クレメントの祝福

 時はさかのぼり、冬の終月ついつき5日の夜明け前。

 灰色仮面のクレメントは、灰霧城塞に向かっていた。


 黒ずんだ赤いウロコの首から、大きなずだ袋を下げて飛んでいた。

 小ロイドの、月影の高原と聖王国での凶行。橋の街モーガルでの騒動と旅の一行の失踪。ライラの裏切りは予測できたことだったけども、それどこではなかった。おそらく、それが小ロイドの狙いだったのだろう。さすがのクレメントも、冷静でいられない。


「水竜どもは、のんきなものだな」


 そして、星辰のうみよりもたらされた灰霧城塞の報せだ。

 半信半疑だったものの、昨日の夕方、灰霧城塞の霧は拭い去られた。水竜と風竜が、向かっていたはずなのに、夜更け過ぎてもなんの報告もよこさない。実の息子のように育ててきたローワンと、守り育ててきた姫君が心配でいてもたってもいられなかった。氷刃のディランの制止を無視して、食糧や毛布など必要になりそうなものをずだ袋につめて月影の高原を離れた。


 二つの満月は、南西の低い位置に並んでいるというのに、明るすぎる夜だ。


「嘆きの夜、か」


 灰色の仮面の奥の真紅の瞳は、もうすでに霧が消えた灰霧城塞をとらえている。都市部は、城壁も崩れて壊滅的だったのに対して、城郭部はかつての栄光を垣間見えるほどしっかりそびえ立っていた。

 四つの尖塔のうち、帝都をのぞむ方角にある抜きん出て高い尖塔から、また狼煙が上がる日が来るのだろうか。ないとは断言できないと、クレメントは考えた。南では、一枚岩のヘイデンに乗せられる形で、人間と手を組むこととなった。けれども、西の聖王国はどうだ。小ロイドの凶行がなくとも、憎き真理派が勢力を拡大していたではないか。そこへ、モーガルの騒動だ。北の帝国も、今まで通りとはいかないだろう。

 まだ覆い隠されている未来への不安を振り切ろうと、大きく翼を動かした。


「あれは……っ」


 灰霧城塞を目指す人間の集団に、クレメントは気がついた。


「まずいな」


 武装した五十人ほどの人間たちの目的は、もちろん灰霧城塞だろう。けれども、もしそれだけでではなかったらと、火竜の長は狼狽した。

 ふたたび大きく翼をはためかせて、灰霧城塞へと急ぐ。




 その頃、ローワンは灰霧城塞の武器庫で盛大なため息をついていた。


「くっそ、俺一人で、この中から探し出せとか、無茶苦茶だろぉがよ!」


「さっきから愚痴ってばかりで、ちっとも進んでないじゃない」


 ついでに盛大な悪態をついたことろで、妻のマギーに黙らされる。それでも、もう一度ため息をついて、近くにあった片手剣を手に取る。鞘から抜いた刃は、欠けていた。


「これも外れだ」


 鞘に納めて、もとに戻す。彼は、この作業を夜を徹して続けてきた。

 広い武器庫の奥から、ヴィードが馬上槍を抱えて飛んでくる。


「これはどう?」


「これかぁ……よぉし」


 まだ物騒な輝きを残している馬上槍に、ローワンは息を吹きかけた。すると、息を吹きかけたところが、赤く輝いた。


「当たりだ」


「これで、三つ目だね」


 ふわりと、その体に不釣り合いな馬上槍を抱えて、ヴィードは入口付近に置きに行った。


「あたしには、正直理解できないよ。武器に北の帝国を動かす価値があるなんてさ」


「マギーは、意外と優しいんだな」


 次の剣を手にしながら、ローワンは破顔する。それも、マギーの強烈な蹴りを背中に食らうまでのことだった。


「意外とって、どぉいうことだよ!」


「あっぶねぇな!! そういうところだ。そうやって、すぐ暴力を振るうのどうかと思うけどな!!」


 危うく抜いた剣を落としそうになったローワンは、怒鳴り返した勢いで続ける。


「サイファは特別なんだよ。俺だって、本物はここで始めてみた。金属の王サイファは、武器じゃなくても国を動かす価値があるんだ」


「ふぅん」


 わかったような、わからないような返事をしたマギーは、後ろで手を組んで夫の邪魔をしないように離れる。


 サイファの価値はわからないけども、マギーは北の帝国を動かす必要は理解しているつもりだった。

 昨夜、中庭に姿を現したファビアンは、北の帝国を味方にするために、ローワンに武器庫の中からサイファ製の武器を探し出すように指示した。


「竜を殺す兵器、かぁ」


 彼女もモーガルで、アーウィンが身の毛もよだつ叫び声をあげたのも、血の雨を降らせたのも覚えている。けれども、まだ信じられなかった。アーウィンの右目から鉄球を取り出して、目の周りの時を止めなければ死んでいたと聞かされたというのに、まだ信じられない。


