プリシラ

 市庁舎前の広場の賑わいは、式典を目前にした今この時、いつでも爆ぜそうなほど熱気をためていた。

 市庁舎二階にある狭い一室で、ヘイデンは窓辺から広場を見下ろしていた。


「ヘイデン。お前、何を考えている?」


「人間がこうも集まると、我らがちっぽけに感じてね」


 友よと、振り返った彼を、扉の近くにいた風竜族の長ロイドは射抜くような視線をぶつける。


「たしかに、オスのみの我らよりも人間の数のほうが多い。いくら、我らの数が増えたとはいえ、な。だが、わしが尋ねたのはそういうことではないぞ」


 見下されることを嫌う小ロイドは、フワリと宙に浮き上がる。

 鋭い眼光の小ロイドは、否応なしに威圧感を増す。少年のような小さな体のどこに隠していたのだろうか。


「一枚岩のヘイデン、我が友よ。何を考えておる。お前が人間たちに混ざって何をしているのか、知っている」


「それほど、だいそれたことは考えてませんよ。俺はただ……」


 ヘイデンは曖昧に笑って誤魔化そうとしたのかもしれない。何が彼の気を変えたのかはわからない。わからないが、普段から浮かべている穏やかな笑顔が剥がれ落ちた。


「俺はただ、いつだって兄との約束を守りたいだけですよ」


「人形遣いとは、親しくなかったと記憶しておるが?」


 顔が険しくなった小ロイドに対し、ヘイデンはまたいつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「ところで、友よ。教えてくれないか? 千年もたった今、竜王は――世界竜族は必要かな?」


「なっ」


 小ロイドは言葉を失った。


「ヘイデン、貴様……」


「俺は、その答えが知りたい。それから兄の約束。それだけですよ」


 そろそろ時間だからと小部屋を出て行く地竜の長を、小ロイドは止めることができなかった。

 明るい日の差す小部屋で、小ロイドは力なくうなだれた。


「そんなもの、知ってどうするというのだ」


 小さな体には見合わないほどの歳月を生きてきた小ロイドは、平穏を望んでいただけかもしれない。


「フン。年寄りには、ちときつすぎるわい」


 今からでも覚悟しておいたほうがいいだろう。生来備わっている風竜族の直感と、これまで生きてきた歳月が鳴らした警鐘を、小ロイドは鼻で笑った。


「やはり、持つべきものは友、だな」


 間もなく、式典が始まる。


 昼刻の鐘が鳴り響く。

 竜の森の長たちと妻が2人、リュックベンのワイズマン市長。それから、都市連盟の代表者たちが5人ほど、この日のために作られた舞台の上に姿を表した。

 南の海上には雲が広がり始めているけども、恵まれた天気で無事に式典を始めることができた。


「何かあったのか?」


 ワイズマン市長が、珍しくどもりながら口上を述べている間に、ヘイデンは隣に立つ小ロイドに小声で尋ねた。

 どうも、小ロイドの向こうに並ぶディランと妻のナターシャの雰囲気が式典にふさわしいものではないと感じたらしい。


「ディランか? ああ、クレメントの後継者の花嫁が押しかけてたらしいが、どうも人間びいきの息子が絡んでいるようでな……」


「それはぜひ、後ほど詳しく知りたいものだ」


 ちょうど市長の挨拶がすんだところだったらしく、拍手が巻き起こった。

 この日、広場のすみずみまで舞台の上の声が聞えるようにと、小ロイドが連れてきた風竜が力を貸していたことに、気がついた人間がどれだけいただろうか。


 鳴り響く拍手が止む前に、それは起きた。


「出ていけぇ!」


「人間の暮らしに手出しすんじゃねぇよ!」


「竜族は出ていけぇ!」


 拍手はピタリと止んだ。

 広場の人間たちが彼らの声をおさえなかったのは、心の何処かではまだ竜族を受け入れられていなかった証拠かもしれない。


 青ざめる市長たちを尻目に、ヘイデンの隣に立っていた妻のユリアがそっとその場を離れる。


「友よ。少し力を貸してくれないか?」


 宙に浮かぶ小ロイドがピクリと片眉を跳ね上げると、広場の声が止んだ。いや、響かなくなっただけだ。

 クレメント、ディランとナターシャは、ワイズマン市長をはじめとした人間たちを舞台の後方に下げる。

 彼らは静観することをはじめから決めていた。


 今日の式典に四竜族の長たちが出席するべきだと提案したのは、他ならぬヘイデンだ。

 多くの人が集まるということは、真理派のような輩も当然集まってくる。混乱をまねくだけだとわかっていながら、ヘイデンは式典を開くべきだと主張した。

 人間たちを前にした会議でなければ、当然通るはずのない主張。

 思い起こせば、ワイズマン市長がもともと契約を交わしていた水竜以外の竜族を求めただけの提案を、四竜族の技術提供とすり替えたのは、他ならぬヘイデンだ。何か考えがあってもなくても、この場をおさめるのは、一枚岩のヘイデンであるべきだろう。


