西と北

 ベルン平原では、すでに聖王国の使節団が竜を殺す兵器を実際に使って、皇帝に披露していた。たしかに、遮るもののない広大なベルン平原は披露するにはうってつけだろう。

 禍々しい空気を震わせる音とともに、黒い鉄球が平原の上を横切る。

 そんな恐ろしい光景を、わたしは言葉もなく見ているしかなかった。あんなものがなければ、アーウィンは片目を失わずにすんだ。モーガルの街から竜たちが追い立てられることもなかった。あんなものがなければ、故郷のリュックベンのように人間と竜族は手を取り合って、うまくやっていけるはずだった。


「最先端のアンバー、同じ物を作れるか?」


「こんなに遠くちゃ無理だよ」


 アンバーは首を横に振ってから、でもと続ける。


「でも、もっと近くで見れば作れるよ。仕組みはだいたいわかったから」


 まじかとドゥールが天を仰いだ。水竜の彼は、切り札だとファビアンは言っていた。できれば使いたくないとも。

 ちょうどいい岩があったので、そこに腰を下ろす。まだ太陽は高く昇っていない。まだ時間がある。皇帝の前では口を利くなと言われているから、わたしなりに状況を整理しておこう。


「ずっと疑問だったんだけど……あの兵器の仕組みを把握するのは、対抗するのに重要な事だってのはわかる。でも、複製する必要はないんじゃないの?」


「あっ」


 真剣な顔つきでベルン平原を見下ろしていたアンバーが、素っ頓狂な声をあげる。どうやら、地竜族の知識欲から兵器の仕組みに興味があっただけだったようだ。もしかしたら、目的までは考えずにファビアンに言われるまま複製しようとしていたかもしれない。モーガルの街を混乱に陥れた兵器を複製するなんて、正気の沙汰ではない。

 どうやら、疑問だったのはわたしだけだったようだ。アンバーだけではなく、ドゥールとニコラスも今気がついた顔をしていた。

 注目が集まったファビアンは、肩をすくめる。


「同じ物、あるいはそれ以上の兵器が、これから必要になる」


「いやいやいやいや、必要ないだろ」


 ニコラスが大げさに否定する。


「フィオナ嬢の言うとおりだ。最強の種族なら、対抗できるだろ。というか、竜なら簡単に破壊できるだろ」


「お前ら、本当にわかっていないのか?」


 目を見張って呆れ返ったファビアンが考えていることのほうが、わたしたちはわからない。


 ニコラスがはっきり言ったとおり、あの鉄球は竜の力の破壊力には到底およばない。わたしでも、はっきりわかる。まっすぐしか飛ばない鉄球よりも、地竜が操る岩のほうが恐ろしい。地竜だけではない。四竜族の力は、アーウィンの目を奪うだけではないのだ。竜にはそもそもあんな物に頼らなくても、竜を殺せるのだ。正直なところ、なぜもっと早くこの事実に気がつかなかったのかと、わたしは自分が腹立たしい。たしかに、仕組みを理解するのは重要なことだ。けれども、仕組みさえわかってしまえば、竜たちにとって脅威ではなくなる。皇帝が聖王国に鉄を渡さなければいいだけの話ではないか。

 けれども、ファビアンは首を横に振る。


「必要なのは、人間のほうだ」


 耳を疑った。

 なぜ、人間があんな物を必要とするというのだ。


「竜を殺す兵器が、どうして人間を殺さないと言い切れるんだ」


「……っ」


 目の前が真っ暗になる。


 ドンッ


 慣れてしまったはずの音が、また恐ろしくなった。


 あの時、もしアーウィンに命中せずに、モーガルの街に鉄球が落ちていたら、どうなっていたのだろうか。

 街を支えている橋に穴が空いたかもしれない。そうでなくても、住民たちを家屋がが砕けて近くの人々に破片が降り注ぐかもしれない。その前に、鉄球に人が押しつぶされるかもしれない。

 想像し始めたら、もう駄目だった。

 モーガルの惨状は、いつの間にか故郷のリュックベンに変わっていた。我が家に命中したら。市庁舎の尖塔に鉄球が当たったら。広場の市で賑わう人々の中に。お姉ちゃんや、お母さん、お父さんだって、瓦礫の下敷きになるかもしれない。


「一度、造られてしまったからには、なかったことにはならない」


 ファビアンの声に、はっと我に返る。


「今、あそこにあるあれを破壊したところで、また造られる。一度造られたものは、なくならない」


「……だからって、増やすことはないじゃない」


 声が震えてしまった。

 彼が言ったことはわかる。作り方を知っている人間がいる限り、また作られる。仮に、作り方を知っている人間がいなくなっても、別の誰かがまた作るかもしれない。人間が作り出したものを、別の人間が作れないわけがない。

