閉ざされた黄金の瞳

 結局、わたしはライラに訊きたいことも訊けないまま、モーガルに来てしまった。


 昨日までの降りそうで降らない曇天が嘘みたいに、よく晴れている。

 けれども、わたしの心は暗雲が立ちこめたままだ。


「むぅ。すごい人……」


 南門の外で待つ人の多さに、圧倒されていた。

 すぐ隣を歩くライラが上品に声をあげて笑う。


「わたくしが言うのもあれですけれど、始まりの女王が開いた始まりの王国の入り口ですもの。当然ですわ」


「むぅ、人が多かったら、真理派の数も一番多くてもしかたないのかな」


 黒い都についで、世界竜族とゆかりがある西の聖王国を次の目的地とするのは、当然の流れだった。けれども、聖王国はもっとも真理派がはびこる地でもある。

 なぜという疑問も、この人の多さを見れば理解できそうな気がした。

 まるでお祭りの日のような、そんな人の多さだ。


「しかたなくはないよ、フィオ。そもそも、竜族を排除したいって考えがあるってことがおかしいんだからさ」


 ライラの反対側から、アーウィンが吐き捨てるように言う。


「むぅ……」


 あれから、まともにアーウィンの顔を見れていない。

 十四歳になった彼は、この数ヶ月でずいぶん背丈が伸びた。

 このままローワンと並ぶのではないかと、ターニャたちがからかうほどだ。

 男の子は、こんなにも急に大人になるのだろうか。

 背丈だけではない。声も急に低くなったし、まだ幼さもわずかに残しているけども、顔立ちも大人びてきた。


 ついこの間までまったく意識してなかったのに、意識してしまうと彼の何気ない仕草にドキリとしてしまう。


「でも、さすがだよね。ライラの知り合いがわざわざ迎えをよこしてくれたんだからさぁ」


 わたしたち三人の前を行く、物腰柔らかそうな壮年の男は少しだけ振りかえると、ただにっこり笑ってまた前を向く。

 モーリス・クレイブと名乗った彼は、モーガルの領主に仕える役人か何からしい。


 わたしたちは今、ライラが親しくしているというモーガルの領主のはからいで、優先して南門をくぐらせてくれることになっている。

 ばらばらの竜族が三人いては目立つということで、他の仲間たちは後で南門の内側で合流することになった。


「ハンス卿は、わたくしのことを年の離れた妹のようにかわいがってくれますのよ。五年ぶりかしら」


 ライラの足取りは踊るように軽やかだ。

 はたから見ても再会に胸を躍らせているのがわかるほど、彼女はモーガルの領主を慕っているのだろう。


 そういえば、わたしはあまりライラのことを知らない。

 彼女があまり自分のことを話さなかったというのもあるかもしれないけども、わたしも聖王国の第三王女という肩書だけで、住む世界が違うと知ろうとしなかったのかもしれない。

 リュックベンでは、ほとんど我が家から出ることがなかったから、彼女と接する時間はほとんどなかった。

 さらに、このひと月の旅で、わたしは彼女だけでなく仲間たちとずっと距離をおいていた。


「むぅ……」


 考えれば考えるほど、わたしはライラのことを知らなすぎた。


 順番を待つ人々を横目に、無口な男の案内で南門にたどり着いた。


 南門は、わたしの知っているどの門とも結びつかない。

 見上げるほど高くそびえ立つ南門は、まだ見たことがないというのに、城や砦、城塞といった言葉がふさわしいように思われた。

 荘厳な鐘の音とともにゆっくりと開かれる観音開きの鋼鉄の扉の上と左右を囲むのは、レンガを積み重ねた頑丈な壁だった。そう、門柱ではなくて壁だ。


「フィオもアーウィンも、こんなところで驚いていては、身が持ちませんわよ。ささ、早く案内してちょうだいな」


 上機嫌なライラにせかされても、無口な男はにっこりと笑うだけだ。なんだか、上っ面だけの笑顔にみえるけど、気にしないほうがいいのかもしれない。迎えという仕事をこなしているだけだ。親しくする必要もない。