 マギーには、真理派が理解できなかった。家族を迫害しようとしたことは、今でも許せないでいる。同じ人間だというのに、なぜ彼らは竜族と、竜の花嫁が憎いのだろうか。祖国の王女の裏切りも、まだ信じられなかった。ライラ姫は、月影の高原の小ロイドと親しいと噂を聞いていたから、真理派の女王だなんて信じられない。


「……信じたくないだけかもしれない」


「ん? 何か言ったか?」


「何も言ってない」


 怪我をしたら大変だからと、マギーは何もさせてもらえない。農家の娘が下手に武器に触れたらどうなるか、想像できる。かと言って、自分よりも料理の腕がいい風竜と台所に立つのも抵抗があるし、知の地竜族の長の息子を始めとした竜族たちと今後のことを話し合うのはもっと無理がある。

 結婚したばかりの夫と離れたくないと言ってみたものの、足手まといになるくらいなら陽炎の荒野で待つのも悪くない。彼女は、そう考えてしまっていた。

 彼女はファビアンの花嫁が、うらやましくなった。


 マギーは、家を飛び出してファビアンとニコラスに出会う前の途方にくれていた頃に戻ってしまったような気がした。そんなことはないはずだと、言い聞かせても、無力さをどうすることもできなかった。


「ローワン、これは?」


 年下の風竜の少年だって、武器庫のホコリを払ったりと、役に立っている。


「ちょっと、外の空気吸ってくるね」


「冷えこんでいるから、風邪引くなよ」


「わかってる」


 一応、体を心配してくれているんだと、マギーは少しだけ夫の優しさに安心した。


 外に出ると、ローワンが言ったように冷えこんでいた。


「さっぶい」


 ブラス聖王国の北部で育ったマギーでも、これほど身を切るような寒さは初めてだった。武器庫の中を明るくしていたローワンの火球が、どれほど温めてくれていたのか、身にしみた。

 吐く息が白い。思わず手をこすり合わせるほど、北国の朝は冷えこんでいた。

 背後からさしこむ朝日は、少しも体を温めてくれない。


 ローワンの暖かさが恋しくなって、マギーは武器庫に引き返すことにした。その視界の隅で、暁の空に浮かぶ赤い影をとらえたのは、偶然だった。


「あれって……ローワン、ちょっと来て!!」


 白い息を残して、マギーはローワンのもとに急いだ。


「なんだよ、そんなに慌てて」


「いいから、ちょっと来て」


 ぐいぐいと腕を引くマギーに戸惑っていたローワンの顔は、冷えこんだ外に出た途端に驚きに変わった。


「なんで、クレメントさまが……」


 間違いなく、大きなずだ袋を首から下げたローワンの養い親の灰色仮面のクレメントだった。

 駆けつけてきたヴィードは、ローワンの長衣を引っ張る。


「みんなに、知らせてきたほうがいい?」


「ああ、頼む」


 月影の高原の騒動のことで、クレメントが陽炎の荒野ではなく、月影の高原にいたことはわかっている。

 なぜ、火竜族の長が単身で来たのかが、わからなかった。


 灰色仮面のクレメントも、ローワンとマギーに気がつき、旋回もせずに目の前に降りてきた。


「ローワン、無事だったか」


「は、はい。心配かけて、申し訳ありませんでした」


 灰色の仮面をつけた火竜の姿に、マギーは夫の腕を握りしめる手に力がこもった。


「水竜どもが、報せを寄越さぬから来てみれば……」


 仮面の奥の赤い目が、じろりとマギーをにらみつける。リュックベンの市庁舎で会ったときは、こんなに恐ろしくなかった。人間の姿をしていないからとか、そういう話ではない。人間には竜の表情を読むのが難しいというのに、マギーはクレメントの激しい怒りにさらされているように感じたのだ。

 ローワンも、養い親から不穏な気配を感じたのか、妻をかばうように前に出た。


「本当にいろんなことが立て続けに起きて……あ、俺、結婚したんです。本当は二つ名をもらってからって決めてたんですけど……」


「そうか。おめでとう、ローワン。それから、マーガレット・メイジャーはかなりの強運の持ち主だな」


 クレメントは、フンと鼻を鳴らす。マギーはますます怯えて、夫の背中に隠れた。

 彼女がクレメントと会ったのは、リュックベンの市庁舎でのことだ。式典とその裏で起きた騒動のせいで、短い時間しか火竜族の長とは言葉をかわしていない。だから、なぜクレメントが自分にたいして怒っているのかわからなかった。


