幕間

こんなイムリ茶を

 いらないと言っているのに、星辰の湖を訪れるたびにイムリ茶を飲まされている。必ず、だ。


 抗議の意味も込めて半分ほど飲み残して白いティーカップを置く。

 目の前の水竜族の長に、伝わってくれればよいのだが。

 カチャリとカップとソーサーが立てた音に、書類から視線を上げたディランが困ったように笑う。


「お口にあいませんでしたか? 淹れなおしましょう。なかなか、大おじいさまのようにはいかないものです」


「いらん!」


 いらんとあらかじめ言っているのに、こうして出してきているのだから、伝わると思った俺が馬鹿だった。


 まぁまぁ遠慮せずにと、ディランは席を立って部屋の隅で新しいイムリ茶を用意し始める。

 嫌がらせではないだろうかと、以前フィオに愚痴をこぼしたりもしたが、まともに取り合ってはくれなかった。


 腹立たしいやら、なんなのか、もうどうにでもなれと考えてしまうから、水竜族は厄介だ。

 コトリと白砂の砂時計をひっくり返したディランは、背を向けたままポツリと口を開く。


「しかし、急な話ですね。遺言状など……」


「急なものか。俺はこれでも千年以上生きている。老いを体中で感じるんだ」


 イムリ茶の優しい香りがあたりを満たしていく。

 つかの間の沈黙は、優しい香りを残酷なまでに引き立たせる。


「それにしても、急すぎますよ。ご長男のユリウスさまが、変化されるようになったばかりではないですか」


 砂時計の砂が落ちきった。


 そう、今の俺には三人の息子がいる。

 長男のユリウスはようやく変化が安定したばかり。次男のライオスはやんちゃ盛り。三男のヴォルフは癇癪持ち。

 できることなら、成竜するまで一緒にいてやりたかったが――


「……時間がないんだよ」


 トクトクとポットの中身がカップに注がれる音がする。

 小さく、それでいてはっきりと、気苦労の多い水竜族の長はため息をひとつついて、いらないと散々繰り返したイムリ茶を運んでくる。


「やはり、さいはての島に行ったのですね」


「……ああ」


 今度のイムリ茶には手をつけるまい。

 自分の分も淹れてきたディランは、目を伏せて淹れたてのイムリ茶をすする。彼のティーカップを持つ右手の薬指が欠けている。まだ、痛むのだろうか。ひとり息子を喪った痛みは、まだ――


 カチャリ


「……あの子は、元気にしていましたか?」


「俺の目には、そう映ったがな」


「そう、ですか」


 安堵の響きも含まれていた。ディランの伏せられた青い瞳にはとても複雑な胸中を映していたことだろう。



 とはいえ、さいはての島まで会いに行った奴にひどく嫌そうな顔をされたのも事実。


『ファビアンは、僕のこと嫌いだと思っていたよ』


 嫌いだと、はっきり言ってやった。

 フィオを二度も悲しませたのだから許さないとも、言ってやった。


『いいよ、それで。僕は許されないことをしたわけだし』


 そう言いながら口元に自虐的な笑みを浮かべるから、俺は嫌いなんだ。

 すべてを承知した上だったからと、すべての罪を背負ったような振る舞いをする奴が嫌いだ。

 何度も殴りたい衝動をこらえながら、俺は奴との用をすませることになった。

 奴にしか俺の死期を知ることができないのだから、わざわざさいはての島を訪れることになったのだ。


『ところで、ファビアン。もう会うこともないだろうから、一つ教えてくれないかな』


 別れ際に、奴はためらいがちに、それでいてはっきりとした声音で尋ねてきた。


『本当はさ、ずっと前から気がついていたんじゃないのかな。自分の父親がユリウスさまだってことに、さ』


 なぜそんなことを奴に教えなくてはならないのかと、俺は口中で悪態をつかずにはいられなかった。

 けれども、ふいに奴以外の住人の気配を感じ取って、俺は胸に溜めこんだわだかまりを吐き出してから答えた。

 初めから知っていたと答えた声は、自分のものとは思えないほど情けなく響いた。



 カチャリとディランがカップを置いた音に、俺は現実に引き戻される。


 なんとなく、と口を開いたディランは、フィオを悲しませた奴を旅の仲間に加えたことを悔いているのだろうか。


「なんとなく、あの子が元気でいてくれるなら、それでいいと思うのですよ。あの子なりの幸せを手に入れたのではないかと、この頃、ようやくそう思えるようになりました」


「そう、だろうな」


 ディランの言ったことは、間違ってはいない。

 だが、船頭の息子アーウィンが、奴なりの幸せを手にしたことで、不幸になった者もいる。

 フィオはまだいい。悲しませたことは許せないが、多くの幸せを手にしたはずだから。

 けれども、そうはいかなかった者たちの思いはどうなる。

 だから、俺は奴が嫌いなんだ。


 イムリ茶の香りで満たされた明け星の館に、自然と沈黙が訪れた。

 と、感じたのは俺だけだったようで、ディランは伏せていたまぶたを押し上げて、クスリと笑った。


「やはり、ファビアンさまのおかげだったのですね」


「は?」


 意味を測りかねた俺に、ディランは嬉しそうに笑う。そう、嬉しそうに。


「実は昨夜、珍しくあの子が水鏡を使ってくれたのですよ。父のダグラスと話がしたいと」


「……それは、よかったな」


「ええ。船頭のアーチボルドがひと月に一度、さいはての島に通って説得していたのに、頑なにダグラスと和解しようとしなかった。それなのにどういう心境の変化かと、不思議に思っていたのですよ」


 それは、確かに喜ばしいことではあるが、俺は関係……なくもない、か。


 もしかしたら、別れ際の俺の余計なひと言が、奴の頑なな心を動かしたなら、少しくらいは見直してやってもいいかもしれない。


 口元が緩んだのを隠そうと、白いティーカップに手を伸ばす。

 俺がいなくなっても、息子たちがやっていけるように、出来る限りのことはしている。

 ついでに一度くらい、フィオを満足させられるイムリ茶を淹れられるようになりたい。

 ちょうど飲みやすい温度になってもしっかり温めてくれる、こんなイムリ茶を。

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