港町遁走曲

 ローワンはなるべく人気のない路地を選んでくれたけれども、市庁舎前の広場に近づくにつれて人が多くなってきた。

 返してくれた帽子を目深に被り、通りに出る心構えをしなくてはならない。


 こういう人が集まる日は、よからぬ輩が混ざっていてもおかしくないと、あらかじめ嫌というほど言い聞かせられている。


「そういえば、ローワンってやっぱり長になるんだね」


「あん?」


 キョトンと目を丸くした彼に、わたしはキールがローワンをクレメントの後継者と呼んでいたと話した。もしかしたら、内々の話かもしれない。だとしたらという考えは、ローワンの笑い声に吹き飛ばされてしまった。


「カカカッ。クレメントさまの後継者、ねぇ。それなら、長ってわけじゃないぜ」


「え? でも……」


「そのうちわかるから、その時にな。カカカッ」


 わけがわからない。

 首を傾げながら坂を下る。


 目抜き通りに一度出てから、広場を回りこんで市庁舎に行くのだろうか。


「あー、俺の花嫁、ちゃんとわかってくれるかなぁ」


「ローワンが逃げなかったら、もっとスムーズに話せたのにね」


「言うなよ、フィオちゃん。俺だって……」


 花嫁のことになると、ローワンは急にそわそわしだす。


「あ、あのさ、女の子ってどうやって話したらいいんだ?」


「むっ?」


 何を言い出すかと思ったら、わけのわからないことを言う。


「いや、これ以上、嫌われたくねぇんだよ。ほら、俺、息子、たくさん欲しいって言ったじゃねぇか」


 わたしの心にピキってヒビが入るのがわかった。


「ごめん、ローワン。わたし、女の子だよ。わたしとは、普通に話せているよね?」


「いや、フィオちゃんは特別だろ」


「ローワン」


「えっと、フィオちゃん、もしかして怒ってる?」


 マーガレットとかいっただろうか。彼の花嫁に同情したくなる。


「怒ってるっていうか、呆れてる。……そうね。そのに何かプレゼントとか……」


「そうか、プレゼントかぁ……で、何をプレゼントしたらいい?」


 外套のフードを目深に被ったローワンの頭の中は、花嫁のことで頭がいっぱいなのだろう。


「とりあえず、花、とか? 今日はそういう店はほとんど閉まってるし、道端の花でも……」


「了解! どっか、咲いてないかなぁ」


 なんだか、ローワンがうらやましい。これで旅を続けられるのかと不安になるくらい、彼は花嫁のことで頭がいっぱいだ。

 くらべて、わたしは花婿の姿すら思い描けない。まだ会っていないとか、言い訳と思う。花婿の父であるユリウスと幼い花婿を知っているのだから。


「あ、だから、なのかなぁ」


「ん? フィオちゃん、何か言った?」


「ううん。なんでもない」


 ユリウスみたいな奴は、花婿として受け入れられないから、思い描けないでいるのかもしれない。


 足元を気にするローワンと、とりとめないことを考えていたわたしは、人で溢れかえっている目抜き通りに出る。


「フィオぉおおお!」


「お姉ちゃん?」


 耳を疑い、目を疑った。

 お姉ちゃんが勢いよく駆け寄ってくるのだから。お姉ちゃんがわたしたちを見つけたのは、まったくの偶然だったけども、よく出来過ぎた偶然に驚かずにはいられなかった。


「よかったぁ。フィオが無事でぇ」


 さすがに息を整えることを優先してくれたから、抱きつかれることはなかった。身構えていただけに、複雑な気分になる。


 息を整えたお姉ちゃんは、ヘイデンさまからターニャとヴァンのことを伝えるようにと、一度家に帰っていたらしい。ちょうど行き違いになったわけだ。


「そしたら、店にフィオに会わせろって怪しい二人組が……」


「リーナさん、悪いけど、こっち来てくれる? フィオちゃんも」


 ローワンがお姉ちゃんの話をさえぎり、わたしたちを路地に誘導する。心なしか、声がこわばっていたような気がする。


