オーナ大隧道 〜第三東口〜

 明くる日の冬の中月6日。

 俺たちは再びザザの森の奥へと進む。


 ここ数日の好天続きで、背の高い針葉樹が生い茂る薄暗い森のなかでも、地面がぬかるんでいることもなく、歩きやすかった。

 道なき道を先頭に立って歩く俺は、色濃い枝葉の向こうに見える太陽がまだ高く昇りきっていないのを見て、口元がほころぶ。


「この調子なら、昼頃には大隧道だいすいどうに入れるだろうな」


 後ろの二人が、手を叩き合って喜びの声をあげていると、マギーが何かにつまづいたのか、短い悲鳴を上げる。


「ふぎゃっ」


「……っ! 大丈夫、か?」


 俺の背中にしがみついたマギーの足元には、苔むした石があった。彼女を起こしながら、俺は懐かしい景色を思い出した。


「気をつけろよ。なんか、このあたりは石ころが多いみたいだ」


「わかってるわよ」


 言われなくともと、ニールに口を尖らせる彼女の足元だけではなく、ここから先はゴロゴロと転がっている石が多い。なぜなら、この石の多くは石畳の名残だからだ。


「ああ、麦の道の名残だな」


「麦の道?」


「おや。マギーは、麦の道をご存じない?」


 今度は足元に気を配りつつ歩きながら、首を傾げたマギーにニールが得意気に麦の道の話を始めた。


「西の聖王国のゼラス大河より南の地は、もともと肥沃な農耕地だったのさ。都市連盟の礎を築き上げる者たちが、大河を越えたのも、肥沃な大地が育む……」


 さすが放浪の皇子だ。マギーはすっかり聞き入っている。

 ニールは都市連盟の成り立ちから、聖王国への貿易の最大の問題を解決したオーナ大隧道のおかげで賑わった最盛期の麦の道の話。それから、海洋技術の発達と聖王国に頼ることのない生活基盤が出来上がったことで、次第に使われなくなったこと。


「そして、混乱の時代に盗賊たちの根城となっていたオーナ大隧道は、突然その入り口が塞がれたと……ファビアン、お前の仕業か?」


「まぁな」


 異端児と罵られようが、かつて同族が作り上げた大隧道を汚されるのが、我慢できなかった。ただそれだけの理由で、俺は入り口を塞いだ。鼻で笑わずにはいられないような理由で。


「あ、あの、ファビアン? その、盗賊は、どうなったの?」


「もちろん、入り口を塞ぐ前に追い出した」


 おそるおそる尋ねてきたマギーに、俺はこともなげに答えたが、実際には着の身着のままオーナ山脈の最高峰の頂きに置き去りにしてやったのだ。その後、奴らがどうなったかは知らないが、おそらくろくな死に方はしなかっただろう。

 彼女を怖がらせたくなかったから、話さなかっただけだ。

 そういうことに敏感らしいニールの物言いたげな視線が、俺の背中に刺さったような気もしたが、無視して足を止める。


「さて、あれがオーナ大隧道の第三東口だ」


「あれが……って、ファビアン、どこが入り口だよ」


 ニールが歓声の声を戸惑いに変えたのも無理もない話だろう。

 開けた土地の左右には、俺が掘り起こした土が山になっているし、その正面には岩がゴロゴロと転がっている山裾しか見えない。

 困惑する二人に俺は肩をすくめてみせる。


「そりゃあ、入り口だとすぐにわかるようじゃあ、塞いだ意味がないだろう」


「まぁ、そうだけど……」


「すぐに大隧道に案内してやるから、安心してくれ、マギー」


 なおも戸惑うマギーに、俺はコートを預けて少し下がっているように告げた。


 マギーにとって、これが間近で見る竜族の変化へんげだったことは、間違いないだろう。

 竜族の変化を始めてみた人間は、たいてい彼女のように目を見開いて言葉を失う。そういう人間を多く見てきた。もちろん、その時の竜族は俺ではない。だから、俺を見上げて言葉を失っている彼女を、長い首を曲げて見下ろすのは新鮮な気分になった。

 ドゥールという水竜の親友を持つニールは、当然目にしたことがあっただろう。

 短い口笛を吹いて、苦いものも混ざった笑みを浮かべる。


「本当に、お前、世界竜だったんだな」


「……そう言うと思ったよ」


 彼の横では、マギーまで首を勢いよく何度も縦に振っている。

 世界竜族に生まれ落ちたことを忌々しく思っている俺ですら、得意気な気分にさせられる。


「そこで待ってろ」


 九百年前に、俺が積み上げた岩の下の方から、小さめの――とはいえ、大人の人間よりも大きな岩を慎重に引き抜いた。あらかじめ崩れなさそうな岩を選んでおいたつもりだが、いざ引き抜くとなると慎重にならざるえなかった。


