宴のあとで 〜星見盤の代償〜
手袋を持ってこなかったことを後悔しながら、手をこすり合わせて息を吹きかける。かじかんでも、わたしは天幕の側を離れる気はない。
ファビアンの力ない声が、わたしの心臓ごと捕らえて離してくれないのだ。
「別に、お前の世話になるつもりはなかった」
「ほう、それは繁みの中でぶっ倒れているという意味か? ふざけるなよ。俺の立場を考えろ。朝になってお前がいないとなったら……」
「だから、朝には……」
「仮に朝にはピンピンしてようが、人目を避けてぶっ倒れるとか、獣じみたマネはもうやめろ」
「だが……」
「あ、の、な、迷惑だと言っているんだ」
ルカは、まるで聞き分けのない子どもの相手しているようだった。実際、ファビアンは聞き分けのない子どもそのものだ。
パンパンと、なにか固くて軽いものを叩く音が聞こえてきた。
「星見盤を二回も使ったらしいな。……ぶっ倒れることくらいわかっていただろ。俺がこうして匿ってやることも、だ」
「まぁ、そうなんだが……面倒くさいだろ」
「何が、面倒くさいんだ。はっきり言え」
「おい、寝ろと言ったのはなんだったんだよ」
「お前が寝落ちるまで付き合ってやることにした」
「なんだそれ」
まさに、なんだそれだ。
ルカの言っていることは無茶苦茶だ。でも、友と呼び合う関係の相手が、自分を頼ってくれなかった腹立たしさはわかる気がする。
「そもそも、竜を殺す兵器なんぞ、世界の中心の塔でなかったコトにできるだろうが」
呆れかえったルカに、ファビアンはすぐに答えなかった。
寝てしまったのか。それとも答えたくないのか。短いとはいえ、ファビアンと接していると、後者だとわかるようになった。
それにしても、なかったコトにできるだろうがとは、どういうことだろうか。世界の中心の塔は、未来を読み取る星見以外にも役割があったということだろうか。
ルカがさらに問い詰める前に、ファビアンの苦々しい答えが返ってきた。
「できたらやってる。……壊れたんだよ」
「は?」
「塔の巨大光石が、光を失った」
耳を疑った。
去年、わたしたちが世界の中心の塔を訪れたときは、塔の光石は輝いていたではないか。
「もう一年になるか。俺の花嫁が、塔から腕輪を持ち去った。それから、役立たずの塔になった」
「む……っ」
思わず声を上げそうになって、あわててかじかんだ手で口を押さえる。
幸い、天幕の中の二人の耳には届かなかったようだ。
「おい、話が違うぞ。お前があの貧乳に会ったのは、ついこの前のことだと……」
「だいたい合ってる。俺は流星のライオスの葬儀のあと、世界の中心の塔に行ったし、そのとき奴らが来た。隠れてたんだよ。おかげで、あちこち探し回るはめになった」
ファビアンが貧乳という単語を聞き流したのは、反論できないほど疲れているせいだろう。そうに違いない。
「俺は、花嫁だとも知らなかったんだ」
「……竜の森で守り育てられている小娘とくれば、そのくらい予想はついただろ」
「それも、知らなかったんだ」
「…………灰霧城塞を好きに使えとは言ったが、引きこもれとは言っていないぞ」
「引きこもってたわけじゃない。とにかく、塔はもう使えない。事実を書き換えることもできない」
盛大なため息は、どちらのものだったのか。
「千年前、お前たち世界竜族は犠牲を払った。いよいよ、今度は人間が精算しなくては、か」
「考えすぎだ。イサーク」
「ルカだ。何度も言わせるな。……俺が、宿願のためだけに楽園への道を拒み続けたとでも?」
「本当に、馬鹿だな。何回死ねば、その馬鹿は治るんだ」
きっと、二人にしかわからない言外のやり取りがあったのだろう。しばらくの沈黙のあと、ルカが話を変えた。まだ、ファビアンは起きているらしい。
「もう二度と星見盤を使うな」
「どうせ、死にはしない」
「なぜ言い切れる。世界の中心の塔が壊れ、現れるはずもなかった花嫁に、夜空には星の導きを消し去る二つの満月。世界が揺り起こされたといったのは、お前だぞ、世界竜族の生き残りのファビアン。これまでがそうだったからといって、これからもそうだと、なぜ言い切れる」
