悪い知らせ
注目を集めるのには、慣れているつもりだ。
特に、竜たちの視線には慣れている――はずだった。
「むぅ」
作業を止めても、地竜たちは遠巻きに見つめてくるだけで、近づいてきたり、ましてや話しかけてくることはなかった。
なんだか、やけに居心地が悪かった。
クレメントさまが待っている城郭部にわたしたちを、あからさまに見つめてくるのは、まだよかった。一番居心地の悪さを感じたのは、さり気なさを装っているけど、失敗している地竜たちだ。
「…………なぁ、ウロコはまだ姫さまが持っているんだよな」
「そう聞いているけど、なんか…………」
「ていうか、思ってたよりフツーだよな」
それから、わたしたちが通り過ぎた途端にひそひそとささやきあうのが丸聞こえだ。
「クソが」
ファビアンの背中から、不機嫌さも伝わってくるから、ますます居心地が悪い。
「落ちるなよ」
「む? むぅうううううううううううう!!」
いきなり馬を駆り立てるから、本当に落ちるかと思った。
城郭部の前庭で待ち構えていたのは、アンバーだった。
「おかえり」
アンバーの興奮ぎみのおかえりに、なんて答えればいいのかわからななかった。「ただいま」と答えるには、わたしはまだこの城塞に馴染んでいない。だから、曖昧に笑うしかなかった。
「早かったじゃないか、フィオ」
「うん。ちょっと近道してね」
城塞で待っていたターニャの手を借りて馬を降りる。まだ一日しか経っていないのに、彼女の顔を見るだけで安心してしまう。
「怪我はないか?」
「もちろん」
心配してくれるターニャに、笑顔で答える。けれども、ターニャの顔は、逆に暗くなった。
「エロ皇帝に、何かされなかったか?」
「特に何もされてないよ」
「されたんだな!」
笑顔がこわばるのが、わかった。
ルカの悪癖は、北の帝国では有名らしい。
とはいえ、特に何もされていないのは、事実だ。言われたりはしたけども、彼は、わたしに手を出したりしなかった。
けれども、ターニャは納得してくれないだろう。わたしの肩を掴んできたのが、何よりの証拠だ。
「えーっと、そのぉ……」
「そんなに、言いづらいのか!!」
「そうじゃなくて……むぅ」
「その辺にしておけ」
助け舟を出してくれたのは、城塞に残った帝国人に馬を預けたファビアンだった。
「あいつは、巨乳にしか手を出さない。貧乳は、夜這いされても追い出すだろうよ」
「あ、そうだったな。フィオは、眼中にないか」
あっさりターニャは肩を掴んでいた手を放してくれた。
おもしろくない。
文句の一つでも言わないと考えるけども、自分のコンプレックスまで吹き出してしまいそうで躊躇してしまう。
そうこうしているうちに、遅れてやってきたニコラスが彼女を勢い良く抱きしめてきた。
「愛しのターニャ!! 昨夜は寂しい思いをさせてすまなかった」
「うぜぇ」
離れろともがく彼女を見て、少しだけ溜飲が下がる。
そんな賑やかな二人を気にも留めないでファビアンは、一晩で様変わりした城郭を見上げている。
灰色の石造りの城の崩れていた部分は、きれいに塞がっている。
昨日まで廃墟だったのに、地竜たちの力があれば、たった一晩でこんなに修復できるとは思わなかった。
修繕には役に立っていないはずのアンバーが目を輝かせて、自慢したくなる気持ちもわからないでもない。
「城郭は、割りと原型をとどめていたからね。今日中にでもだいたい修繕は終わる。都市部と城壁は、もう少し時間がかかりそうだけどね」
「でも、すごいよ。アンバー」
と、アンバーは何か言いたくてしかたがないのだと確信した。明るい茶色の目がキラキラしている。怖いくらいだ。
「フィオ、あのさ……」
「早かったな。一枚岩の小倅とそう変わらんではないか」
アンバーの声を遮るようにして、クレメントが城郭から姿を現した。感心しているようにも、呆れているようにもとれる、くぐもった声。その声に、それ以外の複雑なものも混ざっている気がした。
ありきたりな表現だけども、わたしはなんだか嫌な予感がした。
クレメントが案内してくれたのは、一枚岩のテーブルがある部屋だった。見違えるようにきれいになっているけれども、ファビアンが真実を明かしてくれたときと同じ部屋だ。きれいになっているだけではない。壁に隙間風よけの毛織のタペストリーがかけられていたり、テーブルの上にも地図や本が乗っていたりと、なかった物が増えている。
「まぁ座ってくれ」
クレメントが顎でファビアンに示したのは、奥にある椅子だった。
口調は砕けているものの彼はまだファビアンに敬意を抱いているのだろう。
意外にも、ファビアンはあっさりと奥の肘掛け椅子についた。
