オーナ大隧道 〜本道〜
オーナ
そして、夜明けとともに明るくなる。
冬の中月7日。
結局、昨夜はマギーの説教に鬱陶しいくらい落ち込んだニールがふて寝したのを機に、俺たちは第三東口の本道の手前で休むことになった。
充分すぎるほど休んだおかげか、それともつくり上げた者が死してなおその秘術の効果を可能にしている大隧道のおかげか、どちらにしても久々に気持ちのよい目覚めだった。
まだ丸くなっているマギーも気持ちよさそうに眠っている。もう少ししたら起こしてやろうか。
だが、先に起きて胡座をかいていたニールの憂鬱そうな顔といったら、こちらの目覚めのよさまで台無しになりそうだった。
「どうした、ニール? まだ、マギーに言われたことを気にしているのか?」
「ああ、そうだよ」
ふてくされながらも、残りの食糧を確認してくれているようだ。
「マギーに言われるまで、ターニャを待たせていたことがどういうことだったのかなんて、考えたことなかった。……ま、ターニャに会ったら、しっかり話をするさ」
意外にも、ニールはマギーの言葉をしっかりと受け止めているようだ。深いため息を一つついて、前向きな笑顔を浮かべるところは、彼らしいが。
「ところで、ファビアン。食糧が心もとないが、どうする?」
どうする、とは、マギーの事があるからだろう。
俺もニールも、旅慣れているから、多少の無理くらいできる。だが、彼女は違う。俺たちと出会わなかったら、故郷を離れることはなかったはずだ。
寝返りを打ったマギーを横目で見やって、俺はしかたないと肩をすくめた。
「マギーとお前の二人なら、二日はもつか?」
「それは大丈夫だが、お前はどうする?」
「こうするだけだ」
コートをニールに預けて、俺は竜に変化する。
「ニール、お前は知っているだろうが、竜族が本来の姿をとれば三日三晩は飲まず食わずで平気だ」
「ああ。そうだったな。……なぁ、ファビアン、お前、本当に千年以上生きているのか?」
頬をかきながら、ニールが俺を見上げて苦い笑いを浮かべる。
「らしくなくて悪いな。俺は、ウロコが一枚足りないままだから精神的に未熟なままらしい」
わざとらしく鼻を鳴らしてやると、編み直したばかりだろう彼の自慢の三つ編みが、激しく揺れる。
ついでにマギーが目を覚ましたようで、上体を起こして目をこすりながら俺を見上げてくる。
「ぁれ? ファビアン、どうして……」
「おはよう、マギー。食糧の節約だ」
「は?」
首を傾げた彼女に、ニールが残り少ないビスケットと皮の水筒を渡しながら、竜族の体質を説明する。面白おかしくとは違うだろうが、ニールは良い語り手だ。聞かせるすべを心得ている。
二人が楽しそうに少ない朝食すませ、荷物をまとめるのを、少し距離をおいた壁際で見守る。
人間の姿をしている時は俺よりもやや背の高いニールを見下ろすのは、少しだけ気分がいい。もっとも、竜族は翼と尾を含めなくても、人間よりも四倍は大きいのだから、当たり前なことなのだが。
支度をする二人は、まるで昨日のことなどなかったかのように、振る舞っている。
けれども、俺は知っている。
マギーが、言い過ぎたとふて寝したニールに申し訳なさそうにつぶやいていたことも。ニールが、婚約者に対する考え方を改めようとしていることも。
二人は丈夫な肩掛け鞄を下げて、ニールが俺のコートを脇に抱えて、笑いかけてくる。
「じゃあ、そろそろ行こうか。案内してくれよ、ファビアン」
「ああ」
折り曲げていた足を伸ばした分、長い首を曲げなくてはならない。さすがに、広大な大隧道であっても、竜族が文字通り羽を伸ばすには狭かった。
それは、この先の本道でも同じことだ。
本道を進む間、俺たちの話し声と、それから俺の重い足音だけが反響している。
実は、すぐに竜の姿で案内しようとしたことを後悔している。
「悪いな、ファビアン。楽させてもらって」
「……しかたないだろう」
まったく、どうして気がつかなかったのだろうか。俺の左手の上に腰掛けているニールは、少しも悪いと思っていないに違いない。その楽しそうな笑みを見れば、わかる。
右手の上で俺の指につかまって、興味深そうにあちらこちらに視線を巡らせているマギーのほうが素直というものだ。
つまり、竜と人間では歩幅があまりにも違いすぎて、こうして二人を手の上に乗せる事になったのだ。
背中に乗せることはできないが、こうして物を運ぶように手に乗せることはできる。