「リーナさん、その怪しい二人組は追い返したんだよな?」


「もちろんよ。当たり前じゃない。あんな見るからに怪しい奴ら……」


「悪いっ、二人とも走るぞ」


「え?」


「む?」


 お姉ちゃんとわたしの手を掴んだローワンが、路地の奥に向かって走り出す。

 ほんの一瞬、視界に入った背後には数人の荒くれ者たちがいた。


「そんなっ」


 真理派だ。真理派の象徴シンボルの入れ墨が顔に施された男のギラつく目が、わたしをとらえていた。


 お姉ちゃんとわたしが、状況を理解したと確信したローワンは手を離した。

 走り続けなくては。振り返る余裕などないけど、多くの男たちが追ってきているのがわかる。


「よりにもよって、こんな日にっ」


 いらだしく吐き捨てたローワンは、お姉ちゃんを見る。


「リーナさん。悪いんだけど……」


「わかってる。次の橋で、あたしが飛び込めばいいんでしょ」


「お姉ちゃんっ?」


 頷きあうお姉ちゃんとローワン。


「お姉ちゃんっ……」


「フィオ、あたしなら大丈夫だから。風邪くらい引いちゃうかもだけど、大丈夫だから。ローワン、フィオに何かあったら承知しないんだからね」


「ヒューッ。リュックベンの女って、ほんと強いよなぁ。わぁってる。フィオちゃんに指一本触れさせねぇよ」


 ローワンがわたしの手を掴んで引き寄せたかと思うと、彼に抱えられていた。それも、何かの荷物のように脇に抱えられていた。

 運河の上にかかる小さな石橋にさしかかる。


「リーナさんっ」


「わかってる」


「お姉ちゃんっ」


 手すりも何もない橋の上で、お姉ちゃんが笑いかけてくれた気がする。

 水音。


「悪いな。フィオちゃんは、何があっても守んなきゃならないんだ」


「そんな……」


 ローワンに抱えられたまま、後ろを見れば真理派の数が増えている。二十人はいる。


「もっと人の多いところに……」


「駄目だ。関係のない人間を巻き込んだら、式典が台無しになるだろ」


 それが、奴らの狙いだろうか。

 わたしが思っていたよりも、ローワンは考えている。


 何度も路地を折れて、やがて小さな広場に出る。行き止まりでもあった。


「フィオちゃん、ここから動くなよ」


 広場の中央でわたしをおろしたローワンが、真理派と向かい合う。

 市庁舎の方から、昼刻の鐘の音が聞こえてきた。


「あんたら、飛び道具持ってないってことは、フィオちゃんは生け捕りってことかい?」


 返事は、わたしたちを取り囲む音と、それぞれの得物を構える音だった。三十人ほどに増えた真理派の多くは、すでに息が乱れている。

 たいしてローワンの息は乱れておらず、どこか脱力して立っているようにみえる。


 昼刻の鐘の音の余韻が、消えた。


 ローワンが脱いだ外套を正面に投げつける。


 わたしは、確かに見ていた。聞いていた。

 けれども、血の通った人間が倒れていく光景を受け止められなかった。


 ローワンの手には、炎でできた大剣が握られている。容赦なく振るわれるたびに、人間が倒れていく。


 キールが彼をクレメントの後継者と呼んだ意味が、ようやく理解できた。

 灰仮面のクレメントの、仮面をかぶる前の二つ名は火剣かけんのクレメント。


「フィオちゃん、気をしっかり」


「あ……」


 いつの間にか、わたしの側に戻ってきたローワンの息が上がっている。まだ真理派の荒くれ者たちは半数以上残っているではないか。


 いくら狙われているとはいえ、初めて人間が殺される光景を目の当たりにして、気をたしかにもっていられなかった。


「やっぱ、数が多すぎる。悪いけど……」


 火剣を構えながら、ローワンが何か言いかけた時だった。


 騒々しい音とともに、あたりが急に暗くなった。

 鳥だ。

