モール商会

 彫りの深い顔立ちの青年は、わたしとターニャの視線に気がついたのか慌てて笑顔を作った。


「ああ、すまないね。知り合いから、ここのパン屋の噂をよく聞かされてね」


 愛想のいい作り笑いは、ベンの笑顔によく似ている。

 ターニャが警戒を強めたのを、肌で感じとる。それも、今すぐに手を出しそうな気配だ。

 さすがに、それはまずいだろう。


「あの噂って、どんな噂ですか? 失礼ですけど、お客さま、この町の人じゃないですよね?」


 棚に並んだパンやパイを、体を屈めて品定めするように眺めていた彼は、どこか嬉しそうに顔を上げた。


「もちろん、この街の人間じゃない。俺は、あちこち手広く商売を営んでいる者でね。いろいろな噂を耳にするのさ。価値のある噂もあれば、価値のない噂もある。ちなみに俺が聞いてる噂は、この町で一番美味しいパン屋だってことさ」


「そうか」


 ターニャの声音は冷たくそっけない。まるで研ぎ澄まされた刃物のような言葉にも、彼は笑顔を崩さなかった。


「とりあえず、そのテーブルロール5つと、マーマレードサンド2つ、それからロックビスケットを……そうだなぁ、10枚、包んでくれ」


「テーブルロール5つと、マーマレードサンド2つ、ロックビスケットを10枚だね」


 事務的な態度で、ターニャは商品を包んでいる。

 黒いコートの青年は、榛色の瞳を輝かせてカウンターに身を乗り出してきた。


「ちょうどいい。俺は君の質問に答えたんだ。俺も一つ質問させてもらおう」


 さすがに、わたしもターニャと同じくらい嫌そうな顔をしてしまった。けれども、彼は少しも気を悪くしていないようだ。


「隣のモール商会の連中、どう思ってる?」


 質問の意図がよくわからなくて、ターニャとどうすると目で尋ねている間に、彼は同業者の評判は価値のある情報だからとますます笑みを深めてきた。

 これほど図々しいと、諦めがつくというもの。質問に答えるまで居座り続けそうで、厄介だ。

 当たり障りのない程度に、答えよう。そう思った。


「支部長のベンさんは、ちょっと何考えてるのかわからないけど、いい人だと思いますよ」


「いい人、かぁ。具体的には?」


 顎をさすりながら、彼のタレ目がちな目が愉快そうに輝く。


「具体的にって……、体の不自由な人も働かせてあげたり……」


 プリシラのことは、話さなくてもいいだろうなどと考えながら、言葉を選んでいると、商品を包み終えたターニャが鼻を鳴らした。


「あたしは、気に入らないね」


「と、いうと?」


 青年がなめし革の小銭入れをコートのポケットから取り出すと、ジャラリと重そうな音がした。けれども、ターニャの返事を待っているのか、代金を取り出そうとしないで、笑っている。

 ターニャの機嫌はますます悪くなる。舌打ちまでする始末だ。


「モール商会そのものが、あたしは気に入らないんだよ。隣の連中はまだましかもしれないけど、何が街の便利屋だ。金さえあれば、なんでもする。……人殺しだってするって噂じゃないか。ほら、さっさとお代よこしな」


