第二章 過去と未来の間
ザザの森
始まりの女王リラが築き上げたブラス聖王国から、人間の歴史は始まった。
まずは、勇敢なる人間たちが厳しい北の大地を征服せんと、聖王国を去った。
厳しい北の大地の制服は困難を極め、勇敢なる人間たちの中には、さらに東の地を目指す者も現れた。
これが、北のカヴァレリースト帝国、東の小国群の起源である。
西から、北へ、東へと。
人間は最も弱き種族であったが、一なる女神さまより授かった知恵を用いて、大陸全土にその生活圏を開拓していった。
そして、南。
南への進出が、もっとも遅れた。
東の小国群は、まだ安定した生活基盤を築けずにいた頃、竜族から伝え聞いた南の肥沃な土地に心惹かれた人間たちが現れた。
だが、南への進出は困難であった。
まず、聖王国の南を流れるゼラス大河。当時はまだ、遠洋航海の技術は発達しておらず、竜の森の力を借りてなお、橋をかけるのには、百年の歳月がかかった。
聖王国の南の玄関口となる橋の街モーガルが完成した後、聖王国と
だが、まだ聖王国の影響が多かった彼らには、たったひとつの大きな問題が生じた。
大陸南部の南北に走る峻険なる山々を連ねたオーナ山脈。
かの山脈が、肥沃な大地で手に入れた実りをもって、聖王国と並び立とうとした人間たちの心をくじいた。
再び、竜の森が動くこととなった。
そして築き上げられたのが、オーナ
オーナ山脈の中を縦横無尽に走る大隧道は、世界竜族の力をもって五年で完成した。
世界竜族の力の一片を垣間見ることができる漆黒の道は、南の都市国家を豊かにした。
しかし、その大隧道の入り口も、混乱の時代に失われてしまった。
海洋技術の発達により省みることも少なくなったが、もし、オーナ大隧道が再び見いだされることになったら、南の都市連盟はより繁栄することだろう。
『学術都市トラン市の大学広場にある記念碑』より
――
統一歴3459年冬の中月5日。
俺は、オーナ山脈の東側に広がるザザの森にいる。
背の高い針葉樹が多いザザの森は、いい感じに大きな俺の体を隠してくれている。それに、このあたりは竜の森の連中も近づかない。
だから、昼間でも堂々と作業に没頭できるわけだ。
「くっそ。なんで、埋もれているんだよ」
山裾を綺麗に切り出した岩肌の前で、黒いウロコに覆われた手で若い木を引き抜いた。
六つある大隧道の入り口を塞いだのは、他でもない俺だ。
それから九百年の間に、この入り口は何度も土砂崩れに見舞われたようで、こうしてせっせと掘り起こしている。
「あっち側は、こんな苦労しなかったってのに」
悪態をつきながらでなければ、やってられない。
ニールとマギーがこの森に来る前に、入り口を確保しなくてはならない。
「くっそぉおおおおおおおおお!!」
半ばヤケクソになって、掘り起こす。
穴を掘るというのは、嫌いではない。むしろ、血が騒ぐ。俺にも流れている忌々しい世界竜族の血が騒ぐ。
自覚があるから、余計に嫌な作業だ。
ニールとマギーがこの森にやってくるのは、早くても明後日。
この調子では、昼過ぎには入り口を確保できる。急ぐことはないとわかっているのに、手が止まらない。
結局、昼前には東側の入り口を確保してしまった。
「……とりあえず、少し休む、か」
血が騒いでしまった自分に呆れながら、掘り起こした大隧道の入り口の側で丸くなる。
鋭い爪が、土だらけだ。
ため息をつきながら目を閉じると、すぐに遠巻きに俺を見ていただろうザザの森の住人たちが集まってくる。
四本足のも、二足も、大きいのも、小さいのも。
やはり、彼らと会話することが難しくなっている。
