世界の終焉

 さて、やはりすべてを話すわけにはいかない。

 それでも、ニールとマギーには、知ってほしい。この世界が、常に終焉と背中合わせだということを。

 また、風が枝葉をザワザワと揺らし始める。

 血の気が引いた顔で言葉を失っている二人の耳に、その音は届いているだろうか。


「そんな怯えるようなことじゃない。名もなき始まりの竜王が忌々しい世界の中心の塔を築き上げた時から、常に終焉はすぐそこにあったから」


「それって、有史以来ってことじゃないか」


「そういうことになるな、ニール。歩きながら話す。ここにいてもしかたないからな」


 ザザの森は山裾に広がっているが、しばらくは起伏の少ない森だ。木の根にさえ気をつければ、それほど歩くのには苦労しないはずだ。


「世界竜族は、表では人間と竜族の頂点に君臨しながら、常に世界の終焉を先延ばしにしてきた」


「ファビアンも?」


 マギーの問いに、俺は思わず肩をすくめた。


「俺しかいないからな」


 気遣うような沈黙は嫌いだ。獣たちの気配は、あいかわらず遠い。沈黙を破るには、やはり喋り続けなければならないようだ。


「世界の終焉について、一つだけ確かなことは楽園への道は閉ざされることだけ。かつて三つの大陸を沈めたようにこのノアン大陸も沈むのか、自殺した魂のように地上をさまよい続けるのか、それとも世界そのものが無に還るのか」


 具体的なことなど、わかるわけがない。まだ、こうして世界はあるのだから。そのくらい、二人にもわかるだろう。


「あたし、全部嫌ですっ」


「おい、マギー……」


 マギーが荒げた声をいさめようとしたニールの制止も振り切って、彼女は俺の前に回りこむ。


「ファビアン、それ、本当なら、世界の終焉、何が何でも防がなきゃ!」


「お、おう」


 拳を握りしめて気色ばむ彼女に、足を止めた俺が戸惑う。


「いや、その、な。そう簡単な話じゃないからな。そう……」


 目の前のマギーだけではなく、背中にもニールの視線が刺さる。


「そう、真理派のように一なる女神さまの教えを破る奴らがいなくならない限り、常に終焉と隣り合わせのままだからな」


 真理派と口にした瞬間、あたりの空気はますます剣呑なものになった。もっと慎重に話すべきだったと焦り、声を荒らげずにはいられなかった。


「だからっ、先延ばしにしかできなかったんだよ。真理派の核となっているすべての竜族と花嫁に対する恨みつらみは、お前たちが考えている以上に根が深い。根絶できたら、俺もとうに楽園で憩うことが許されただろうし、お前たちにこうして打ち明けることもなかった」


「……」


 一気にまくし立てた俺は、さすがに息が切れてきた。そう、息が切れる。


 そう、俺は生きている。

 ユリウスさまと約束した流星のライオスと違って、なぜ千年以上生きながらえているかわからないまま、生きている。だから、いつかは死ぬ。名無しがこれが最後の務めだと言った。

 名無しはふざけたやつだが、いつもいつも腹立たしいほど言うことは正しい。

 だから――


「俺もいつかは、楽園に召される時が来るはずだ。そうなれば、誰も世界の終焉のことを知る者はいなくなる。だから、こうして話しているんだ」


「おい、待てよ」


 息を飲んで固まるマギーの横をすり抜けるようにして、再び歩き始めた俺を、ニールが呼び止めようとしたが、俺は足を止めなかった。


 静かな針葉樹の多いザザの森の奥へと、道なき道を進みながら、俺は二人に教えられることをすべて教えた。


 すべては、一なる女神さまの教えを天秤にかけたようなものだと。


 今までも何度か、終焉に傾きかけたが、ぎりぎりのところで先延ばしにしてきたこと。――具体的なことをニールに尋ねられたが、答えずに笑ってごまかした。誇れることなど、何一つしてこなかった。いつも影から、終焉へと傾ける者たちのしかしてこなかった。


 十年ほど前から終焉に傾きかけているが、ずっと原因がわからなかったこと。

 世界の中心の塔に残された水色のリボンに記されていた『フィオナ・ガードナー』が、なにか鍵を握っているだろうこと。


 始祖名もなき始まりの竜王の過ちと、名無しのことだけは、まだ教えるわけにはいかない。


 いつしかザザの森に夕闇が降り、ニールが松明を用意しながらため息をつく。


「世界の終焉とかやばい割には、ぼんやりとした話だな」


「何か、隠してるの?」


 言いにくいことを、マギーにはっきり言われたニールは苦笑せずにはいられなかったらしい。北の帝国の皇子も、マギーにはかなわないようだ。

 俺も、まぶしいほどまっすぐなマギーにはかなわないが。


「ああ。まだ、全部話すわけにはいかない。フィオナ・ガードナーが、どういう小娘なのか、この目で確かめるまでは、な」


「やっぱり、花よ……」


「マギー」


 まだ言うか。思わず、力が抜けそうになる。

 額に手をやった俺がおかしかったのか、しばらく静かな森がニールとマギーの笑い声で少しだけ賑やかになる。


 俺もつられるようにひとしきり笑った後で、ニールが松明を俺に預けてくる。


「ファビアン。今夜はここで夜を明かそう。俺もマギーも、ほとんど休まずに急いできたんだからな」


 俺に異論はなかったし、マギーもさすがに疲れを隠しきれていなかったので、俺が手にした松明は、そのまま焚き火の火種となった。


 針葉樹の木々の下で、俺たちはわずかな食糧を胃袋におさめた。岩のように硬いビスケットの出どころは、あえて訊かないでおいた。やはり、ウサギを手放すべきではなかったかもしれない。