憤りをにじませたルカは、ファビアンが答える前に続ける。
「お前が死にたがりだからだろう。馬鹿はお前もだ。花嫁を前にしても、お前は死を求めている。だから、こんな自殺のようなまねができる」
「否定、できないな」
聞きたくなかった。胸がしめつけられる。
「千年だぞ。千年、死に損なってみろ、花嫁は与えられなかったと思うだろ」
「ファビアン、お前、まさか、花嫁から逃げたかったのか?」
「…………誰にも言うなよ」
ルカの咳払いがわざとらしすぎる。
寒さに体がこわばっていなければ、天幕の中に飛び込んでファビアンを蹴り飛ばしているところだ。
「まぁ、別に千年とか関係なく、女から逃げたくなる気持ちはわかる」
「お前と一緒にするな」
「同じことだろうが。ようは、一人気ままな独身の時代が終わるのが、怖い。それだけの、よくある話だ」
低いうめき声は、ファビアンのものだろう。
それから、静かになった。ファビアンが眠ってしまったのだろうか。
わたしも限界だ。そろそろ戻らないと、凍えてしまう。そう思うのに、体が思うように動かなくなっていた。
「おい」
突然、天幕の内側ではなく、外からルカの声を聞いたとき、心臓が止まりそうになった。幻聴かと思ったけど、そうではなかった。
ルカは、静かにわたしの正面にやってきた。いつの間に、外にいたのかまったくわからない。月明かりを背にして白髪交じりの金髪の三つ編みを解いたルカは、本来の歳よりも老けこんで見える。
「こんなところで、凍えられては困るんだがな」
呆れ返っている彼に、何か言い返そうにもうまく声が出ない。
白いため息をついたルカは、膨らんだ革袋をわたしの手に握らせた。温かい革袋のおかげで、かじかんだ指の感覚が戻ってくる。
「これにこりたら、盗み聞きなどするなよ、小娘」
びっくりして顔をあげると、夜空の満月を指差した。
「こういう月が明るい夜は、影ができる。それも、北では常識だ」
振り返るまでもなく、背後の天幕にはわたしの影がある。分厚い天幕でも、これほど外が明るければ、影が浮かび上がっていたのだと容易に想像できてしまった。
ルカがわたしに気がついたということは、つまり――
「ついでに言っておくが、お前に気がついたのは俺だけだ」
わたしの懸念を察したルカが首を横に振る。
「立て、小娘。ナターシャの天幕まで送り届けてやる」
非常に面白くないけれども、ルカが差し出した手を借りるしかなかった。ゴワゴワした手袋をつかむ力が足りなくて、彼に腰に手を回してもらう羽目になったのは、面白くないどころではなかった。不快感しかない。それでも、凍えるよりかはマシだ。
わたしの足に力が入っていないと知った彼は、心底嫌そうな顔をする。
「貧乳を抱えても、少しも嬉しくないんだがな。よっと」
「むぅ!」
軽々と小脇に抱えられても、抵抗できるだけの体力がない。腹立たしさよりも、ただただ情けなさで、消えてしまいたくなった。
「まったく、世話のやける小娘だ」
「小娘じゃない。フィオ。フィオナ・ガードナーよ」
「小娘だろうが。竜の森でちやほやされて、一人ではなにもできない。馬鹿にされたくなかったら、少しは学べ」
何も言い返せなかった。
目頭が熱くなる。革袋を両手で強く握りしめるけど、もう温めてはくれない。
「自覚はあるんだな」
「……わたしだって、どうにかしたい」
自分の足で歩くこともままならないようでは、説得力などないだろう。
「泣くな」
「泣いてない」
涙はこぼれていない。けれども、声は震えている。
「考えてるもん。わたしだって、ちゃんと考えているもん。考えが足らないだけだもん」
「そうかい」
これでは、小娘と小馬鹿にされても文句は言えない。
「だが、それでちょうどよいのかもしれんな」
ルカの口調が不意に和らいだ。
「考えが足りんくらいが、あいつにはちょうどよいのかもしれん」
現金なもので、ピタリと涙が止まってしまった。
「お前、本当にわかりやすいな」