「そうか……」


 残念そうにつぶやきながら、青年は金貨を三枚をカウンターの上に置いた。もちろん、必要以上の代金だ。大きな包みになってしまったけど、それでも金貨一枚にもならない。


「むっ、困ります。こんなにもらうわけにはいきません」


 軽く目を見開いた彼は、初めて作り笑い以外の表情らしい表情を見せた。驚きや困惑を混ぜ合わせたような表情だ。


「なぜだい? これはお代と、価値のある話をしてくれたことに対する礼と、そちらのお嬢さんを不快にさせたお詫びさ」


「なおさら、いりません。不快のお詫びとか、余計に不愉快です。人の気持ちをお金でなかったことにするなんて、できません」


「なるほど」


 わたしもリュックベンの女だ。こうと決めたら、そう簡単には譲らない頑固者。

 この失礼な客がなんと言おうと、商品のお代以上は銅貨一枚だって受け取らない。

 これ以上居座るなら、ターニャに叩き出してもらおう。

 女戦士としての力量を、わたしはまだ知らない。でも、ナターシャが護衛として選んでくれた仲間だ。こんな背が高いだけの商人なんて、喜んで叩き出してくれるだろう。


 青年は、少し考えて金貨をターニャの方に滑らせた。その手に黒い革の手袋がはめられたままだということに、今さら気がついたけど、どうでもいい。


「そちらの帝国のお嬢さんも同じ考えかな?」


「もちろんだ」


 そうかと、彼は非常に残念そうに金貨をなめし革の袋に戻す。


「そこまでいうなら、しかたない。……そうそう、帝国のお嬢さん、一つだけいいかな」


 今度は、きっちりお買上げ分の金額をカウンターに置いてくれた。

 もはや敵意を隠そうともしないターニャに、まだひとこと言いたいとは、いったいどういう神経をしているのだろうか。


「確かに、俺のモール商会は場合によっては人殺しも請け負う。だが、それはお金のためではない。街のためにやっている。ようは害虫駆除と同じさ」


「……っ」


 ターニャが息を飲むのと同時に、青年は包みを掴んで後ろに飛び退いた。笑顔のまま軽やかに。まるで、踊るように。


「おっと、さすがにはないだろう」


「あんた、何者だい! 商人ぶってんじゃないよ」


 ターニャの手には、鞘から抜かれた短剣があった。横目で、わたしに工房に逃げるようにうながしている。その有無言わせない険しい表情に従わなくてはとわかっているのに、体が動いてくれない。ただならぬ空気に、足がすくんでしまって動かないのだ。