 見たこともないほどの鳥の大群が広場の上空を飛び回っている。


 一瞬あっけにとられたのは、わたしだけではない。ローワンも真理派も、思わず空に気を取られてしまう。

 その一瞬の間に、新しい血が流れる。

 真理派の背後から冷たい刃を閃かせてきたのは、金色の三つ編みの髪を踊らせている青年だ。


「真理派の皆さま、我が帝国のはがねの切れ味、ご堪能いただこうか」


 思いがけない乱入者は、もう一人いた。


「馬鹿が。黙って、さっさと片付けろ」


 大きな眼帯をした灰色の男は、その体こそが武器だった。彼の体が踊ると人間が倒れる。

 一瞬、眼帯で隠れていない方の目があった。険しい光を宿す濃い灰色の瞳は、わたしに何かを訴えていたようだけど確かめることはできなかった。


「フィオちゃん、行くぞ」


「むっ?」


 ローワンが再びわたしを抱えて走り出したからだ。両手で握られていた炎の剣はどこにもない。うめき声を上げる真理派を飛び越える。着地の衝撃はなく、翼が羽ばたく音がする。


「これ、あんまもたねぇんだ」


 彼の背中に生えた赤い翼に目を丸くすると、つらそうに笑いかけてくれた。


 民家の屋根ほどの高さで、飛び越えるわたしたちを数少なくなった真理派と、謎の乱入者たちが驚きの顔で見上げていたのがわかる。


 広場の上空を覆っていた鳥たちも、ローワンの行動に驚いたのか散り散りになって飛び去っていく。


 広場から少し離れた路地に着地したローワンは、すぐに動けないほど疲れ切っていた。


「早く逃げろって。あっちに進めば、神殿まですぐだから」


「ローワンっ」


 腕を掴んで立ち上がらせようとするけど、すぐに振り払われてしまう。


「行けって。すぐに奴らが来るから。フィオちゃんが無事なら、それで勝ちなんだからよ」


「でも、ローワ……っ」


 足音が聞こえてきた。もう追いかけてきたのだろう。

 もう、逃げようがない。

 震える手で、コートのポケットに隠していたナイフを握りしめる。

 覚悟を決めなくては。ギュッと目を閉じるけど、怖くて開くことができない。

 なんて情けないのだろう。

 背後に誰かが立つ気配がしても、覚悟はまだ決まらない。

 なんて情けないのだろう。


「見つけるのに苦労しましたよ。ローワン、火剣の二つ名はまだまだ早いようですね」


「ベン、さん?」


 ローワンの戸惑う声には、敵意は感じられなかった。

 恐る恐る目を開けて振り返ると、右の耳たぶをつまみながら微笑んでいるベンがいた。


「ええ、モール商会リュックベン支部の支部長ベンジャミン・ヒルズです。お困りの方は、ぜひ一度我が商会を訪れてはいかがでしょうか。きっとお役に立てるでしょう」


 おどけながら一礼すると彼の灰褐色の髪が茶色に変わった。


「……っ」


 顔を上げたベンは別人だった。

 かろうじてベンの面影を目元に残しつつも、地竜族特有の彫りの深い顔立ち。榛色だった瞳も茶色だ。


「詳しい話は後にして、この人形遣いのベンが姫さまを安全な場所にお連れいたしましょう」


 ベンが指を鳴らすと彼の背後に砂塵が舞い上がり、その中から大男の形をしたの土塊が現れた。

 何がどうなっているのか。混乱しているわたしは、その動く土塊の両腕に抱えられる。


「ローワン、あなたはもう動けるでしょう」


 壁に手をやりながら立ち上がったローワンは、険しい顔でうなずく。


「よろしい。すぐそこに、馬車を待たせてますからね」


 行きますよと、彼が身を翻すとわたしを抱えている土塊も従う。


 足早に路地を行くベンに、ローワンは完全に気を許したわけではなかったのだろう。ベンの背中を睨むローワンの目の中に、抑えきれない敵意が確かにあった。

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