港町遁走曲 〜後奏〜

 ベンの土人形に抱えられたわたしは、路地の向こうにあった幌馬車の荷台に乗せられた。ベンとローワンも転がりこむように乗った途端、馬車は動き出した。


「で、どういうことか、全部話してくれよ」


 わたしの隣にへたりこんだローワンは、幌の隙間から外をうかがっていたベンを敵意むき出しで睨んでいる。


「正直、二度手間になるから、着いてからがいいんですけどね」


 しかたがないとローワンに肩をすくめてベンは、荷台に用意してあった光石ランプの明かりをつける。にわかに明るくなった荷台で、彼は積み荷の中から何かを取り出した。


「二人とも、疲れたでしょう。目的地に着くまで、しばらく時間がかかる。こちらを食べながら、話しましょうか。僕もお腹が空いていてね」


「これ……」


 水の入った小ぶりな瓶に、ガードナーベーカリーの店先にも並べていたロックビスケット。


「美味しいですよね、このビスケット」


 わたしたちとは反対側に片膝を立てて座ったベンは、ビスケットを口にくわえる。彼もまた疲労の色が濃いことに気がついたわたしに、困ったように目尻を下げた。


「昨夜は、ちょっと想定外なことがありましてね。寝てないんですよ。……っと、危ない」


 一瞬、閃いた赤い炎の刃をベンは危なげなく土塊の盾で砕く。その盾も、ただの土となってベンの足元に崩れ落ちる。


「全部話してから寝ろ。あんたは――人形遣いのベンは、四十年も前に失踪したはずだろ」


「あ……」


 ようやくローワンの敵意の正体がわかった気がする。信じられないのだろう。四十年前に姿を消したまま生死もわからないはずの地竜が、目の前にいる。それも、今まで完全に人間になりすましていたのだから。

 肩をすくめたベンは、くわえていたビスケットを外す。


「やれやれ。ローワン、全部というが具体的に何が知りたいんだい?」


「ちっ、これだから、地竜は嫌いなんだよ。だいたい……」


「ローワン、落ち着いて。……とりあえず、どうやって人間になりすましていたの?」


 ローワンをなだめながら、わたしが一番不思議に思う疑問を、ベンにぶつけてみた。

 わかりましたと、右の耳たぶをつまみながらベンは話し始める。


「どうやってかは、教えるわけにはいきません。我ら地竜族の中でも、『土竜もぐら』の存在は、真偽すら怪しいのですから」


「土竜?」


「ええ、姫さま。正確な時代は伝わってませんが、人間の営みに興味を持った地竜が、ときの竜王に人間になりすます方法を教わったとかなんとか。……なにせ、混乱の時代に一度途絶えてしまった秘術なので、曖昧なことも多いんですよ」


 混乱の時代に途絶えた秘術。――千年以上も前に、地竜族は人間になりすますことができたということらしい。


「通常の変化へんげとは違って、完全に人間になりすます。だから、簡単な秘術も使えないし、見え方も変わってしまう。かと言って、老けることもないおかげで、長期間一定の場所にとどまることもできない。途絶えてしまっても、しかたない秘術ではありますね」


「途絶えた秘術を、なんであんたは使っているんだ」


「花嫁を――プリシラを探すために。それがきっかけですよ」


 右の耳たぶから手を離したベンの茶色の瞳に、不穏な気配が宿る。プリシラを知らないローワンですら一瞬体をこわばらせるほどの不穏な空気に、押しつぶされるかと思った。


「その話は、よしましょうか。聞く方も、胸くそ悪くなるでしょうしね。……話を戻しますよ。五十年ほど前、書庫の書物に隠された秘術を見つけたのは、弟のヘイデンでした」


「む?……あ、もしかして……」


 もっと早く気がついてもよさそうなものだけど、ようやくキールが話していた一枚岩のヘイデンの兄が、目の前にいるのだと知った。朝から、立て続けにたくさんのことがあったとは、言い訳でしかないだろう。


「僕が知る限り、土竜は僕と弟とあとは片手で足りるほどしかいません。その中でも、僕ほど人間に馴染んでいる者はいないでしょうねぇ。ちなみに、モール商会は、弟が作ったものです」


「じゃあ、あのハイド・リドルって……」


「弟です」


 おそらくローワンはよくわかってないだろうけど、いちいち追求するのをやめたようだ。疲れのせいだけではないだろうが、おとなしく馬車の揺れに身を任せている。


「八年前、弟に頼まれて、僕らはこの街に来ました」


「わたしの家族を守るために?」


「それもあります。けど、姫さまには申し訳ありませんが、監視するためと言ったほうがいいでしょう」


「むぅ」


 監視とは、穏やかでない言葉だ。

 申し訳無さそうな顔でベンは続ける。


「世界竜族の花嫁となれば、真理派はもちろんですが、利用したがる者たちはいくらでもいます。ワイズマン市長も、その一人ですよ。姫さまたちをこの街に留めさせることを口実に、我ら竜族に技術提供をさせた。もちろん、これはいい例でしょうが、そうとばかりは限りません。それでなくても、血のつながった親兄弟が竜の花嫁を利用することはよくあるのですよ」