「長、あの妻がなにかしたんですか?」


「本人に聞けばいいだろう。結婚する前であれば、罰としてそれなりの試練をかすこともできたというのに。呆れるほど、運がよい娘だ」


 ローワンは背後のマギーを見やるけども、彼女は首を横に振るのがせいいっぱいだった。

 そんな彼らとクレメントの間に割り込んできた人影があった。


「これはこれは、灰色仮面のクレメントさまではありませんか」


 芝居がかった台詞とともに、ローワンとクレメントの間に入ってきたのは、九本指のドゥールだった。滑稽なほど芝居がかった仕草で、頭を垂れてみせた。


「ちょうど今、我が父を介しまして竜の森に報告を行っておりましたところです。待ちかねたクレメントさまと入れ違いになってしまったこと、深くお詫び申し上げます」


 彼が言ったことは本当だ。少し前から、モーガルの騒動から事細かく水鏡の向こうのディランに、報告をしていたのだ。

 頭を垂れたドゥールは、真っ先にクレメントが来ることを教えてほしかったと、胸の内で父を恨みがましく思っていた。


「リュックベンで陽炎の荒野に庇護を求めたマーガレット嬢を、そそのかしたのは俺です。クレメントさまが何よりも美しの荒野を誇りにされていることは、承知の上でしたが、彼女に花婿を追いかけるようにとそそのかしました」


 これは、嘘だった。マギーが、花婿を追いかけたいからと、ドゥールに無理を頼みこんだのだ。その結果、彼は竜族にとって最も辛い罰を受けることになった。

 マギーは、ようやくクレメントの怒りを買った原因がわかった。


「あ、あの……」


「ですから、マーガレット嬢は、クレメントさまの誇りを傷つけるつもりは、毛頭なかったのです」


 素直に謝罪しようとしたマギーの声をさえぎるように、ドゥールは慌てて続ける。


「もちろん、その気がなかったからと許してほしいとは、厚かましいことを申し上げるつもりはございません。ですが、彼女が追いかけずにはいられないほど、花婿を求めていたことも事実です。これほど花嫁から情熱的に求められた花婿は、そうはおりません。おそらく、後の世まで語り継がれることでしょう」


 少々語弊があるとローワンは胸の内でため息をついたけども、語りぐさになるのも悪い気はしなかった。


「激しい情熱の持ち主であるマーガレット嬢を、どうか陽炎の荒野に歓迎し、祝福をお与えください。どうしても許せないとおっしゃるならば、俺は今一度鉄枷の罰を……」


「もういい。黙れ。わかったから、その無駄によく回る舌を止めろ」


 軽く首を横に振ったクレメントの声は、うんざりした響きこそあったけども、怒りはもうなかった。

 大きな安堵の息を吐き出して、ドゥールは顔を上げて笑った。


「では、この若者たちを祝福してあげてください。すべて水に流しましょう」


 ドゥールが嘘をついていることくらい、クレメントはわかっていた。よく回る舌に乗せられるのは、非常に面白くない。誇りを傷つけたマギーへの怒りがおさまったわけではない。

 妻をかばいながら自分の言葉を待っているローワンと、今さらながら申し訳なさそうに見上げてくるマギーを、彼は仮面の奥から見下ろして深く息を吐きだした。


「ローワン、マーガレット、結婚おめでとう。情熱的な女は、陽炎の荒野にもそうはおらん。火竜族の父、灰色仮面のクレメントの祝福を受け取るがいい」


 本来なら、別に祝福の長い決まり文句があるのだけども、型破りな二人には形式的な祝福よりもふさわしかった。


「ありがとうございます、クレメントさま」


 声を揃えて頭を下げて抱きしめ合う二人の想いには、クレメントもかなわなかったようだ。身を切るような冷え込みも、彼らの情熱を冷ますことはできないだろう。

 だから、現実に目を向けてほしいと咳払いするのも、クレメントには心苦しかったに違いない。


「ところで、いつまでものんびり居座っている場合ではないぞ。帝国の小隊が、昼にはここにたどり着く。その前に、引き上げなければ、ややこしいことになる」


 祝福の喜びを分かち合うのをやめて、年長者のドゥールをどうしたものかと見つめた。

 首から下げていたずだ袋を下ろして、人間に変化したクレメントに、ドゥールはまた頭を垂れた。今度は神妙な面持ちで。


「灰色仮面のクレメントさま、実はモーガルの騒動のおかげで、姫さまは……」


「姫さまに、何かあったのか? 無事だと、お前たち水竜どもは……」


「いえ、そういう意味ではございません。姫さまは、怪我一つなくご無事です。すぐにその目で確かめられることでしょう」


 ドゥールは神妙な面持ちのまま、顔を上げた。


「モーガルの騒動で、姫さまは花婿を見出みいだされたのです」


 驚きに目を見張るクレメントに、もしこの場にファビアンがいれば自分が頭を下げずにすんだのではと、考えてしまった。


「竜の森への報告が遅れたのも、我々がここにとどまっているのも、すべては世界竜ファビアンさまのお考えに従ってのことです」


 そして、その考えに従うなら小隊がこちらに向かっているというのは、願ってもないことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る