 無口な男が案内してくれたのは、巨大な門扉の右側の壁にあった頑丈な扉だった。

 無骨なカギを取り出した男が慣れた手つきでも、時間をかけてようやく開いた扉の向こうには、赤い絨毯が敷き詰められた瀟洒な空間が広がっていた。


 まだ昼前だというのに、三歩行くか行かないかの間隔で燭台のろうそくが灯されている。

 アーウィンも感嘆の声を漏らす。


「ほんと、さすがだよ。ライラのおかげで、こんな凄いところ通れるんだからさぁ」


 彼の言うとおりだ。

 ライラのおかげで、順番を待つことなく南門の中に招かれた。

 この旅の中心にいるわたしではなく、都市連盟の街で力を貸してくれたモール商会でもなく、聖王国第三王女のライラ・ラウィーニアのおかげだ。


「今まで、大したことできなかったですもの。ようやくわたくしも、と思うと、うれしくてしかたありませんわ」


 否定したかったけども、できなかった。ライラが今まで何をしてくれたのか、何一つすぐに浮かばなかったからだ。

 それは、わたしも同じだ。

 いや、わたしのほうが何もしていないではないか。

 だから、ライラが上機嫌になるのもわかる。やっと、役に立てる喜びは、きっとこんな憂鬱な気持ちなんて吹き飛んでしまうほどかもしれない。


「ここは、モーガルの迎賓館のひとつに繋がっておりますの」


 ろうそくの灯りのせいだろうか、ライラの上機嫌さが急に怖くなった。


「ああ、そうそう、わたくしとフィオは、迎賓館についたら着替えなくてはいけませんわ」


「ちょっとライラ、わたし、着替えなんて……」


「大丈夫ですわよ。ちゃんと用意させてありますもの」


 今度は振り返らなかったけども、無口な男の背中が彼女の言うとおりだと肯定している。

 確かにこの足音一つ立たない絨毯の廊下を進むには、着古された旅装束は似つかわしくないだろう。けれども、相手もわたしたちが長旅の途中だとわかっているはずだ。

 それでも、着替えてほしいというのは、ライラのはからい――あるいは聖王国の慣習だろうか。


「フィオ、遠慮なさらないで」


「遠慮してるわけじゃ……」


 ライラにはっきりと嫌だと言えないまま、目的の部屋の前まで来てしまった。

 やはり無言で扉を開けて入室をうながす男の態度に、ふと違和感を覚えた。

 領主から直接迎えに来た男が、第三王女のライラにもひと言も声をかけないのは、おかしいのではないだろうか。

 絶対なにかおかしいのに、ライラは上機嫌そのもので、胸からこみ上げてくる不安は喉で絡まって吐き出せない。

 吐き気すら感じる不安をなだめようと、服の上からウロコを握りしめるけども、少しもおさまらない。

 そんなわたしの様子に気がつかないライラが、わたしの腕をぐいと引っ張る。


「そういうわけで、アーウィン。ちょっとフィオを借りるわね」


 あいかわらず、彼女の声は弾んでいる。


「別にいいよ。そもそもフィオは僕のモノじゃないし」


 アーウィンのそっけない声は、いつもなら生意気に聞こえたかもしれない。


 めまいがして足の力が抜けたわたしは、ライラに引っ張られる。


「フィオ、ごめん」


「む、アーウィン?」


 ハッとして振り返った時には、扉が閉ざされていた。


「……アーウィン」


 けれども、上機嫌なライラには彼の声は届かなかったようだ。彼女は心配そうに、わたしの顔をのぞきこんできた。


「フィオ、顔が真っ青ですわ。具合が悪かったの? 気がつかなかったわ」


 彼女の榛色はしばみいろの瞳に映るわたしは、笑ってしまいたいほど顔色が悪い。


 結局、着替えるのはライラだけで、わたしは休ませてもらうことにした。

 革張りの肘掛け椅子に座って、ゆっくりと時間をかけてコップ一杯の水を飲み干せば、少しは吐き気もおさまった。

 白木の衝立の向こうでは、ライラが着替えている。湯気が立ち上る桶を運びこんだり、使い終わったタオルを持ち出したりと、何人ものお仕着せ姿の女性が出たり入ったりしている。

