脱出
眠りこけるネズミをズボンのポケットにしまいながら、やれやれと俺は立ち上がる。
ドゥールはちらりと俺に一瞥をよこして、首を縦に振った。
「脱獄、というわけか」
「そういうわけだ。君が、ファビアン殿、かな?」
「ああ、そうだ。氷刃のディランの息子ドゥール、初めましてだ」
なぜ初対面のドゥールが俺の名前をと気になったが、彼はとにかく早くと急かしてくる。
「俺の親友が迷惑をかけたな。君まで、俺の親父殿の怒りを買うことはない。とにかく急いでくれ。連中に見つかったら、俺だけでなく、水竜族そのものの立場が危うくなる」
何がどうなっているのか、よくわからないが、ここから脱出できるなら、黙ってついていくのも悪くない。俺は、いつだってどこにでも行けるのだから。
ニールに続くかたちで、俺は地下牢から出た。
鉄扉と鉄格子が並ぶ通路の奥の階段を登り始めると、光石ランプを掲げながら先を進むドゥールはようやく口を開く。
「はっきり言って、かなりまずい状況だ。俺は
「ドゥール、お前……」
「気にするなよ、ニコラス。お前に、姫さまのことを教えたことで、すでに鉄枷は決まっていたようなものだ」
ドゥールが鼻で笑ったのは、ニールを安心させるための強がりだろう。
四竜族には死んで罪を贖うという考えはない。だからといって、鉄枷をはめることが、よいこととは言えないだろう。
それほどまでに、その姫さまとやらが大事だというのか。
「その姫さまというのが、フィオナ・ガードナーか?」
他に誰がいると思いつつも、俺はドゥールに尋ねるが、すぐに答えは得られなかった。上階の地下倉庫らしき場所に出たところで、ドゥールは足を止めて振り返った。光石ランプを持つ彼の肩越しに、物騒な鋼の輝きをいくつも見る。
「……ニコラス、どこまでこの男に話したんだ?」
「えーっと」
居心地悪そうに、ニールが目を泳がせる。
「俺の知ってることは、全部、かな? すまん」
「なるほど……」
ドゥールは大きなため息をついて、その冷たい青い瞳で俺を見据える。
「ファビアン殿、マーガレットから聞いた話では、目的のない旅を続けているらしいな」
「ああ、そうだ。マギーを知っているのか?」
首を縦に振ったドゥールは、再び階段を登り始める。
「彼女のおかげで、俺はお前たちを助けることができたんだ。ファビアン殿、ニコラスが知っていることよりも多くのことを教えることはできない」
一つ上の階に上がるまでに、何度も踊り場に出くわす。深くしっかりと作られた地下。おそらく、地竜族の手が入っているはずだ。
「ファビアン殿、知ってしまったことを、今さら忘れろとは言わない。そのかわり、ニコラスと行動をともにしてほしい」
「おい、ドゥール、それはいくらなんでも……」
「ニコラス、お前の気持ちはこの際どうでもいいんだ。マーガレットも、きっとニコラスと二人きりよりも、ファビアン殿も一緒のほうが気が楽だろう」
「おい、ちょっと待てよ。さっきからどうして、マギーの名前が出てくるんだよ」
ニールの疑問は、そっくりそのまま俺と同じだった。
時間がないと、急かされているから、不審な点から目をそらしてきたが、それにも限界がある。
俺がニールと行動するのはいい。それで、フィオナ・ガードナーが見つかればいい。
だが、マギーは違う。
「氷刃のディランの息子ドゥール、俺はニールとともに旅を続けても構わない。だが、マギーには火竜族の花婿がいるだろう」
ちょうど一つ上の階に着いたが、今度は足を止めることなくドゥールは階段を登る。
「その花婿が、姫さまと一緒にこの街を離れた」
「は?」
俺とニールの声が重なった。続いて、ドゥールの憂鬱そうなため息。
「よりもよって、姫さまの同行者が彼女の花婿だったんだ。ちょうど、ニコラスのターニャのように。……さて、そろそろ出口だ。詳しいことは、外で待っている彼女から聞いてくれ」