しばらく、明るい天井に照らされた大隧道を黙々と歩き続けた。
「ねぇ、ファビアン。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
胸元に手を置きながら、遠慮がちな態度というのは、マギーにしてみれば珍しいような気がした。
「竜族にとって、花嫁ってなんなの?」
「それを、俺に訊くのか?」
花嫁のいない俺に、どうして女がどうのとかわかるというのだろうか。軽くため息をつくが、マギーの視線が刺さる。
そういえば、俺も似たようなことをユリウスさまに尋ねたことを思い出した。その時、少し悲しそうな顔で答えてくれた言葉も。
「これは、ユリウスさまの言葉だが、竜族にとって花嫁は女神のような存在らしい」
「女神?」
おそらく、ニールと同じように俺も不思議そうな声で尋ね返したに違いない。
「そう、女神だ。竜一頭一頭に、一なる女神さまから贈られた、かけがえのない女神。伴侶として受け入れられることで、ようやく成竜できる。息子を与えてくれることで、父となることができる。家族を得ることができる。多くのことを、花嫁は与えてくれる」
「それって、人間の男も同じでしょう?」
つまらなそうに口を尖らせたマギーは、口を挟むのが早すぎた。
「ユリウスさまは、こう続けられた。『理解しよう――わかり合おうなど、考えることも畏れ多いことだ。彼女たちは、人間。竜族ではない。いかに、我々が人間の腹から生まれようと、生涯の多くを人間の姿で過ごそうとも、大きな隔たりがある』てな」
本当は、さらに『いつか、ファビアンも花嫁に出会った時に、わかるだろう』と続くのだが、それは言わなくてもいいことだ。俺は、花嫁は贈られなかったのだから。
大切なユリウスさまの感傷に浸りかけていた俺を、ニールの笑い声が許さなかった。
「ニール、何がおかしい」
「……ははっ、わりぃ、ははっ、あーほんと、笑えて、あははっ」
ユリウスさまをバカにされたようで、憮然とした声で問いただしたというのに、大隧道の中を反響する彼の笑い声は、しばらくやみそうにない。
顔をしかめるマギーが、身ぶり手ぶりで彼を落としたらと魅力的な提案してくる。それも悪くないと思ったが、さすがにやめておこう。こんなことで立ち止まるのもバカバカしいし、置き去りにするという選択肢はないのだから。
ようやく、ニールが目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑いやんだころには、俺にはもう怒りなど残っていなかった。
「ほんと、悪かった。けどさ、ファビアン、同じ人間でも、俺たちは女を理解できない。別に竜族だからって、わけじゃないだろ。……まぁ、竜族ほど、大切にしているかってなると、そうでもないことも多いだろうけどな」
「ふぅーん。なら、あたしも男なんてわからないからね」
ニールに意地の悪く舌を突き出したマギーだったが、その表情はずいぶんスッキリしたように見えた。
彼女は服の下に隠し持っている小袋を取り出して、握りしめる。
「でも、安心した。逃げ出したローワンを理解しなきゃって、考えてたけど……」
「それは、怒っていい。マギー」
俺に同意するように、ニールも深く首を縦に振っている。
だが、マギーはわかっているんだけどと、俺の手を軽く叩く。
「わかっているんだけど、ね。クレメントさまから、『悪いやつじゃない』とか、『母親代わりがいたが、本当の母の愛情を知らない』とか聞かされると……そういえば、『親なし』って竜族では苦労するの?」
俺のため息が、大隧道に反響する。
親なし。
忘れたくても、忘れられない言葉だった。まるで、反響するこのため息のように、今でも俺の中で尾を引いている。
「親なしってのは、物心がつく前に父親を喪った竜のことだ。二つ名を与えられる前の竜は、父の名とともに名乗るが、それも許されない。はっきり言えば、蔑称だ。森に捨てられた俺も、親なしのファビアンと、名乗っていた」
「苦労、したの?」
「もちろん」
遠慮がちに尋ねてきた彼女に、俺はすぐに軽くうなずく。
「あの傲慢な世界竜族では、同族とすら認められなかったからな。ユリウスさまがいなかったら、どうなっていたことか。……そうか、あのクレメントでも、親なしを守りきれなかったのか」
意外だった。
あの同族思いで、こども好きな火竜族の長でも、守りきれなかったとは、意外でしかなかった。