「むぅ」
「ほら、いい加減立てるだろ」
足を地面につけると、たしかに自分の足で立てた。ルカは、しっかりと立ったとわかるまで、わたしから手を離さなかった。
見覚えのあるナターシャの天幕は、すぐそこだった。
「ありがとうございました」
「まったくだ」
頭を下げて、革袋を返そうとしたけど、彼に押し返されてしまった。さらに、もう片方の手にしていた黒い星見盤も押しつけようとしてきたではないか。
「むぅ?」
「隠し持っておけ」
よく聞けと、ルカは真剣な顔つきになった。
「世界竜族は、世界――空間を操る。この程度の物なら、どこにあるかわかっていれば、どんなに遠くにあろうとその手にとることができる。わかるか? 逆にどんなに近くにあろうと、どこにあるかわかっていなければ、あいつは
ルカが何を言おうとしているのか、なんとなくわかってきた。
「星見盤は、世界の中心の塔の縮小版だ。事実を変える」
「事実を変える?」
「知らんのか?」
盗み聞きした内容で、世界の中心の塔が未来を読み解く他に役割があったのだと、初めて知ったのだ。
「やれやれ、古の竜族とはよく言ったものだ。名も無き始まりの竜王の末裔が、何をしてきたのか、すっかり忘れ去られてしまっているとはな」
それは、おそらくわたしに向けられた嘆きではない。
「いいか、小娘。世界竜族は、世界の中心の塔で現在と未来を都合よく変えてきた。過去に起こった事件が起こらなかったように、現在を変える。読み解いた未来を変える。彼らが代償を払えば、まさに神をも恐れぬことができた」
未来を変える。ルカのそのひと言には、覚えがあった。
ユリウスは、自分の息子ファビアンの花嫁であるわたしの誕生を千年遅らせるために、同族の命を犠牲にしたと、リュックベンで知らされたではないか。
ルカは、さらりと言ったが、代償はおそらく――。
「俺も直接は知らない歴史だ。だが、竜族も人間も世界の中心の塔でおこなわれていたことが正しいと、疑うこともしなかった。今、ここに立っている俺たちを、瞬き一つするうちに遠く離れた南の地に立たせる。そのくらいは、この星見盤でも可能だ」
あらためて、黒光りする冷たい星見盤を見つめる。
どうやれば、この星見盤でそんなことができるのか、さっぱりわからない。星見盤は、珍しいものではない。星辰の湖に行けば、どの家にもある。大抵の場合は、今や食堂の壁に飾られているだけだけれども、船頭や星見にたずさわる一族は、物心がつく頃には星見盤と実際の星空を照らし合わせることもできる。星辰の湖だけではない。地竜族も、水竜族ほどではないけれども、星見盤の読み解き方を学んでいる。農作物の種まきに最良の時期を教えてくれるのも、星見盤だ。人間にとっても、身近な道具だった。わたしも、実際の星空に対応させることくらいならできる。
「二度と使えないように、叩き割ってやるつもりだったが、気が変わった。花嫁のお前に任せることにする」
「考えなしの小娘に、そんな大事なものを?」
この星見盤は、わたしの手に余る物だ。嫌味ではなく、ルカが叩き割る方が正しい選択だと思った。
不安がるわたしを、ルカは鼻で笑った。
「年を取れば、それだけ賢く……慎重になる。俺も、ファビアンもそうだ。だから、お前みたいな小娘がちょうどいいのだろうよ」
「むぅ」
褒め言葉と受け取るべきか、迷ってしまう。
「星見盤をどうするかは、お前が決めろ。やつに返すのもよし、割るのもよし。焦って決めることもないだろうがな。これだけは言っておく、ファビアンから離れるな」
迷っているうちに、ルカはそう言って行ってしまった。
ファビアンから離れるな。そのひと言が、耳に残ってしばらく離れそうにない。からかうような様子もなく、やけに真剣だったせいだろうか。
夜風に、髪を遊ばせながら帰っていく彼を見送って、ようやく大きなあくびが出てきた。
ようやく、長い夜も終わったのだ。
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