父と子 〜それぞれの真実〜

 一人になったヘイデンは、しばらく松明片手に顎をさすっていたけども、結局第一貯蔵庫には戻らず、細い道をさらに進んだ。

 真実の鍵は、いつの間にか元の丸みを帯びたひし形に戻っており、指輪をはめた手の中にある。指輪がある中指にかけてクルクルと回す真実の鍵は、時おり松明の明かりを反射して揺れる彼の影をより歪なものにする。


 黙々と入り組んだ細い道を迷いなく進む彼の足元には、時おり古い白骨が転がっている。

 目もくれないどころか、彼は避けることもせずにパキリパキリと音を立てながら、踏みつけていく。

 かつては人間だっただろう骨も、ヘイデンには石ころ程度の価値しかなかった。


 長い歴史の中で、何度も地竜族が至高とする知識を盗もうとする人間が現れた。これは、その価値のない残骸。

 実の父に持て余された彼にとって、この忘れ去られた細い道は、価値のある秘密の隠れ家だった。


 複雑に入り組んだこれらの道は、長の館である清空せいくうの館と、貯蔵庫などの公共の場をすべてつないでいた。

 昔は、何か問題があったら長がいつでも駆けつけたのだろうと、ヘイデンは考えている。


 清空の館の書庫の書架の奥から我が家に帰ってきた彼は、真っ先に奥方のユリアの私室を訪れた。


「ただいま、ユリア」


 ユリアは、光石ランプの柔らかい灯りを頼りに、彼女は針を動かしていた手を止めることなく、夫に笑いかけた。


「あらら、思ってたよりも早かったわね。あの子が帰ってきたって聞いていたもの、すっかり遅くなるとばかり……夕食もリデルとソフィアと食べちゃったわ」


「構わないよ」


 ヘイデンは暖炉に松明をくべて、暖炉の側の寝椅子で横になる。


「ユリアのせいだろう。あの子が、姫さまに必要以上の情を抱かせたのは」


「あら、人聞きの悪いことを言うのね。わたくしは、息子に女の子を教えてあげただけよ」


「まったく気がつかなかったよ」


 針を動かしているユリアには、夫の顔は見えない。それでも、恨みがましそうな声音に、上機嫌な様子も聞き取った。


「それで、アンバーはどこにいるの?」


「今ごろ、真実にたどり着いているだろうな」


「ふぅん。……これで、よしっと」


 満足そうに笑って糸切りばさみで糸を切った彼女は、を畳んで愛用の裁縫道具を片付け始める。


「あのね、いくら息子だからって、わたくしたちのモノじゃないの。あなたの思い通りにはならないわよ」


「……わかっていたつもりだがな」


 年季の入った裁縫箱をパタンと閉じたユリアが顔をあげると、寝椅子でくつろぐ夫がぼんやりと暖炉の炎を眺めていた。考え事をしているというよりも、疲れたような寂しそうなぼんやりとした夫を、息子が見たらどう思うだろうか。口にはしなかったけども、そんな光景を思い描いたかもしれない。




 ――


 その頃、アンバーは下へ下へと降りていた。

 穴は、その翼を広げても、壁の気配すら感じられないほど広く、そして深い。


 暗がりに目が慣れてくると、下の方にかすかな光を見出みいだした。

 彼は唯一の光に向かって、下へ下へと降りていく。


 翼がくうを切るおとと、自分の呼吸音に、鼓動の音。

 普段は気にならない音が、嫌に耳につく。


 今どのあたりまで降りてきたのだろうかということを考えることをやめて、どのくらいたっただろうか。

 ようやくかすかな青白い光が、光苔の一種が発するものだと理解したのと同時に、長い竪穴たてあなの向こうに別の空間が広がっているのだとわかった。


「あの向こうに、真実ってやつがあるんだよな」


 さすがに、長のヘイデンでもこれほど大がかりな仕掛けなどできるわけがない。――と、信じたいアンバーだったが、なんの前置きもなく落とされた仕打ちのせいで、完全に信じられなかった。


