第四章 港町の長い一日

船旅を終えて

 今日、ここに宣言する。


 都市連盟に加盟する二十五の都市国家と、竜の森の四竜族は技術と知識を提供しあうことを。


 前例のない試みであり、戸惑うことも多いだろうが、どうか未来のために市民たちも小さなことでいいから、協力してほしい。

 そして……


『都市連盟と四竜族の共同声明』より




 ――


「…………、ユリウスさ………が、……あ…………わよ」


「ユリウス……もう…………」


 壁の向こうから聞こえてくる言葉の意味なんか、まったくわからない。

 森で罠にかかった俺を引き取ってくれたあの人のことを悪く言っているのは、なんとなくわかった。

 俺のせいで悪く言われているのも、なんとなくわかった。

 なんとなくだったけど、俺はそのことがたまらなく嫌だった。


 俺に与えられた部屋は、あの森なんかと比べ物にならないくらい狭い。

 広い空は、窓で四角く切り取られている。

 使い方もわからない――生きるために必要ないモノばかり、この部屋にある。

 本当は、無理やり着せられた黒い服を脱ぎ捨てて、今すぐにでも森に帰りたい。


 帰りたいけど、帰りたくない。


 壁の向こうの声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。


「ユリウス」


 初めて覚えた言葉を口にした時、あの人がしてくれたように頭に手をやって撫でてみるが、少しも暖かくない。


「ユリウス」


 もっと言葉を覚えれば、あの人はまた撫でてくれるだろうか。


 帰りたいけど、帰りたくないのは、あの人――ユリウスがそばにいてくれるからだ。



「ユリ……いっ」


 突然、後頭部を襲った衝撃に、懐かしい夢から夜明け前の海を進む小舟の上に意識を切り替えさせられた。


「起きたか? まったく、よくこんな小舟で眠れるよな」


「うるせぇ、ニール」


 小舟だろうと、なんだろうと眠れる時に眠らなくては、旅なんぞできない。


 向かいに座るマーガレットが笑っている。


「もうすぐ桟橋だから、上陸の準備してほしいって」


「あー、そういうことか」


 隣でそういうことだと得意顔になっているニールを軽くはたいて、あたりをみわたす。


 灯台の光と、黄のムスル月に照らされた夜の海。

 最南端の港は、北と違って穏やかだ。

 ランプを吊るした舳先の向こうに、人気のない桟橋が黒く浮かび上がっている。


 統一歴3459年冬の中月1日。

 ひと月におよんだ船旅が、ようやく終わろうとしている。


 途中の嵐で五日ばかり足止めをくらったが、ようやく最南端の港町にたどり着いた。


 マーガレットに準備をしろと言われたが、準備も何も、俺の荷物は年季の入った袋一つだけだ。


 俺の手を借りて桟橋に降り立ったマーガレットは、疲れをにじませながらも晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。


「やっと、着きましたね」


 もともと働き者のマーガレットはこのひと月の船旅の間に、癖の強い赤い髪を切った。船上で焼けた肌と、細身の体に宿ったしなやかな力強させいで、少年と見間違えられてもおかしくないだろう。