 声が広場に届かなくなったからといって、解決はしていない。今度は、つぶてが舞台に投げつけられている。それとなく、小ロイドと数名の風竜の力で舞台の端に落としているから、実害なんてほとんどない。

 だからといって安心はできない。すぐにでも同じ人間を傷つけてでも舞台に押し寄せに凶行におよぶだろう。


 ヘイデンが一歩前に進み出る。


「反対の声をあげる者たちに、まず彼女を見てもらおうか」


 彼が手を差し伸べるように示した先には、小柄なユリアよりもなお小さな体の花嫁が彼女にすがるように舞台に上がっていた。


 つぶてが半分以下に減った。


 プリシラの姿を見て、投げ続けられるとしたら、それはもう人ではない。そう、ユリアとともに舞台に上がった花嫁はプリシラだった。


「わたしを見て」


 それが、舞台の上でプリシラが発した最初の言葉だった。


「わたしを見て。今もつぶてを投げ続けるあなた達がしたことを、その目で見て」


 風竜の力をもってしても、広場に響く声はかすれて弱々しい。

 ユリアに支えられながら、舞台の上から見下ろす彼女の顔から思わず目を背けた者も大勢いただろう。それでも、彼女は続けた。


「わたしは、夫のベンと幸せになりたかっただけなの」


 その幸せを奪ったのは他でもない身近にいた人間だと、彼女は続ける。


 もう、礫を投げつけるものはいない。自らやめた者もいれば、周囲の人間にあらっぽく止められた者もいただろう。


「元の顔がわからないくらい殴られて、バケモノと嘲笑されながら犯された痛み。死んでも、きっと忘れられない」


 彼女のことを思って、涙したのは女だけではないはずだ。


 けれども、舞台の上のプリシラは涙一つこぼさずに、小さな体をユリアに支えられながら毅然として広場を見下ろしている。


「わたしも人間よ。花嫁として生まれたけども、人間よ。妬む声なんて聞き飽きるほど聞いたわ。何を言っても、同じ人間として受け入れられなくて、辛い思いもした。幸せになれるって信じていたから、それが、それがっ……わたしを見て! 一度は正気を失うほど辱められたわたしを見て!」


 これ以上、彼女の言葉は必要なかった。


 感情が高ぶった彼女の背中を撫でながら、ユリアはそっと夫に目で伝えた。これ以上は無理だと。


 ヘイデンは小さく頷いた。充分だ。充分すぎるほど、流れを変えることができた。

 いつまで続くかわからないが、この街で竜族を排するような声を上げるものはいないだろう。


 ユリアとともにプリシラがいなくなった舞台の上で、式典が再開されるには、今しばらく時間がかかりそうだ。




 ――


 昼過ぎから空に広がった鉛色の雲から振り始めた雨は、夕方になるといよいよ強く窓をたたき始めた。


 モール商会の果樹園の家は、灰色の雨のカーテンのせいで、世界から切り離されているように感じられた。


「じきに船頭の息子とライラ姫も、到着します。今夜はゆっくり過ごして、明日にでも計画通り西の王国に向かって旅立ってください」


 暖炉の近くの椅子に座る人形遣いのベンはそう話を締めくくった。まだ、疲れが色濃く残っている。

 そんなベンを壁に背中を預けたアンバーは、意外なことにただただ睨んでいるだけだ。

 何も知らされていなかった彼は、ここで意識を失っているターニャとヴァンを見つけて混乱しているところに、いないはずの伯父がわたしとローワンを連れてきたのだから、もっと食って下がると思っていた。


「姫さまも、みんなも、お腹が空いたでしょう。何か食べるものも用意してきますよ」


 疲れた顔で、ベンは居間を出ていった。

 普段ならヴァンが手を出させなかっただろうけど、まだ頭がぼうっとするらしく、ターニャと一緒にソファーでぐったりと座っている。


「あ、わたし、手伝ってくる」


 妻だと言ったプリシラのことを知るなら今だろう。

 けれども――。


「あぁ……」


 薄暗い台所の壁に背中を預けて、ベンは肩を震わせて泣いていた。口元を手で押さえているが、嗚咽を抑えきれずに漏れてしまっている。


「プリシラ、やっと、やっと憩うことが……ああっ」


 わたしは、静かに居間に引き返した。

 だいたいのことは想像がつく。プリシラは真理派に傷つけられ犯されたのだろう。想像できないし、したくもない。

 それぞれの沈黙を抱えた居間で、わたしは肘に跡が残りそうなほど自分を抱きしめた。


 馬で駆けつけたアーウィンとライラから式典のことを、知った。無理をしたことで容態が悪化したプリシラがちょうどこの時、楽園に召されたことを知るのは、もうしばらく後のことだ。


 人形遣いのベンの妻プリシラが、苦痛に満ちた人生を明るい日のさす舞台に立つことで、あの日世界に投じられた一石の小さな波紋はより大きな波となる。


 けれども、世界を揺り動かすにはまだ足りないものがあった。


 真理派。

 この時、確かに予感はあった。いつか、真理派と対峙する日が来る予感が。


 漠然とした予感を抱えたまま、長い長いわたしの一日は終わろうとしていた。

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