 すっかり日も暮れて夜が訪れた。

 俺が、すべてを話せるわけではないと、ニールもマギーも理解してくれて、どれだけ気が楽になったか。

 気を遣ってくれたには違いないだろうが、目の前で逃げられた花婿に対する不満を、マギーはずっと表情豊かに語ってくれる。彼女の不満はもっともだし、彼女もただ不満を肯定してほしいだけだとわかるから、軽く相槌を打ちながら聞いている。それだけだというのに、この温かい安心感はなんだというのだろうか。


「…………だから、首輪を着けて……クッシュン」


 日が暮れてずいぶんたつ。体が冷えたらしい、マギーの可愛いクシャミに、ニールはやれやれと立ち上がる。


「ほら、よ」


「ありがと、ニール」


 マギーの肩に自分の外套をかけたニールは、俺の横に戻ってくると焚き火の炎を見つめながら、片膝を抱える。

 何か言いたいことがあるのは、その様子からよくわかる。おそらく、口を閉じたマギーもだろう察したに違いない。


「リュックベンで、俺になぜ正体を明かさなかったのかって、言ってたよな?」


「ああ」


 ニールにしては珍しく元気のない様子に、俺は小枝を折る手を止めた。


「ドゥールの奴が、もし鉄枷をはめるようなことになったら……」


 ああ、そういうことかと、唇を湿らせるニールの横顔を見て、俺は小枝を焚き火に放り投げて口を開いた。


「悪いがニール、俺はお前たちの他に正体を明かすつもりはない」


 わかりやすくニールは、弾かれたように顔を上げて、何か言おうと口を開いたが悔しそうに閉じる。


「俺が――というより、世界竜族が四竜族にどれだけ影響力があるのか、お前よりも知っている。この目で見てきたからな。黒い都で、竜王のみならず、黒いウロコと金色こんじきの瞳にかしずく四竜族に人間たち……俺が繰り返すわけにはいかない」


 パチッパチッと、火が爆ぜる音が静かな森に響く。


「悪いな。俺は、ユリウスさまのように、立派な存在じゃない。竜王の器じゃないんだ。ニール、お前もよくわかっているはずだ。無能な権力者とその民の末路を」


「……まぁ、な」


 鉄と毛皮を求めて争いの絶えない北の帝国の、第四皇子とはいえ皇帝の息子だ。わからないわけがないだろう。

 橙色の炎に照らされたニールの横顔。少しだけだが、イサークの面影がそこにはあった。

 おもむろに腰のあたりを探った彼は、ドゥールの氷鈴を手に取って眺める。


「ドゥールのやつ、逃げ切れるかなぁ」


「……無理、だろうな」


「そうか」


 チリンチリンと、ニールは氷鈴をもてあそぶ。

 焚き火の向こうのマギーは、何も言わないし、その複雑な表情からは、何を考えているのか読み取るのは難しい。ただ、歳の割には単純な娘ではないことは知っているつもりだ。

 だから、俺と目があったマギーがあのぉと口を開いた時は、何を言われるのかと、なぜか緊張してしまった。


「ファビアンって、そんなに無能なの?」


 首を傾げる彼女は、言外に無能ではないだろうと、俺に告げていた。

 ちらりと横目で見たニールの目も、彼女と同じことを告げているではないか。

 思わず、天を仰がずにはいられなかった。木々に囲まれた星空の向こうの楽園で憩うているユリウスさまに助けを求めずにはいられなかった。


「異端児で役立たず。ただ一人、俺に手を差し伸べてくれたユリウスさまにさえ、置き去りにされた俺が、どうして無能じゃないんだ」


 心優しき女神ルグーのかけらである星の名前を知りつくしていたユリウスさまなら、星たちから助言も得ることができただろうに。いや、ユリウスさまに限らず、名無しのようなふざけたやつも、使える助言を得ることができたはずだ。

 ただ、星空の向こうの楽園を思うことしかできない俺は、どうしようもない出来損ないだ。


「言っただろうニール。俺は天涯孤独で、生まれてすぐに捨てられた……」


「おい、あれも嘘じゃなかったのかよ」


「だから、嘘だとは言っていない」


 視界の端でニールがわけわからんと頭を抱える。


「ああそうだ。もしかしたら、勘違いしているかもしれんが、俺が獣たちと会話できたのは、捨てられた森で獣のように育ったからだ」


「……あたし、ファビアンが世界竜だからだって思ってた」


 鼻で笑ったのは、マギーにじゃない。俺に、だ。


「まさか。……あの傲慢な連中が、獣に心配するようなことはしないさ。とにかく」


 俺に何も答えてくれない星空から、焚き火に目を戻す。


「とにかく、だ。俺は死に損なっただけで、選ばれたとかそういうわけじゃない」


 頭を抱えていたニールが、長い三つ編みの髪が跳ね踊るほど勢いよく首を振って、妙にしんみりしてしまった雰囲気を払拭しようと明るい声を上げる。


「俺は、もう寝る! 世界竜族の生き残りが目の前にいるってだけでも頭がいっぱいだというのに、世界の終焉とか、もう無理。寝る。とりあえず、ファビアンがファビアンで、本当に安心したよ」


 おやすみと、横になったニールを、マギーがクスクス笑う。


「あたしも、ファビアンがファビアンでよかった。本当に。明日も、まだ世界はあるんでしょ。……なら、あたしも寝るね。おやすみなさい」


 ニールから借りた外套をかきあわせて、彼女も木を背に膝を抱える。


「ああ、おやすみ」


 自然と紡いでしまった言葉に、俺は少しだけ戸惑いながら、あらためてこの二人が自分にとってどれほど大切な存在になっていたのか思い知らされた。

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