『ファビアン。悲しいかもしれないが、お前は一なる女神さまから知恵を授かった側なのだよ。獣たちの声が聞こえなくなるのは、どうしようもないことだ』
ユリウスさまが言ったとおりだ。
竜族や人間たちと関わり馴染むうちに、俺の
あの時は、ただ悲しくて悲しくて、癇癪を起こしてユリウスさまを困らせてしまった。
結局、俺は獣であることをやめられず、竜族や人間たちと関わることも避け続けてきた。
過去に二度、ユリウスさまが俺の変化を祝ってくれた時と、イサークの考えに共感した時、俺は獣であることをやめてもいいと考えた。
「これが最後の勤めだ。最後くらい世界竜として楽園に……ん?」
耳元に止まった鳥が甲高い声で鳴き始める。
まだ、かろうじてだが、彼らの言葉を聞き取れたことに、安堵しながらまぶたを押し上げて、鳥の訴えに耳を傾ける。
「なん、だと……わかった。ありがとう」
体を起こすと彼らは俺から離れていく。俺の体が大きいからしかたがないのだろうが、少し残念な気持ちもある。
今までどんな姿だろうと、俺に力を貸してくれた獣たちだが、たとえ会話ができなくなっても、この関係は続くのだろうか。
不安だった。
長く生きながらえてきたが、世界竜族の異端児だった俺は、自分に誇れるものがない。
もっとも、その不安から、俺はどっちつかずな半端者のままなのだが。
いっそのこと、ユリウスさまから学んだことをすべて捨ててしまえば、楽になれるのではないか。
「馬鹿馬鹿しい」
軽く頭を振って、そのしつこい考えを心の奥にしまいこんだ。
黒の長衣の人間の姿に変化して、近くの木の枝に引っ掛けておいた毛皮のコートを羽織る。
「じゃあな」
じっと俺を見守る獣たちは、まだ俺の言葉は届いているようだ。
ほっと胸をなでおろしながら、こじ開けた世界の繋ぎ目に飛びこむ。
繋ぎ目を通り抜けた先のザザの森の入り口には、鳥が教えてくれたとおりニールとマギーの姿があった。
どこで調達してきたのか、立派な馬から降りた二人は不安そうな顔であたりの様子をうかがっていた。
「おい」
ため息混じりに短く声をかけると、ニールの複雑な目で俺を見てきた。対して、マギーは顔を輝かせて駆け寄ってくる。
「ファビアン! よかったぁ。夢見てたんじゃないかって、不安だったんだから」
「あいにく、俺は夢じゃない」
以前にも同じ反応をされたことがあるだけに、苦笑するしかない。
「それで、マギー。その馬はどうしたんだ?」
たちまち顔を曇らせたマギーに代わって、ニールが肩をすくめながら答える。
「ちょっと借りただけさ」
「盗んだ、の間違いだろう?」
ニールはまた肩をすくめて、肯定する。
おそらく、2日の夜明け前に納屋で別れたすぐ後に、盗んできたのだろう。
そうでなければ、これほど早くここまで来れるわけがない。
気まずそうにうつむいていたマギーが、言い訳だけどと、口を開いた。
「しかたないじゃない。約束した途端、ファビアンは消えちゃうし」
「正直、俺もマギーも変な夢でも見てたんじゃないかって思ったさ」
ニールまで目を吊り上げて俺のせいだと言ってくる。
「俺のせいにするなよ」
「いいや、するね」
呆れかえった俺に、ニールはきっぱりと言い切る。
「その黒い髪と
「……」
マギーをちらりとうかがえば、こくりこくりと大きくうなずいている。
ようは俺が世界竜族の生き残りだと言うことが、いまだに信じられなかったとか、そういうことだろう。理解はできるが、実感をともなうことはないたぐいのものだ。
「わかるわけないだろう。俺は俺自身に会えないのだから」
「…………あー、俺、あれこれ悩んでたのが、アホらしくなってきた」
頭を抱えるほどではないと思うのだが、マギーは憐れむような目で頭を抱えたニールを見ている。