 だからといって、今の人間たちに必要だとはならないはずだ。


「抑止力、だな」


 今まで黙っていたドゥールが、うんざりしたように言った。


「竜を殺す目的で作られたとはいえ、あんなものを隣国から突きつけれて、脅威を感じないわけがない」


 まだ理解できないわたしに、ドゥールは力なく笑いかける。


「姫さまだって、相手が武器を持っているとわかっていたら、丸腰で会いに行かないだろう?」


「むぅ」


 これには納得するしかなかった。


「抑止力って、そういうことなのね」


 納得はできても、認めたくはない。

 顔を曇らせたままのわたしを心配してくれたのか、ファビアンは黒い星見盤を軽く振ってみせた。


「セルトヴァ城塞に戻るか?」


「戻らない」


 わたしが首を横に振ると、残念そうに彼は肩をすくめて頭上を振り仰いだ。つられるようにして、わたしも空を見上げると、太陽は真上に昇りきろうとしていた。


「そろそろだな」


 彼が星見盤に指を滑らせるのを見て、わたしは慌てて立ち上がり身をすくめる。


「あ、ちょぉぉぉぉおっ……」


 アンバーの悲鳴のような声が妙に間延びして聞こえてきた。




 ――


 聖王国の使節団は、竜を殺す兵器を『大砲』と呼んだ。

 ルカは、あくびを噛み殺した。いや、笑い出さないようにするために、あくびを噛み殺すふりをしていた。

 これほど愉快な茶番になるなら、昼になどと返事するのではなかったと、後悔していた。早く来てくれないと、腹を抱えて笑いだしてしまう。けれども、そういうわけにはいかないだろう。なにしろ、あの古い友は融通がきかない。

 黒光りする鋼の大きな筒が鉄球を吐き出すのは、もう見飽きた。

 使節団は、鉄だけを要求して製造は自国でおこなうと言う。彼らは、初めから横柄な態度で取引を持ちかけた。そもそも、聖王国の民は北の帝国を見下しがちだ。国内の争いごとが絶えないのは皇帝が無能だからだと、思い込んでいた。


「竜の森と戦いを挑むなど、正気の沙汰ではない」


 長女のジーナの言うとおりだが、使節団を代表する立場の男は鼻で笑う。ネズミのような顔の男だ。北の女たちからは、貧相な体つきだと相手にもされない男だ。


「我らには、始まりの女王の加護がありますからな」


 灰色のネズミは、北の戦士を腰抜けと口にしないだけの分別はあるらしい。けれども、顔と態度ににハッキリと表れている。

 チラリと父を振り返ったジーナの目が、首を斬り落としたいと訴えていた。


「あなた方は、材料を提供していただければそれでよいのです」


 売ってくれではなく、提供と言ってくる。もちろん無償ではない。けれども、大砲がほしければ、それ以上のものを払わなくてはならない。

 ルカは、聖王国がどこまで本気なのかわからなくなってきた。そんな割に合わない取り引き、できるわけがない。ここまで軽んじられては、怒りすらわかない。むしろ、考えようによっては、聖王国と竜の森の裏をかく好機だ。彼の宿願をはたす最大の好機を逃すわけにはいかない。古い友は、また否定するだろうが、思い知らせてやらねばならない。彼の思索に割り込んだのは、卑しいネズミのひと言だった。


「あなた方にとっても、これは


、か」


 それまでひと言も発さなかったルカのつぶやきは、周囲の北の戦士たちに緊張をもたらすには充分だった。血がこぼれるほど唇を噛んでいたナターシャですら、はっと我に返ったほどだ。ネズミを始めとした聖王国の使節団も、突然変わった雰囲気に圧倒されて口を閉じる。



 ルカはククッと喉を鳴らして笑うと、ゆっくり立ち上がった。


「聖王国の使いには申し訳ないが、もてなすべき客はお前たちだけではない」


 困惑したのは、ネズミたちだけではない。ジーナも、皇太子セルゲイも、ナターシャも、北の戦士たちも皇帝が何を言ったのか理解できなかった。


 頭上の太陽は、ようやく空の一番高くにたどりつく。


 その瞬間に何が起きたのかと問われれば、その場にいた誰もが、突然人が現れたと答えるしかない。聖王国のネズミと、皇帝の間に割り込むように、四つの人影が現れた。

 地竜の少年に、水竜の青年、ルカの三番目の息子と、波打つ金髪に若草色の瞳の気の強そうな娘。


「フィオ!」


 ナターシャの悲鳴のような声で、ルカは娘が何者か悟った。目にたまった涙を拭って、ナターシャが娘に駆け寄ろうとした。けれども、すぐにベルン平原を横切ってきた影に気がついて足を止める。


 いったい、どれほどこの日を待ちわびていたことか。ルカは、黒いウロコの竜が現れるのを、ずっと待っていた。どれほど否定されようとも、古い友は友だ。

 優雅とは言えない荒っぽい着陸だったが、誰もが固唾をのんで見守るしかない。聖王国のネズミが腰を抜かしているのを、視界の端でとらえたが、どうでもよかった。

 友に対する親愛の念をこめて、ルカは千年ぶりに人前に姿を現した世界竜に頭を下げる。


、古き友ファビアン。会いたかったぞ」


 嬉しそうに笑うルカの瞳には、純粋な闘志が宿っていた。

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