 カウンターがなかったら、無傷ではすまなかっただろうに、青年は軽く肩をすくめる余裕がある。

 ターニャの言うとおり、商人なわけがない。


「なにがそんなに気に障ったのかわからないけど、俺は商人だ。モール商会会長ハイド・リドル」


「あんたが、会長だって? はんっ、ありえないね。会長さまが、こんなところに一人でパン買いに来るわけがあるかい」


「だから、価値のある情報が欲しかったのさ。リュックベン支部の忌憚のない意見、俺が会長だって知ってたら教えてくれなかったろう?」


 黒いコートの青年――モール商会の会長と名乗った男――の言うことも、もっともかもしれない。

 それに、あのあからさまに作っているとわかる笑顔は、ベンのそれとよく似ているではないか。


 一触即発とはまさにこのことで、針を落とす音だって聞こえてきそうなほど張り詰めた沈黙。破ったのは、ハイドだった。


「さっきも言ったけど、手広く商売していると、厄介な輩に絡まれることもよくあってね。帝国のお嬢さんは、まだいい。問答無用で殴りかかってくる奴らもいるから」


 ターニャの敵意もよくあることだと、ハイドはわたしに笑いかける。なぜわたしにという疑問に、毒気をぬかれた気分になった。

 彼は嘘をついていないのかもしれない。そんな気がしてきた。そういえば、プリシラが近いうちに会長が来るようなことを言っていたのを思い出した。

 ますます、毒気が抜けた。


「おーい。ミートパイが焼きあがったぞ。フィオ、取りに来てくれ」


 工房からお父さんの声が聞こえてきた。今まで気がつかなかったけども、ミートパイのよだれが口の中に広がる匂いが売り場まで漂っていた。


「おーい、フィオぉ」


「今行く」


 ターニャとハイドのにらみ合いも放っておけないけど、焼き上がったミートパイを売り場に並べるのも大事な仕事だ。

 多分、大丈夫だ。

 きっと、ターニャが初めから彼に敵意をむき出しにしていたから、彼も敵意を煽るような態度をとったのかもしれない。


 早く戻ってこようと工房に行くと、待ち構えていたのかヴァンに手首を掴まれた。

 驚いてヴァンの顔を見ると、ターニャと同じくらい険しい表情でささやいてきた。


「行くよ、フィオ。親方、後のことは……」


「まかせとけ」


 お父さんの声も硬い。

 見れば、ミートパイはまだ窯の中にあるようだ。さっきのは、わたしを売り場から離れさせるための口実だと知る。


 有無言わせずに、ヴァンはわたしを中庭に連れ出す。

 あいかわらず、細かい雨が降っている。


「ヴァン、どういうこと? さっきのは、ターニャの態度にだって問題あったはずよ」


「そうかもしれない。でも、フィオをどんな些細な危険にだって晒すわけにはいかないんだ」


 手を離したヴァンもまた、わたしの身の安全を最優先しているのだ。


 わたしはパン屋の娘である前に、みんなにとって世界竜の花嫁だと思い知らされた。

 わたしは、わたしだというのに。

 悔しい。

 強くなりたい。

 顔を伝う雨が、しょっぱい。

 ヴァンが風邪をひくからと母屋に連れて行こうとするけど、わたしはまだ雨に濡れていたい。




 ――


 彼女が浅い眠りから目を覚ますと、久しく見ていなかった人がいた。


「あら、来てくれてたの。そろそろ来るって聞いていたけど、ずいぶん、早かったのね」


「他の仕事が早く片付いたからね。久しぶり、プリシラ」


 プリシラのベッドのかたわらで、ロックビスケットを口にくわえながら本を読んでいたのは、ハイドだった。

 わたしが売り場から連れ出された後、彼はそれ以上ターニャの感情を煽ることもなく去っていったらしい。


 ビスケットを皿に置き本を閉じたハイドは、プリシラの背中の下に手を差し入れてそっと上体の位置をなおす。

 以前よりも軽くなったはずのプリシラの体が、やけに重く感じる。力が入らないのだろう。

 顔を曇らせた彼に、プリシラは醜い顔でぎこちなく笑った。見る人が見れば、優しい笑みだと気がつくことだろう。それも数えるほどの人しかいないだろうけども。


「フィオちゃん、いい子ね。とっても可愛らしいし。わたしに三回も会いに来てくれたのよ」


「竜の森で、守られ育てられただけのことはあるだろうさ」


 苦い笑みとともにこぼれたハイドの言葉を、プリシラはそうじゃないと否定する。


「世界竜の花嫁だからってわけでもないはずよ。フィオちゃんだからよ」


「ずいぶん、仲良くなったんだな」


「ええ、とっても。無理して会いに行ってよかったわ」


 言葉にならないかすれた吐息は、笑い声だったのだろう。


「だからね、あなたにお願いがあるの」


「俺にできることなら」


 真剣な眼差しで伸ばされた手を、ハイドは優しく包みこむ。

 できることは、なんでも叶えてあげたい。

 ベンには劣るだろうが、ハイドもまた彼女の奪われた幸せを思い、心からそう考えている。


「わたし、もう長くないのよ」


「…………」


「そんな顔しないで。死ぬのは怖くないの。ベンと離ればなれになるのは、嫌だけど。いつもいつも目を閉じるたびに、もう目が覚めないんじゃないかって、考えてたしね」


 彼女はゆっくりと目を閉じて、ハイドが包みこんでいる手を弱々しく握り返す。


「死ぬのは怖くないの。それは本当よ。でも、近ごろよく考えてしまうのよ。……わたしの人生ってなんだったんだろうなって」


「プリシラ、それは……」


「何も言わないで」


 ゆっくりとまぶたを押し上げた彼女は、静かな覚悟を小さく醜い体に宿していた。


「わたしの命を、使ってほしいの。どうか、わたしの人生に価値を与えてほしいの」


「……わかった。出来る限りのことはしよう。約束する。だから、今はおやすみ」


「ありがとう」


 ハイドが手を毛布の中に戻すと、安心したのかプリシラはかすかな寝息を立て始める。


「さて……」


 先ほどから廊下で聞き耳を立てているだろうベンに、なんと言えばいいだろうか。

 ハイドはロックビスケットをくわえ直して、しばらく考えた。


 窓の外の雨は、まだ降り続いている。

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