「まぁ、来てしまったのはしかたない。とりあえず、その馬たちには帰ってもらう。どうせ、ここから先は歩きになるからな」
世界の繋ぎ目に手を突っ込んで昨日狩ったばかりのウサギを二羽取り出す。
ニールとマギーが驚きの声を上げたが、今は無視させてもらう。馬との会話に集中したい。
ウサギを馬の鞍にくくりつけながら、主のもとに帰るように、文字にできない言葉で伝えれば、嬉しそうに嘶き、走り去っていった。
「これでよし、と」
たった二羽のウサギで、詫びになるかどうかは怪しいものだが、こうでもしないと後味が悪い。
森の外の草原を駆ける二頭の馬を見送って、俺はさっさと森に引き返した。
このあたりはザザの森でも一番ひと気のない場所だが、それでも早々に森の奥に去るにこしたことはない。
「今らからでは、大隧道の入り口に着く前に日が暮れる。どこか適当な場所で一晩明かす。いいな」
二人とも言いたいことはたくさんあるだろうが、今は少しでも森の奥に進まなくてはならない。
道なき道を少し進むと、背後のニールが大きく息を吐き出した音が聞こえた。
「なぁ、ファビアン。どうして、俺たちを待ったりしたんだ? というか、その気になれば、探しているフィオナ・ガードナーを見つけられるはずだってのに」
他にも訊きたいことはあるだろうに、と口元が緩む。
森の獣たちは俺に遠慮しているのか、気配すら遠く静かだ。
木々だけが、遠慮することなくざわざわと音を立てている。
「俺だけでは駄目だと……カンだな。お前たちを引き合わせてくれたのが、一なる女神さまの導きなら……いや、やはり、ただのカンだ」
やはり、ニールとマギーが笑っていられる世界を望んでいるなど、正直に言えるわけがない。
嘘はついていないが、背中で二人の困惑の視線が痛いくらい刺さる。
「えーっと、何が駄目なの? というか、フィオナ・ガードナーって子、あなたの花よ……」
「ありえんな」
マギーまで、ふざけたことを言ってくる。どうせ、ニールが吹きこんだのだろう。
だが、俺のいらだちを察したのか、ニールが俺よりも先に口を開いた。
「ファビアン、誤解するなよ。俺がマギーに言ったわけじゃない。ここに来るまで、噂を耳にしただけだ」
思わず、唸らずにはいられなかった。
「……最悪だ。千年も経って花嫁が現れるとか、どう考えてもおかしいだろうが」
クスクスと、こらえかねたようにマギーが笑いだした。思わず足を止めて振り返ってもまだ、マギーは笑っていた。
「なんか、安心した。ファビアンが、ファビアンで」
「は?」
首を傾げた俺に、表情が硬かったニールも笑いながら肩をすくめる。
「まったくだ。世界竜族だからって、ファビアンが偉そうになるわけではなくて、安心したよ」
何を言っているのだとわけがわからなかったが、そういえばイサークも同じようなことを言っていたことを思い出して、気がついたら俺も笑っていた。
そして、ひとしきり笑った後で、ニールは咳払いをする。
「それで、ファビアンだけでは無理というのは、なんだ? 俺たちが必要だと解釈してもいいのか?」
いつの間にか、枝葉を揺らしていた風もやみ、沈黙の帳が降りる。それは、ほんのわずかの間のことだっただろうが、俺には――おそらくニールとマギーにとっても、たえがたいほど長く感じられたことだろう。
だというのに、不思議と迷うことも、ためらうこともなく、俺は沈黙を破った。
「世界の終焉を防ぐために、俺はお前たちが必要になる。そう感じている」
再び、沈黙の帳が降りる。今度は、そう簡単に破れそうにないほど、重苦しい沈黙の帳が。
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