーくん、我々もその可能性は充分考えたよ。聖王国側も、略奪の被害が三年ほど前からやんでいました」


 否定されたアンバーは、珍しくふてくされた顔をして口を閉じた。


「探りを入れて、すぐに聖王国の南の方の領主が支援していることは、つかめましたが、信憑性がなかったり不確かな情報も多く上、実害がないまま、先日の使節団です。これで、はっきりしました。暗黒地帯の蛮族どもは我々の国の一部ごと略奪することです。あるいは、帝国そのものを乗っ取る気でいるかもしれません」


「真理派の女王は帝国ことを構えるつもりだったのか。そのために、三年前から暗黒地帯の蛮族を手なづけて、戦力とする。ことが終われば、帝国の一部を与えると約束して、とそんなところか」


 推測ですがと、アントニーはファビアンの言うとおりだと首を横に振る。

 重苦しく垂れ込める沈黙を、アンバーが破る。


「ちょっと待ってよ。それじゃ、昨日のあれはなんだったのさ」


「初めから帝国に喧嘩を売るのが、目的だっただろうな。冷静に考えてみればそうなる。大砲とやらを持ち帰れなくても、帝国で製造するのは無理だと高をくくっていたのだろうよ。奴らの唯一の誤算は、早々に帝国が竜の森と手を組んだ」


 クレメントのくぐもった声に、アンバーはガシガシと頭をかきむしる。


「ライラは一体何をするつもりなんだ。僕には、どうしても彼女が混乱の時代に真理派がやったことと同じことをするとは思えないんだ。そもそも、僕はまだライラが裏切ったことも受け止められないでいる」


「アンバー、気持ちはわかるけど……」


「ターニャ、そうじゃないんだ。僕は、彼女が竜族を憎んでいたようには、とても見なかったってことだよ」


「人間も竜も、嘘をつく。水竜の小僧も嘘つきだったが、あの小娘もそうとうだ」


 クレメントが言う水竜の小僧は、アーウィンのことだろう。たしかに、アーウィンは嘘つきだ。今思えば、彼は幼い頃から嘘つきだったではないか。

 そういえば、ライラもアーウィンを嘘つきだと言っていた。モーガルでの会話に、なにかあるのではと記憶の蓋を開ける。


「わたしも、憎しみとかそういうのじゃないような気がする。上手く言えないけど、そんな気がするの」


「そのうち、わかることだ」


 今はとにかく、できることをしておくべきだと、クレメントは言う。真理派を憎む彼は、もしかしたら今すぐにでも聖王国を焦土に変えたい衝動と戦っているのかもしれない。


「それにしても、タイミングがよすぎる。まるで、水鏡でライラが遠く離れた人間に指示を与えていたみたいじゃないか」


「アンバー、それはちょっと……」


「わかってる。わかってるんだ、ターニャ。でも、そうでなかったら、こんな……あ、あーーーーーーーっ」


 アンバーはテーブルを叩く。


「抑止力だ! 一なる女神さまから与えられた抑止力に水鏡に変わる何かがあったんだ!!」

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