足を止めたドゥールが持つ光石ランプは、階下の地下牢の鉄扉ほど頑丈ではない木の扉を照らしている。
不意に、ポケットの中のネズミがもぞもぞと動いた。どうやら、目を覚ましたらしい。窮屈だろうから出してやらなくては。
我ながら緊張感がないなと、こっそりと口元を緩めた。今すぐにでも、封じてある世界竜の力を使えば、リュックベンからも出ていける。そんな考えが、頭にあるからだろう。
それをしないのは、フィオナ・ガードナーの居場所をドゥールが知っているはずだからだ。
そのドゥールは、ニールに光石ランプを手渡し靄の外套のフードに手をやっている。
「一応、外の連中も眠らせているが、とりあえず、俺が様子を見て……」
「いいや、その必要はない」
「ファビアン殿?」
怪訝そうなドゥールに、俺は意地悪く笑ってみせる。
「俺たちが出て行ったことも気づかせないような騒動を起こしてやるよ」
「は?」
いら立ちを隠そうともしないドゥールの肩を、ニールはニヤニヤと笑いながら叩く。
「ここは黙って、まかせるが得策だぞ、我が友よ。これなるファビアンは、思いもよらぬ特技をお持ちだからな」
自分のことではないのに、得意げなニールには呆れるしかない。
そうこうしているうちに、ネズミは俺の体をつたっておりると、仲間を呼びに行ってくれた。
なおも怪訝そうな顔をしているドゥールの耳に、外で起きるだろう騒ぎが届くまでそうかかりはしないだろう。
実際、そうだった。
出口の向こう側だけでなく、階下からも甲高い悲鳴や物音が響いてくる。
「なん、だ?」
「ネズミの反乱、といったところだな。……ニール」
肩をすくめて、ニールにさっさと戸を開けるように、顎でうながす。
「驚けよ、ドゥール。俺もいまだに驚かない自信がない」
実際、その通りになった。外での見張りは、思いの外少なかったが、そのぶん群がってくるネズミの数は多い。
「な、な、ぎゃっ、やめっ……」
「ひぃ、たすけっ、ぎゃっ」
思った以上の惨状にドゥールは生唾を飲んだようだが、足を止めなかった。
「……こっちだ」
地下牢の外は、拍子抜けするほどありきたりな民家の中だった。やはり、後ろ暗い地下部だったのだろうか。
ネズミを避けるようにドゥールとニールの後から、裏口を出ていく時、わかっているだろうが、ネズミたちに念を押しておいた。
「やりすぎるなよ」
もう手遅れだったかもしれないが。
裏口の向こうは、細い路地。
民家の中も、薄暗かったせいで、俺とニールは眩しい陽光に目がくらんだ。
白い闇に目を焼かれる中、俺に駆け寄ってくる気配がする。
「ファビアン、ニール!」
「……っ、マギー?」
ドンと勢いよく抱きついてきたのは、間違いなくマギーだった。
ようやく明るさに目が慣れてくると、ニールのふてくされた声が聞こえてきた。
「……なんで、俺じゃないんだよ」
「日ごろの行い、だろうよ、ニコラス」
苦笑しながら、ドゥールは裏口の戸を閉めた。
その様子から、とりあえずは安全と考えていいのだろうか。
茶色の外套をはおったマギーを引き剥がしながら、俺が横目で見ていたことに気がついたのだろう。ドゥールはまた軽く肩をすくめた。
「あの地下牢は、モール商会が秘密裏につくったものだからな。大通りの人混みに紛れてしまえば、なんとか市街地を出ることもできるだろうよ」
「モール商会?」
たしか、数十年前から東の小国群を中心に勢力を伸ばしている商会だ。
街の何でも屋を看板に掲げているのは、知っていた。
眼帯を撫でながら、思案にふける。
「……なるほど、昨日の傭兵はモール商会の連中、か」
「ファビアン殿?」
つい、癖でぼそりと口から出てしまったひとり言を、ドゥールが耳ざとく聞きつける。まだ俺を警戒しているのがよくわかる。ニールが、姫さまのことを俺に教えたのも、大きいだろうが。