 着替えなんてしなくて正解だった。

 しばらく、わたしなんかに目もくれずに仕事をこなしていく女性たちを眺めてから、衝立の向こうに声をかけた。


「ねぇ、ライラは、どうして世界竜族の生き残りを探すなんて途方もない旅にくわわったの?」


「小ロイドさまにお願いされたからよ」


 ライラの口から風竜族の長の名前が出てくるのは、わかっていたけども、まるで自分からすすんで旅にくわわったわけではないという口ぶりだった。


「ブラス聖王国の王家の男たちは、小ロイドさまに頭が上がらないのよ。ご存知かしら?」


「ううん、聞いたことなかった」


 始まりの女王リラの最古の国のブラス聖王国と、竜の森の関係は複雑だ。

 混乱の時代、花嫁狩りから花嫁を守るために、多くの人間たちの血を流したあがないに、縁のある神殿と竜との契約が始まった。けれども、聖王国だけは受け入れなかった。

 始まりの人間の国として、四竜族と必要以上の関わりをさける西の聖王国。

 もっとも近い月影の高原に住まう風竜族も例外ではなかったのだ。


 あの老竜ライオスですら、聖王国の過剰なほどの始まりの国の自負を忌々しげに語ったほどだ。


 そんな聖王国に、風竜族の長だけが口出しできる。

 曇り一つないガラスのコップをもてあそびながら、幼い体の風竜族の長の姿を思い浮かべる。


「小ロイドさまの事故で亡くなられた花嫁が、聖王国の王女って話はしっているけど、頭が上がらないというのは、初めて聞いた」


「事故ではないのよ。自殺よ。噂くらいは聞いたことあったでしょう?」


 吐き捨てるように返ってきたライラの言葉を、わたしは黙って肯定した。

 もちろん、聞いたことくらいある。

 ただ、王女のライラには不快な話だろうから、避けただけだ。


「小ロイドさまはね、始まりの女王の血を引くわたくしたちが憎いのよ」


「え?」


 衝立の向こうに、わたしの戸惑いは届かなかったのだろうか。ライラは淡々とした口調で続ける。


「始まりの女王の血を引いているからって、ウロコを握りしめて生まれてくる姫君がいないとか、ありえないでしょう。そんな思い上がりのせいで、小ロイドさまの花嫁は追いつめられた自ら命をたったの。小ロイドさまは、二度と同じ過ちをわたくしたちが犯さないように、政にも口出ししてくるの。でも、本当は滅ぼしたくてしかないほど、憎んでいるでしょうね」


 わけがわからない。

 小ロイドが王家を憎んでいるなら、なぜライラを旅の仲間にくわえたのだろうか。


「わたくしも、嫌いですのよ。始まりの女王リラは女だったというのに、わたくしたち王家の女は、王位につくことができないのよ。間違っているわ」


「ライラは、女王になりたいの?」


 返事はなかった。

 そのかわり、衝立の向こうから見違えるほど美しくなったライラが姿を現す。

 純白のドレスに身を包んだ彼女は、いつもよりも上品で大人だった。

 旅の途中で一度短く切った赤い巻き毛は、もう一度ハサミをいれたのか、肩の上できれいに整えられている。


「ライラ、すごくきれ、いだ、よ」


 急にまためまいが襲ってきた。

 純白のドレスのライラの輪郭がぼやける。

 視界が黒く塗りつぶされて、意識がぷっつりと途切れた。



 とても、嫌な夢を見た気がする。


「むぅ……」


 どうやら、椅子に座ったまま眠っていたらしい。

 体がひどく重い。頭もとても重い。

 だから、ここがさっきと別の部屋だということに、すぐに気がつかなかった。


「目が覚めたようですわね」


「ライラ?」


 声がした正面に顔を上げたわたしは、初めて目が覚めた。

 思わず立ち上がろうとしたのに、体がいうことをきかない。


「どうかしましたの? とても、怖い顔をしていますわよ」


 フフフといつもと変わらない上品な笑い声をあげるライラが座る立派な椅子の向こうには、壁一面を覆う垂れ幕があった。

 光沢のある白い布に描かれていたのは、閉ざされた黄金の瞳。


「ライラ、あなた……」


 声が震える。


 通常の黒地ではなく、白に閉ざされた黄金の瞳。

 真理派の中枢をになう限られた者のみが使うことを許された象徴シンボルを背にした彼女は、いつものようににっこりと上品に微笑む。


「ええ、わたくしこそが、真理派の女王よ」


 これが、悪い夢の続きだったら、どれほどよかっただろうか。

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