「あのクレメントって……よくわからないけど、『父親代わりになることはできても、あの子の父ではない。あの子の実の家族にはなれない』ってさ。だから……」
杞憂だったかと内心ほっとした俺は、マギーが続けた言葉に思わず足を止めそうになった。
「だから、『家族を誰よりも求めている。夫となり、父となり、たくさんの家族に囲まれることを、あの子は誰よりも望んでいる』って、聞いたら、ちょっと許してあげようかなって気になるじゃん。もちろん、ガツンと言ってからだけど」
婚約者にガツンと言ってもらおうかなと、頭をかくニールに、すかさずマギーが強い口調で当たり前だと言う。
俺には、その声が遠く聞こえた。
どうして、忘れていたのだろうか。
ユリウスさまが、俺に家族を求めるように言い聞かせてきたことを。
「俺は、そんなことよりも……いや、だが……」
「ファビアン?」
どうかしたのかと心配そうに見上げてきたニールの視線が刺さる。
「ああ、悪い。独り言の癖が、なかなか直らなくてな。気にするようなことじゃない」
「そうか」
ようやく、俺たちは開けた場所に出た。
ずっと真っ直ぐな大隧道に飽きていただろうマギーが、不思議そうに俺の手の上であたりを見渡す。
円形の広間には、俺たちがやってきた道の他に同じような五つの道へと続くアーチ状の入口があった。
「この中から、俺たちが目指す第二西口に通じる道を選ぶ。かつては、憩いの広場と呼ばれていたかな」
「へぇ。……あ、悪い、ファビアン。ちょっと降ろしてくれ」
「ああ。俺も少し休みたかったからな、ちょうどいい」
ずっと手の上の二人を落とさないようにと、思っていた以上に気を遣っていたようだ。口にして、ようやく疲れを自覚することができた。
マギーは足を曲げたり伸ばしたりしながら、俺の手の上でじっとしているうちに固まっていた体をほぐす。
対して、すぐに広場のすみに走っていったニールの歓声がうるさいくらい反響する。
「すごいぞ。ファビアン、マギー、見てみろよ」
無造作に置いてあった木箱をあさる彼の興奮した姿に、俺とやれやれと笑いあったマギーも彼に近づくなり大きな歓声をあげた。
どうやら、その木箱の中身は俺が追い出した盗賊の忘れ物だったようだ。
はしゃぎながら、金になりそうな物を物色している二人を横目に、俺は丸くなって体を休ませる。
どうして忘れていたのだろうか。
『リラ、リラ。待っていてくれ。必ず、会いに行くから。そして、やり直そう。今度こそ、わたしに家族を与えておくれ。リラ、リラ、次はもう、間違えないから』
リラという女性を、俺は知らなかった。
彼女――ユリウスさまの奥方は、俺がユリウスさまと暮らし始める前に楽園へ召されてしまった。だから、知らなかった。
それから、いつも穏やかで温かいユリウスさまが、
『家族が、家族が欲しかっただけなんだ、リラ。愛しい人。必ず、必ず、会いに……』
そう、これは誰も彼もが寝静まった夜更けに、目を覚ましてしまった時のこと。
なんとなく、部屋の外にフラフラと出て、聞こえてきたユリウスさまの声がした部屋を覗き込んだ時のこと。――あの部屋は、どこだっただろうか。
思い出せない。
何か引っかかる。
「ファビアン、そろそろ……」
マギーの声に、我に返った。
もしかしたら、うたた寝でもしていたかもしれない。
「ああ、行くか」
体を起こして、二人に手を差し伸べる。右手にマギーを、左手にニールを乗せて、第二西口と記された道へと進む。
「……どのみち、フィオナ・ガードナーを見つければ、わかることだ」
「また独り言か?」
「ああ、すまない、ニール」
正確には、フィオナ・ガードナーとともにいるはずの名無しに尋ねれば、わかること。
「なぁ、ファビアン。フィオナ・ガードナーで思ったんだが……」
盗賊たちの忘れ物で膨らんだ鞄を落とさないように支えながら、ニールは肩を落とす。
「彼女が何者にしたって、竜の森で育てられたんだったら、ドゥールのことも
「……その可能性はあるかもな」
ニールを友と呼ぶ変わり者の水竜の情報のおかげで、俺はここまで来ることができた。
できることなら、俺も彼が鉄枷をはめなくてすむようにしたい。
ちょうどこの日、水竜族の長である氷刃のディランが、息子のドゥールに鉄枷をはめ檻に封じたことを知るのは、もう数日先のことだった。
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