「……よっと」


 引き抜いた岩をそっと脇に置いてから、人間の姿に変化する。

 ぽっかり開いた穴の向こうには、ただただ闇が広がっているだけだ。

 少なくとも、俺たちがある程度奥に進む間は、このまま崩れることはなさそうだ。

 マギーに預けたコートを返してもらおうと振り返ると、二人はうずくまって何やら作業していた。

 どうやら、松明の用意をしているらしい。


「二人とも、灯りならいらないから、早く行くぞ」


 不思議そうに顔を見合わせた二人は、広げかけた荷物を素早くしまいこんで駆け寄ってくる。

 コートをはおりながら、穴の向こうの闇を見て余計に戸惑う二人に、行けばわかると先をせかす。


 俺を先頭に、ニール、マギーと光の届かないオーナ大隧道へと足を踏み入れた。


 すぐに、ニールの息をのむ音と、マギーの感嘆の声が反響しながら聞こえてくる。


 それもそのはずだろう。俺たちが足を踏み入れた途端、闇のみが広がっていたはずの大隧道の高い天井が明るく光りだしたのだから。


「これが、オーナ大隧道だ。山をくり抜いただけの道なわけがないだろう」


 見事な弧を描く天井が発する穏やかな光が照らし出す、世界竜族の技術と叡智の結晶であるオーナ大隧道。

 大陸一の往来を誇る聖王国の聖都にある大通りに匹敵するほど広い道幅に、見上げれば首が痛くなるほど高い天井。

 黒光りする歪曲した壁は、もちろん黒い都で多く使われている同じ黒欒石こくらんせきでできている。

 ここはいわば、玄関ホールのような場所。少し先の本道は、まだ闇に包まれている。それも、俺たちが足を踏み入れればここと同じように明るくなるはずだ。


 おぼつかない足取りで二歩三歩と進み出たニールの金髪の三つ編みが揺れる。まるで、大隧道に魅入られたように。


「これが、廃れてたとか、わけわからん」


「俺もそう思うよ。どこまで本当か知らんが、昔の南の人間は独立心が強かったらしい。だから、竜族の力に依存したくなかったとか、聞いたことならある」


「いやいや、それにしても……」


 これは後から聞いた話だが、放浪の皇子である前に、北の帝国の第四皇子である彼は、祖国の鉱山と比べてしまったらしい。共通点は、山をくり抜いていること一点のみだというのに、よほど心揺さぶられるものがあったようだ。放っておくと、一日中飽きもせずに、驚異の眼差しでじっくりと眺めているかもしれない。

 そんな彼とは違い、マギーはすぐに現実的なことを考えだしたようだ。


「どうして、天井が光っているの? 光石こうせきじゃない気がするけど」


「ああ、光石じゃないな。確か、この上の山頂辺りに当たる光の一部を送っているはずだ」


「ふーん。よくわからないけど、すごいね」


 ホコリ一つない床にへばりついて嬉しそうにしているニールに、軽蔑するような視線を投げかけて、彼女は一休みしようと提案してきた。

 もちろん、俺に異論などない。




 ――


 ザザの森にあったオーナ大隧道第三東口から、目指す反対側の第二西口まで、歩いて丸一日もあれば充分だ。なにしろ、空間を操る秘術が駆使された特殊な大隧道だ。一番遠い出口を選んだとしても、丸一日しかかからない。その仕組みを――秘術を世界竜族不在でどう仕掛けているのか、俺にはまるでわからないままだったが、丸一日しかかからないという事実だけで充分だった。

 大隧道を出た後、ゼラス大河までは二日ほど。よほどの悪天候か、悪運に遭遇しない限り、大河を下る船で目的地のモーガルまで一日。


 俺は指で黒光りする床に、見えない大陸の地図をなぞりながら、モーガルまでの道のりを説明した。


「やっぱり、こんなすごい道が廃道とは、南の人間は恐ろしいな」


 岩のような堅焼きビスケットを加えながら、ニールが呆れてみせる。その隣で、真剣に俺の指先を見つめていたマギーが、不意に思いついたけどと、口を開いた。


「ファビアンが消えるように直接移動したみたいに、あたしたちも連れて行ってくれたらいいじゃない?」


 どうやら、俺が世界のつなぎ目を移動することを言っているらしい。

 俺は苦笑しながら、首を横に振った。


「それは、ダメだ。俺が連れていけるのはせいぜい一人だし、誰かに見つからないとも限らない。それに疲れる」


「ふーん。でも、できないわけじゃないんだよね?」


 不満そうに口を尖らせた彼女に、ニールがわざとらしい笑い声を上げる。


「いいじゃないか、マギー。おかげでこうして、こんなすごい大隧道にいるわけだし、それに、今でも充分すぎるほど俺たちは先を行っているんだ。これ以上早くモーガルをめざしても、かえってまだかまだかと余計に気を揉むだけだ」


「まぁ、確かに……」


 渋々といった感じで納得したらしい彼女の横で、ニールは切なそうに胸に手を当てる。


「あぁ、俺のターニャは、今ごろどこで何をしているんだ」


 ニールの熱のこもった声に、俺は嫌な予感がした。


「ターニャは、俺が探していることに気がついているんだろうか。一日でも早く、彼女の……」


「は? なに言ってんの?」


 だが、そう長くは続かなかった。

 マギーの冷ややかな言葉には、火傷しそうなほどの怒りの熱がこもっていた。さすがのニールも、彼女の豹変ぶりに驚いて口を閉ざした。


「ドゥールから、だいたいのことは聞いていたけど、どうして竜族だけじゃなくって人間の男も皆こうなの? なんで、女は待っているって決めつけているの?」


「えーっと、マギー? 俺のターニャは……」


「その『俺の』ってのが、だいたいおかしいんだよ」


 彼女のなみなみならぬ気迫にしどろもどろになったニールが、すがるような目で俺に助けを求めてくるが、そっと目をそらすしかなかった。俺まで、彼女の怒りを向けられるのは、避けるに決まっている。


「いい? ニール。女だからって、男が来るのを待つだけなんて無理」


「そ、そりゃあ、寂しい思いさせて申し訳ないと……」


「申し訳ない? 申し訳ないだけで、済ませてんじゃねぇよ!」


 マギーもまた、心穏やかに花婿の火竜を待っていられなかった事情があっただけに、ニールがどれだけ反論しても説得力がなかった。


 ニールが言ったとおり、俺たちは充分すぎるほど先を行っている。

 今日のところは、このままここで夜を迎えるのも悪くない。


 北の帝国の戦士が、赤毛の娘にたじたじになっている姿がおかしくて、今しばらく眺めていても、飽きないだろう。

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