「あのクソ親父、ほんとに許さねぇからな」


 竪穴の終りが近づいてきたと確信した彼は、今一度大きく翼を動かす。


 穴を抜けると、闇に目が慣れきっていた彼は、一瞬光りに目がくらんだ。


「ぅわ……」


 眼下に広がっていたのは、光苔ではなかった。

 青白く光る草原というよりほかない光景。見たことどころか、聞いたこともない光景。

 人間の姿になれば、腰のあたりまである細身の剣のような草そのものが、光っているのだ。

 足でふむことにも強い抵抗を覚えた彼は、首を伸ばして光る草を間近で観察する。


「やっぱり草だ。葉脈も見えるし、臭いも……うん、草だ」


 さすがに、毒が含まれているかもしれないから、摘んだり食べることはしなかった。

 それに――


「これは、父さんの言っていた世界竜族の再来を否定する真実じゃない」


 アンバーはあらためてあたりをよく見渡す。

 青白く光る草が生い茂る空間は、果てしなく広がっているのではと錯覚してしまうが、それほど広くないはずだ。清空の館で最も広い叡智の間よりも、少し広い程度だろう。


「あれ、かな」


 少し離れた場所に草に埋もれかけている褐色の石碑を見つけた。

 ようやく真実を見つけたと近づくが、磨き上げられたわけでもなく、切り出された立方体の石碑にはそれらしきものを見出みいだすことはできなかった。


 慎重に息を吹きかけたりして、草で隠れていないかと調べてみるけども、やはりそれらしきものは、見出みいだせない。


 さすがに落胆した彼は、その石碑が足を置くのにちょうどいい大きさだと気がつき、一度翼を休めることにした。


「まさか、本当に僕、父さんに……あれ?」


 今まで、青白い光に照らされていたドーム状の土壁にゆっくりと絵が浮かび上がってきた。


 息を呑んだ彼は、その壁画が描き出した真実に愕然とした。


「そんな、そんなことって……」


 それは、聖典でもっとも語られない上古の記録だった。一なる女神さまが人間と竜族に知恵を授ける前の、暗黒の時代の記録が、そこに描かれていた。


 まだ、大陸が四つあった頃の世界で、最も強き竜族が、岩の巨人や双頭の怪鳥などの失われた種族たちと闘う絵。

 三つの大陸が海に飲まれる絵。

 ひし形のノアン大陸に逃れる竜族の絵。

 力こそすべてだっただろう暴虐の時代から、ノアン大陸に逃れるまで、黒い体の竜の姿はどこにもなかった。


「あ、あ、あぁ……」


 ノアン大陸で傷ついた体と心を癒やす四竜族の絵には、体が大きい竜と小さい竜がよりそうように描かれていた。


 常識、当たり前とされてきたことは、たとえ知の地竜族であっても思考を鈍らせる。先ほど、父に思い知らされたばかりだというのに。


 一なる女神さまが降り立つ前には、メスがいた。わかりきったことだというのに、だからこそ深く考えることもなかった事実。


 安息の地となったノアン大陸で初めて描かれた黒い竜は、四竜族の混血児として弱々しい姿をしていた。

 おぞましいことに、黒い竜は血を混ぜた親の糧となっていた。その行為の背景に何があったのかは、描かれていない。だから、想像するしかないが、少なくとも今日こんにち知られているように、世界竜族が全竜族の王族などではなかったことは、確かだ。


 どうやって、その黒い竜が生き延びたのかは描かれていなかった。

 ただ、地下深く掘られた穴に体を丸めて震えている黒い竜が、真っ先に一なる女神さまのもとに馳せ参じ名もなき始まりの竜王となって、壁画は終わっている。


「始まりの竜王は、同胞はらからを治める力を一なる女神さまから与えられたはず」


 それは、聖典にも記されていること。

 一なる女神さまの教えを守り続けるようにと記された聖典そのものが、四竜族を出し抜いた始まりの竜王によって改ざんされていたとしたら――


 アンバーは、何度も頭を振って、何度も壁画を見つめた。




 ――


 思いの外、心身ともに疲れていたようだと、目を覚ましたヘイデンは苦笑せずにはいられなかった。

 妻の私室の暖炉の側の寝椅子でくつろいだまま、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 妻がかけてくれた毛布を丁寧に寝椅子の背もたれに掛けた彼は、奥の寝室でまだ休んでいるだろう妻を起こさないように静かに出ていった。