いつまでもとどまっているわけにもいかないと、ドゥールとニールの後を賑やかな通りに向かって足を運ぶ。隠そうともしない警戒心に、つい軽く肩をすくめてしまう。
「すまない、ドゥール。ひとり言だ。それで、次はどうすればいい? 俺もニールも、着の身着のままだ」
「あ、それなら……」
俺の隣りにいたマギーがドゥールのかわりに答えるながら、近くに積んであった木箱の裏から何かを取り出した。
「ファビアンのコートと、ニールの剣なら、ちゃんと取り返してあります」
「おおっ!!」
歓声をあげながら剣を手にしたニールに、これだけだけどとマギーは申し訳なさそうに顔を伏せる。
俺も愛着のあるコートをはおりながら、マギーの頭を軽く撫でる。
「充分すぎる」
「……っ、ありがとうございますっ」
なぜか気分を害したらしいマギーは、先の大通りの手前で壁に背中を張りつかせているドゥールの側に駆け去ってしまった。
何か、悪いことをしただろうかと、軽く首をひねる俺をニールが意味ありげな笑みを浮かべながら肩をすくめてマギーの後に続く。
「……のんびりしすぎたようだ」
ドゥールが鋭い舌打ちをしたのは、地下牢の地上部にあたる民家から、怯えた表情で飛び出してきたいかつい男が、民家を指差しながら何かわめき始めたからだ。
どうやら、ネズミたちはやりすぎたらしい。
申し訳ない気持ちから、ため息がこぼれる。
そんな俺とドゥールとは違い、ニールは面白そうに笑う。
「ドゥール、野次馬が集まってきている。人ごみに紛れるなら、これ以上ないチャンスだ」
「ああ、そうだな。ニコラス、ちゃんと逃げ切ってくれよ」
「おい、ドゥール、それじゃ、まるで……」
ニールが戸惑うのも、無理はない。
彼の肩を叩いたドゥールは、まるで一緒に行かないと言っているようなものだったからだ。そして、実際そうだった。
「そう、気に病むな。ニコラス、俺だって鉄枷は恐ろしい。しばらく、秘密の隠れ家にでも身を隠すさ」
力なく笑ったドゥールは、真新しい氷鈴をニールに押し付けるように手渡した。
「ほら、新しい氷鈴だ。今回ばかりは、力になれそうもないが、持ってろ」
「……ドゥール」
ニールも理解したようだ。青い髪と瞳の水竜族の青年と旅をすれば、嫌でも目立つ。
氷鈴を握りしめたニールに、ドゥールはしかたないと肩をすくめる。
「大丈夫だ、ニコラス。そう簡単に、鉄枷をはめるつもりはないさ」
「わかった。……またすぐに会おうな。いつか、必ずこの借りは返すから」
「楽しみにしているよ、ニコラス。ファビアン殿、マギー、俺の親友をよろしくな」
青みがかった白の外套のフードをかぶると、ドゥールの姿は見えなくなった。
ドゥールは、ああ言っていたが、本当に大丈夫だろうか。
靄の外套で姿を消したドゥールが紛れた雑踏から目をそらしたニールが、唇を噛む。親友が鉄枷をはめる姿など、見たくないはずだろう。
「ファビアン、急ぐぞ」
「ああ、わかっている」
マギーも無言で頷いて、外套のフードを目深にかぶる。
一なる女神さまのお導きだろうか。
北の港街で出会い、同じ船で最南端の港町までやってきた俺たちが、また新たな目的を同じくして旅を続けることになろうとは。
『ファビアン。どうしても、世界を望んでくれないのだな。難しいことではない、世界を望むということは――』
不意に、ユリウスさまの困ったような顔が脳裏をよぎった。
このまま、本当に二人と行動をともにしてよいのだろうか。
俺はまだ、迷っていた。
ニールとマギーに続いて、大通りの雑踏に紛れるように歩きだす。
俺はまだ、前を行く二人を友と呼ぶのを恐れていた。
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