アンバー、ニコラスとターニャ、それからラトゥール砦から来たと思われる武骨な男も、テーブルを囲むように席につく。
わたしは彼らに遅れて空いた席についたけども、最後に残った椅子は当然のことのようにファビアンに近かい。
クレメントは座らずに、さっそく留守中の話を始める。
「その前に、彼は西方守護部隊の副隊長アントニー・グーシン殿だ」
副隊長と紹介されたアントニーは、五十近くの老戦士だ。そう言われてみれば、ラトゥール砦の大将ドミトリーの側にいつもいたような気がする。
彼は席を立ちくファビアンにむけて挨拶をしながら、西方守護部隊は夜が明ける前にラトゥール砦に向けて発ったといった。
アントニーは、戦士というよりも紳士だった。声もほがらかで、物腰が柔らかい。それでいて、しっかり芯の強さがある人だ。
ラトゥール砦の大将ドミトリーが引き連れてきた西方守護部隊は、皇帝の早馬からの命令で帰還することになったらしい。全員連れ帰ったのでは、帝国の人間はターニャだけになってしまう。ニコラスが戻ってきたとしても、地竜たちや火竜の長に、世界竜の生き残りの中に帝国の存在が埋もれてしまう。それを避けるためにも、ドミトリーは信頼のおけるアントニーと五人ほど残していったそうだ。
「この城塞を任されたとはいえ、ニコラス殿下だけでは心もとないではないですか」
どこまで冗談なのかよくわからないけれども、彼はそう締めくくって腰を下ろした。
そして、話し手はクレメントに戻る。
「さて、いい知らせも悪い知らせも、そのどちらでもないことも、何から話せばいいのか迷うほど話さなければならないことがたくさんある。だが、その一枚岩の小倅を落ち着けさせるためにも、まずは風竜の新しい長ことからだろうな」
そう言われて、アンバーを見れば、まだそわそわしていた。待ち構えていたときほどではないけれども、クレメントが呆れたため息をつくほどには落ち着きがない。
「もう決まったのか? 小閃光のロイドは、後継者を指名していなかったはず」
意外そうに声を上げるファビアンは、意識的にアンバーを気に留めないようにしているのだとわかってしまった。彼は、アンバーの知識欲に辟易しているようだったし、おそらくそれが原因なのだろう。気持ちはわからないでもない。
「ああ、名乗り出るやつがいたからな。すぐに決まった。新風のヴァンだ」
「新風の……ヴァン? ヴァンって、あのヴァン?」
聞き覚えのない二つ名に首を傾げかけたところで、昨日、見送った仲間のことだと気がついて首が元の位置に戻る。
「意外だよね。あのヴァンが、さぁ。僕はフィオのパン屋を継ぐって言い出すんじゃないかって思ってたのに、僕より先に長になってさぁ」
旅立つ前から交流があったアンバーは、ヴァンが新しい長になったのを心から祝っているのがよくわかる。自分のことのように、誇らしいに違いない。きっと、ターニャもそうだろう。声には出さないけれども、アンバーと同じ顔をしている。
けれども、わたしはアンバーが言ったことが引っかかった。
空井戸の底で、ファビアンの上で見た夢では、ヴァンはガードナーベーカリーの工房にいたではないか。あれは未来などではなく、ただの夢だったのだろうか。少しだけ、寂しいような気持ちになりつつ、結局わたしもヴァンが新しい長に名乗り出たのが、誇らしかった。
そんな誇らしく温かい気持ちは、クレメントのくぐもった咳払いをするまでしか続かなかった。
「次に、モーガルから所在がつかめなかったライラ・ラウィーニアだが……」
ライラの名前を聞いて、わたしは無意識のうちに両手を握りしめていた。
祝福に浮ついた雰囲気が落ち着いたのを確認してから、クレメントはテーブルの地図の中から聖王国の都市の一つを指し示す。
「聖都ブラーニアに向かっているそうだ」
「聖都? 王都ではなく?」
ファビアンが確認したのは、おそらくモーガルからは、王都よりも聖都のほうが遠いからだろう。
「ああ、聖都だ。間違いない。十五日に、聖都で戴冠を執り行うと、触れ回っている。小ロイドの阿呆が復讐した王都では、行わないそうだ」
「そうか」
ファビアンは、何かが引っかかっているようだけれども、クレメントに先を促した。
「それから、これは悪い知らせだ。南の都市連盟が竜の森との声明を撤回してきた」
わたしは、真っ先に故郷のお姉ちゃんたちの顔が思い浮かんだ。それから、気が遠のく。
ほんの一瞬のことだけども、たしかにわたしの体中の力が抜けて頭が真っ白になった。
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