第三章 それぞれの道

アンバーの決意

 夢見の乙女は、一なる女神さまに最も愛された女性だ。

 夢の中で、過去現在未来を垣間見るその力は、自覚されることなく成長ともに消え去ることも多い。

 ゆえに、夢見の乙女は夢のように曖昧あいまいな存在だ。


 一説によると、我らが祖である始まりの女王リラも、夢見の乙女であったとされる。

 そして、世界竜族が権威の象徴とする、世界の中心の塔は、夢見の乙女の力を利用したのではないかと、わたしは考える。

 夢見の乙女が垣間見る未来と、星の動きの関連性を突き詰められたものではないだろうか。

 先日、陛下のお供として黒い都を訪れた時より、わたしの世界竜族に対する不信感は募るばかり。

 世界の中心の塔は、塔そのものが、星の動きを調べるための巨大な装置でしかなかったのだ。


 竜王に疑いを抱くべきではなかったのだろうか。

 理由も考えずに、ただ当たり前のように人間も竜族も畏れ敬うほうが正しいのだろうか。

 わたしが見ている世界は、正しいのだろうか。

 何もかも、信じられない。


 一なる女神さまよ、どうか、どうか、疑惑の迷宮をさまようわたしに、真実の導きを与えてください。魂の安らぎを、与えてください。


『ブラス聖王国王宮にて見出みいだされた書き手不明の手記』より




 ――


 わたしは、暗闇くらやみの中を歩いていた。

 どれほど歩いているのか、まるでわからない。見当もつかない。それは、時間という意味でも、距離という意味でも、まるでわからなかった。途方もなく長いような、あっという間程度に短いような――。

 ただ、不思議と不安にはならなかった。

 この気持ちをなんといえばいいのだろう。

 暗闇くらやみの中だというのに、進むべき方向を知っているからだろうか。行く先に何が待っているのか、知らないままだというのに。

 それでも、やはり不安にはならなかった。

 いつもの癖で、胸元の小袋を握りしめることもなく、ただひたすらに歩いている。


 チリンチリン……


 右手の腕輪の音にハッとして足を止める。


 どうやら、わたしは暗闇くらやみを抜けたようだ。

 突然、明るくなったというのに、目がくらむようなことはなかった。

 どうやら、わたしは玲瓏れいろう岩窟がんくつのように地中につくられた道をたどってきたらしい。

 背後――どうして、背後の様子がわかるのだろうか――の暗闇くらやみへの入り口と同じような大きなアーチ型の横穴が全部で六つ。その穴にぐるりと囲まれたこの場所は、広い広間のような場所だと思った。そう、広場ではなくて、広間。光る不思議な天井が、頭上を覆う広間だった。