 まだ朝と呼ぶには早い時間だ。

 もう一度休むのもいいだろうと、変化へんげした彼はのっそりと奥の寝床に向かう。


「……これはないだろう」


 寝床は息子のアンバーが占拠されていた。

 自分の尻尾を抱きしめて、ぐっすり気持ちよさそうに眠っていた。


 あの地下深くから、自力で出口を見つけて戻ってくることが、どれほど大変なことか、ヘイデンが知らないわけがない。

 その上、昨日の朝からほとんど休んでいないのだから、このまま起こさないように立ち去るという選択肢が、ほんのわずかでもヘイデンにあったかどうかはわからない。


「起きろ、馬鹿息子が!」


 竜族にとって、竜の姿で休む寝床は不可侵な場所だ。

 たとえ親子であっても、断りもなく立ち入られることを激しく嫌う。


「ひゃぎっ」


 ヘイデンの一喝に驚いたアンバーは、抱きしめていた自分の尻尾で顎を強く打った。

 痛みでのたうち回ろうとした息子に、これ以上寝床を荒らされるわけにはいかないと、ヘイデンは秘術を使って息子の手足と尻尾を床のむき出しの土で拘束する。


「おはようございます、父さん」


「おはよ」


「……怒ってる?」


「これほど腹立たしいことは、久しくなかった」


「ごめん、なさい」


 拘束を解かれたアンバーは、もう一度深々と頭を下げて謝罪した。

 怒りも過ぎ去り、呆れたとため息をついたヘイデンは息子を大事な寝床から追い出すためにも、場所を変えることにした。結局、二度寝は諦めるしかないようだ。


「まさか、自力で戻ってくるとは、な」


 清空の館で最も広い叡智の間で、ヘイデンは息子の答えを聞くことにした。


「父さんも自力で出られたんだから、僕ができない道理はないよ」


「……そうだな。それで、どうする? 世界竜族の生き残りの探索に戻るのか?」


 アンバーはまっすぐ父を見据えた。決意の強さを示すために。


「もちろん、戻るよ。僕は、ますます世界竜に会いたくなった。会って、直接彼の口から真実を聞きたい」


 それが、アンバーの答えだった。


「確かに、父さんが世界竜族の再来を否定する考えもわかる。僕もいきなり頭ごなしに命令されたら、嫌だし。それでも、真実をより確かにするためにも、僕は世界竜に会いたい」


 それにと、一度言葉を切ったアンバーは拳を強く握りしめた。


「僕は、真実の鍵の鍵穴が忘れ去られたのは、僕らの祖先が竜王の統治を認めたからだと思う。かつては、非力な存在だったかもしれないけど、彼らは竜の森を――いいや、世界をよく治めていたんだ。一度認めてしまったら、あんな真実は知らないほうがいいに決まっている。正直、僕はあの壁画は間違っているんじゃないかって、考えを捨てきれないでいるし」


 ヘイデンは何か言おうとしてやめた。

 知の地竜族らしくない回答だった。

 聖典を改ざんしただろう世界竜族の生き残りから真実を語って欲しいなど、なんと甘えた考えだろうか。

 けれども、息子の意志は変えられそうにない。


「いいだろう。旅を続けるがいい。だが、この一枚岩のヘイデンが玲瓏の岩窟の主である間は、決して世界竜族の死に損ないに膝を屈しない」


「あの壁画に描かれていたことを、世間に知らしめる気なの?」


「それは、世界竜しだいだ」


 息子もまた、父の意志の強さを知った。

 守り育ててきたはずの世界竜の花嫁の命を危険にさらした父から、守るためにも早く仲間たちのもとへ戻らなくてはと、アンバーは拳をさらに強く握りしめる。

 そんな息子の胸の内を見透かしていたのか、ヘイデンは最も強き竜族らしい獰猛さも垣間見せる意地の悪い笑みを浮かべた。


「アンバー、今から東の小国群の一つラオハン公国の首都にあるモール商会本部に行け」


「えっ、旅を続けろってさっき……」


「最後まで聞け。ジルと呼ばれる男がいる。奴は土竜もぐらの一人だ。十五日で死ぬ気で秘術を習得して戻ってこい」


 失われたはずの秘術を学べると聞いて、アンバーの心は揺れた。


「南の都市連盟にいる間は、真理派は動かない。モーガルだ。橋の街の領主は、影で真理派を支援している。姫さまがモーガルにたどり着く前に、合流すればいい」


「でも、安全とは言い切れない」


「俺は、世界竜族の再来も認めないが、真理派のくだらない教義はもっと認めない。いいから、とっとと行って来い」


 もしかしたら、それがアンバーが一番欲していた父の答えだったのかもしれない。


「五日で習得してくる」


 弾かれたように飛び出していく息子を見送ったヘイデンは、もしかしたら息子が考えていた以上に、リュックベンの襲撃においてフィオナの安全を確保するように綿密な計画を立てていたのかもしれない。

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