「わたしは、とても恵まれていたのね」


 竜の森にいた頃から、よく聞いていた話だ。竜の花嫁というだけで、実の親ですら態度が変わると。

 わたしは、家族にとても恵まれていたのだ。


「ご家族に関しては、口も硬かったですし大した問題もなかったのですが……。僕がこの街に来た時には、もう姫さまの存在を真理派は知っていたのです」


「なんだって?」


 ローワンの声に咎めるような響きがこめられていたのは、竜の森で共有されていた情報ではないからだろうか。


「姫さま、覚えていますか。エルマーという徒弟を雇っていたでしょう?」


「そんな、エルマーが?」


「ええ。いつ、どうやって知ったのかはわかりませんが、彼は金欲しさに真理派に接触してしまった。まぁ、逆に僕らも彼を利用して真理派の動向を探ったりしていたのですがね」


 エルマーのことは少ししか覚えていないけども、信じたくない。生意気だったりしたけど、自分の店を持つという夢をかなえようとしていたではないか。


「けど、姫さまたちが旅立った後、しばらくして消息がわからなくなったでしょう。そのことで、彼はそうとう追いつめられたようですね。真理派に売る情報らしい情報もない。真理派だけではなく、波止場の質の悪い連中ともつきあい始めましたから、僕らが拘束しました」


「へぇ。それで、そのエルマーってやつをどうしたんだ?」


 ローワンはエルマーを知らないから、そんな風に冷たく言えるのだろう。


「今は海の底に沈んでますよ」


「おい、それって……」


 さすがのローワンも予期せぬ答えだったのだろうが、ベンは右の耳たぶをつまみながら、こともなげに続ける。


「僕らの事務所の地下には、監獄もありましてね。姫さまには、到底おきかせできないようなことをして、聞き出せるだけの情報を聞き出した後で、ですけど」


「……」


 ベンを非難する言葉が、喉の奥に詰まってしまった。なぜ、ベンを非難できるのだろう。ローワンも、さっきまで真理派の人間たちに容赦しなかったではないか。エルマーを少し知っているから酷いと思うのは、おそらく間違っている。


「まぁ、そういうわけで、僕はこの街にいたわけですよ」


 あくびを噛み殺したベンは、ローワンよりも疲れていたのかもしれない。


「昨夜の想定外のことですけど、ターニャとヴァンが我が商会を探りに来ましてね」


「むぅ?」


「は?」


 あくびをしながら話すことではないと思う。


「さすがに、焦りましたよ。今日の計画に支障をきたしますからね。真理派の連中には、姫さまを襲って貰う必要がありましたから」


「は?」


「むぅ?」


 目をこすって話すことではないと思う。


「この土竜の秘術は、世界竜族に教えを請うたものです。この千年、姿を消した姫さまの花婿が、人間になりすましていることは充分に考えられます。つまり、姫さまが花嫁だとわからないのですよ」


 だから、真理派に襲わせることで、これまで一部の人間たちに噂されていた『世界竜族の花嫁』の存在を、より強く印象づけたかったというのだ。


「……そうすれば、向こうも興味を持たずにはいられないでしょうからね」


「むぅ。だったら、わたしが堂々と名乗ればいいと思うんだけど」


「駄目です。先ほども言いましたが、姫さまを利用したい人間たちまでも引き寄せてしまう」


「だから、あくまで噂ですませたいってか」


「そうです。ローワン」


 また一つあくびを噛み殺して、ベンは続ける。もしかしたら、馬車の揺れが余計に眠りに誘っているのかもしれない。それでも、わたしとローワンはどうしても、寝てもいいとは言えなかった。最後まで話してもらいたい。


「なのに、昨夜、ターニャとヴァンが事務所に忍びこもうとするから、薬で眠ってもらうしかなかったんです」


「はぁ? 薬って、なんだよ、それ。あ? ターニャとヴァンは確か……あっ」


 気色ばんだローワンも気がついたようだ。ヘイデンの指示で、ターニャとヴァンは今朝から動いていると。では、アンバーはどうしているのだろう。


「北に我々モール商会が所有する果樹園がありましてね。そこでぐっすり休んでもらっています。弟に頼んで計画外ですが、アンバーには長い寄り道の後に、その果樹園に行くように指示してもらいました。そろそろ、着いている頃でしょうね」


 わたしは怒るべきだっただろうか。何も知らせてもらえず、ヘイデンとベンの手の上で踊らされていたのだから、怒るべきだったのだろう。


 けれども――


「申し訳ありませんが、しばらく寝ます。姫さまたちも、休んでください。果樹園でまた話すことになるのですから」


 そう言って片膝を抱えて寝息を立てられてしまうと、怒ることなどできなかった。


「ローワン、わたしたちも休みましょう」


「そう、だな」


 ユリウスの言ったとおり、長い一日になってしまった。少しくらい、休むべきだろう。


 それにしても、プリシラがベンの花嫁ならあの体は――。やはり、わたしは彼女とベンのことを知るべきではないだろうか。

 ウトウトと船を漕ぎながら、プリシラのことを考えていた。

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