 不意に、わたし一人じゃない気がしてきた。


 すると、誰もいなかったはずの正面の壁際に若い男女が


「あ、これも高く売れそうだな」


「なんか、綺麗すぎて一つくらい欲しくなっちゃう」


「――、おわかりか? これは――の――だぞ」


「わかってるから、―――。まったく、女心もわからない男はこれだから……」


「なっ」


 楽しそうに言い争いながら、木箱の中の貴金属を肩掛けカバンに押しこむ二人。

 近づき――不思議なことに怖くなかった――二人をよく見ようとするけれども、どういうわけか近づけば近づくほど、二人の姿が曖昧になる。

 わたしは、その二人に声をかけるでもなく、ただ貴金属を手にするのを眺めているだけ。

 そう長く眺めていたわけではないはずだ。しばらくすると、二人ともパンパンにふくらんだカバンを方にかけなおす。


 女のほうが、わたしの背後にいる誰かに声をかけた。


「――――、そろそろ……」


「ああ、行くか」


 背後から聞こえてきた男の声に、わたしの心臓は痛いくらい大きく脈打った。


 肩の上から差し出された黒いウロコに覆われた両手に、それぞれ一人ずつ男女は腰掛ける。


 ああ、そんな、まさか――、そう、花婿に違いない。

 無意識のうちに胸元の小袋を握りしめていたわたしは、ゆっくりと六つあった横穴の一つに向かう花婿を追いかけようとした。追いかけたかった。

 体が動かない。指一本も動かせないまま、花婿を見送るしかないのだろうか。

 どうして、わたしに気がついてくれないのだろうか。


 待って。行かないで。気がついて。お願い、振り向いて……。


 胸の奥からとめどなくわき出す思いは、決して声となってこぼれることはなかった。

 視界が滲む。声となることがかなわなかったから、涙となってあふれ出しているのだろうか。


 視界が暗くなる。


「……どのみち、フィオナ・ガードナーを見つければ、わかることだ」


「待って!!」


 ――チリンチリン。


 夢を見ていたらしい。

 すっかり見慣れた低い板張りの天井に、大きな安堵の息をつく。


「むぅ。……夢、かぁ」


 情けないことに、夢を見ながら泣いていたらしい。

 誰かが起こしに来る前にと、目元に手をやるがまだ胸がドキドキする。

 小窓の分厚いカーテンの隙間から差し込む光に、もうすっかり朝なのだと思い知らされる。


 故郷のリュックベン市を離れて、半月ほどたった冬の中月16日。

 右手の腕輪に触れながら、心の中でユリウスに呼びかけるが、やはり返事はない。

 式典の朝に夢の中で、嘆きの夜の真相の一端を教えてくれたのを最後に、姿なき彼の声すらも聞こえなくなってしまった。

 それでも、過去を垣間見るような夢は見続けてきた。

 とはいえ、幼い花婿の夢ばかりで、今現在の花婿の直接的な手がかりになりそうなものも、世界の終焉が何を意味するのかわかりそうなものも、見ることはなかった。

 ぼうっとしている場合ではない。


「夢で見たこと忘れないうちに、アンバーに聞いてもらわないと」


 小窓のカーテンを開けて、小さなベッドの上で癖の強い髪を手ぐしで一つに結い上げる。母から貰った新しいリボンの色は、可愛い水色ではなく夜明け前の瑠璃色だ。

 毛布を長細く丸めて壁際に寄せれば、小さなベッドは三人掛けの窮屈な長椅子だったとわかる。

 隣で寝ていたライラだけではなく、みんなもう起きているはずだ。


 ひどい顔だと気を遣われないようにと両手で頬を叩いて、ほろを持ち上げて外に出る。


 ここは聖王国へとつながる街道の中でも、最も海岸に近い南海街道の石畳を右側に望む草地だ。

 わたしが寝ていたのは、モール商会からもらった特殊な馬車の荷台だった。


 外に出た途端に、お腹の虫を刺激する香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。

 ヴァンの料理の腕は、焚き火料理でも決して損なわれることはない。

 朝食に期待を膨らませながら、街道の反対側に回り込もうとすると、アーウィンとばったり鉢合わせてしまった。


「おはよう、フィオ。今、起こしに行くつもりだったのに」


 あからさまにつまらなそうな顔をするから、わたしも何かしら言い返さないとという大人げない気分になってしまう。


「おはよ、アーウィン。残念だったわね」


「そんなこと言ってないだろ」


「顔に書いてあったもの。だいたい……」


 いつもの他愛ない口喧嘩は、鈴を転がしたような上品で愛らしい笑い声によって、気まずさを残して終了することになった。


「おはよう、フィオ。二人とも、本物の姉弟みたいですわね」


「そんなんじゃないよ、ライラ」


 ひょっこり顔を出したライラに、わたしにムキになっていたアーウィンは肩をすくめて行ってしまった。


「ムキになって否定しなくてもよろしいのに、ねぇ。フィオ、どうかいたしましたの?」


「む? ううん。ちょっと……」


 アーウィンの態度に引っかかったと言っていいものかどうか迷ったけども、わたしは首を横に振って朝食を作ってくれたヴァンを囲む輪に急いで加わることにした。


「おはよう、みんな」


 わたしにしてみれば、ライラとアーウィンのほうが姉弟らしく見える。

 リュックベンにいた頃は、あまり我が家から出ることがなかったから、どういうきっかけで親しくなったのかはわからない。けれども、あの生意気な弟分だったアーウィンが、聖王国の姫君ライラと親しげに会話をしている様子に、リュックベンを離れたばかりの頃は驚かされた。

 仲間が親しくなることは、よいことに決まっているはずなのに、わたしはどうしてだか、二人の姿に少しだけ胸がざわつくものがあった。


「楽園にまします一なる女神さま。今日という日を、歓びのうちに迎えられたことに感謝を捧げます」


 空の向こうの楽園に捧げた手のひらで、ガードナーベーカリーの自家製マーマレードをたっぷり塗ったパンをつかみ口へ運ぶ。

 お腹の虫をなだめたところで、忘れないうちにと、口を開いた。


「ねぇ、今朝の夢で、花婿に会ったの」


 ローワンは白身魚の酢漬けを挟んだパンを加えたまま、困惑の表情を浮かべながら、アンバーの様子をうかがう。よくよく見れば、仲間たちも同じように彼の様子をうかがっている。

 熾火おきびを囲んで斜め向かいに座っているアンバーが肩をすくめて、食べかけのパンを下ろす。


「今までの夢とは違うってことでいいのかな?」


「うん。子どもじゃなかったの」


 すでに曖昧になりつつある夢を、時おりアンバーに質問してもらいながら、なるべく正確に伝え終わるのに、朝食にかけるいつもの時間の倍を要した。


「……光る天井に、六つのアーチ型の横穴の入り口。それで、確かにフィオの名前を口にしてたんだね?」


「そう、確かに言ってた、はず」


 いつの間にか握りしめていた小袋の中の黒いウロコは、あいかわらず何もこたえてくれない。


 わかったと、残りのパンを平らげたアンバーは、わたしたちが注目する中、立ち上がった。


「実は、光る天井って何かで読んだ気がするんだ。思い出せないけど、たぶん、玲瓏の岩窟のどこかに手がかりがあると思う。…………それから前々から考えていたんだけど」


 一度言葉を切り、一呼吸おいたアンバーの茶色の瞳には、真剣な決意の光が宿っていた。


「僕は、玲瓏の岩窟に戻りたい。急で悪いけど、さ。モール商会のこととか、土竜もぐらのこととか、親父ど……いや、父さんのことがますますわからなくなったよ。もしかしたら、フィオのことを都合のいい道具としか見てないのかもしれない」


 いいかなと、わたしに尋ねてくるアンバーに、やっぱりという思いがこみ上げてきた。


 あの式典の日から、アンバーはふとした時に考えこむことが多くなっていた。

 失踪した伯父と妻のこと。土竜もぐらで正体を隠しつつ、人間社会に根づいていたモール商会のこと。他にも、彼が衝撃を受けたことは多いはずだ。それこそ、こうして実の父に不信感を抱くほどに。


 だから、わたしは寂しさを心の隅に追いやって、わざとらしくないように、明るい声でこたえた。


「いいよ。今朝の夢のことも、ちゃんと調べてくれるんでしょ」


「ありがとう、フィオ」


 軽く頭を下げた彼に、わたしはどうしても戻ってきてほしいとは言えなかった。


 もしかしたら、わたしも地竜族の長ヘイデンに、不信感を抱いていたのかもしれない。

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