 そんな彼女に比べて、小舟を漕いでもらった水夫に礼を言って手を振ったニールときたら――。


「マギーは、元気でいいよ。俺なんか、まだ揺れてるんだぜ」


 陸酔おかよいのせいか、足元がおぼつかない。

 大丈夫かと心配するマーガレットに、ニールは笑ってごまかす。帝国人としての意地があるのだろう。


「大丈夫さ。それより、マギーこそ、昨日から寝てないみたいだけど、大丈夫かい?」


「あ、うん。なんか、ソワソワしちゃって、眠れなかっただけだから……」


 黄土色のフェルトのコートの上からでもわかる。彼女は、まだ見ぬ花婿のウロコに手をおいているのだ。

 もしかしたら――と、ある考えが頭をかすめる。


「マギー、もしかしたら、この街にいるかもな」


「えっ、あたしの花婿ですか!」


 顔を真っ赤にして、どうしようと焦るマーガレットは、やはり年頃の女といったところか。


「もしかしたら、だ。こんなところで突っ立てても、行くぞ」


「もぉ、ファビアン。からかわないでよ」


 頬を膨らませても、マーガレットは嬉しそうだ。


「待てよ、お前ら……」


 豆を口に運びながら桟橋を行く俺を、弾む足取りのマーガレット、いまだに陸酔いに苦しむニールが追いかけてくる。


 この千年間、誰かと深く関わることを避けてきた。いいや、今までユリウスさま以外の誰かと、深く関わったことなどなかった。名無しは、別だ。

 あの時、世界の中心の塔で名無しにさえ置き去りにされてから、俺の中で『何か』が吹っ切れたような気がする。

 その『何か』を表す言葉をまだ見つけていないが、吹っ切れなければ、こうしてニールとマーガレットとともに行動できなかっただろう。それだけは、確かに言い切れる。


 賑やかな酒場等が並ぶ波止場を抜けると、広場に出た。


「なんだこれ」


 まばたきを繰り返しながらニールが信じられないと言った言葉は、そのまま俺の心の声でもあった。


 市庁舎前の広場は、夜明け前だというのに多くの人々が集まっていた。

 篝火かがりびも惜しみなく煌々と焚かれているせいか、爆ぜそうな熱気を感じる。


 浮足立っていたマーガレットも、戸惑いながら胸元を押さえる。


「祭りか何かかなぁ」


「いいや、違うだろうよ。ちょっと待ってろ」


 そう言うが早いか、ニールは座りこむ人々の間を縫うようにして見回りらしき男の側に駆け寄る。


 身振り手振り、笑い声もまじえながら、この集まりについて聞き出しているのだろう。


「あの、ファビアン……」


「なんだ?」


 豆を口に運びながらニールが戻ってくるのを待っていると、マーガレットが胸元を押さえながら口を開いた。


「さっき、あたしの花婿がいるかもしれないって言ってたけど、なんか……その、本当にそんな気がしてきたの」


「そうか。いい奴だといいな」


 顔を真っ赤にしてうつむき、彼女はまたソワソワしだした。

 故郷を飛び出して、こんなところまでやってきたんだ。いい奴に、決まってるだろう。そうでなかったら、彼女がむくわれない。


「マギーを泣かせるような奴だったら、俺が一発殴ってやるよ」


「そんな!」


「大丈夫だ、マギー。一なる女神さまは、マギーに辛い思いばかりさせたりしないだろうよ」


 彼女が軽く俺の腕を叩く。


「もぉ、まだ決まったわけじゃないから、そんな恥ずかしくなるようなこと言わないでよっ」


 こういう時、どうすればいいのかわからない。

 ニールなら笑いながら話をそらすこともできるだろうが、俺はそんな器用なことはできない。

 ポカポカと軽く叩かれ続けるしかないのだろうか。


「おーい、仲のいいお二人さん。話、聞いてきたぞ」


 長い三つ編みを揺らしながら戻ってきたニールに、心の底から安心する日が来ようとは。

 終焉と隣り合わせのこの世界も、まだまだ捨てたものじゃない。


 そんな俺の心の中などニールは知るはずもなく、聞いて驚けと不敵な笑みを浮かべる。


「実はな、今日、この広場に四竜族の長たちそろってが姿を見せるらしい」


「えっ、そ、そんなことってあるの!」


 俺を叩くのをやめて、マーガレットが驚きの声をあげるのも無理もない。

 千年以上生きながらえている俺ですら、四竜族の長たちがそろって人間たちの前に姿を見せるなど、聞いたことがない。


「そう、俺も驚いたよ。今日、太陽が一番高い位置に登る時に、都市連盟に加盟する二十五の都市国家と竜の森の共同声明の式典を執り行うそうだ」


「共同声明? まさか、このリュックベン市のように、他の都市国家も竜族が人間たちに力を提供するとか……」


「ファビアン殿、それは少し違う」


 ニールが芝居がかった口調に変わる。

 しまったと思った時には、もう遅かった。


「よろしいか、マーガレット嬢に、ファビアン殿。竜族が人間に力を提供するのではなく、提供しあうのだよ。おわかりか? これほど、画期的な試みは史上初だ。最も強き竜族も、指先の器用さは人間には劣る。たとえ、人間の姿に変化しようとも、道具を巧みに操るのは、我ら人間よ。おわかりか?」


「わかった、わかった」


 ニールの言ったことは、正しい。

 人間と竜族が、互いの短所を補い合うことができたら、それはもう――――。いいや、そう簡単にことが進むはずがない。


 すごいと目を輝かせるマーガレットに、ニールはわざとらしいすまし顔を崩した。


「マギーには、特にいい知らせがある」


「えっ」


「灰色仮面のクレメントさまに、直接会うチャンスなんだよ。実はな……」


 四竜族の長たちがそろって姿を見せると、おおやけに発表されたのは二日前のことだったらしい。

 これを好機ととらえた商人や、竜族の力を借りたい者たちが集まるのは、自然な流れだっただろう。だが、驚くべきことに長たちは彼らを門前払いしなかった。

 集まった人々が全員、長たちに会えるわけではない。それでも会う必要があると判断された者は、会える。

 これを好機といわずに、なんというのだろうか。


 興奮したマーガレットは、服の下の小袋を取り出して握りしめている。


「それで、その神殿はどこにあるの?」


「あの目抜き通りの先だ」


 俺が広場の向こうにある目抜き通りを指差すと、マーガレットは待ちきれないと駆け出した。


 やれやれとニールと俺は、肩をすくめて彼女の後を追う。


 いつだったか覚えてはいないが、以前リュックベンを訪れた時と町並みはさほど変わっていないようだ。

 夜空が東の方から、だんだん色を変えていく。

 濃い紺色から、藍色、縹色、限りなく白に近づいた頃に、黄金色こがねいろの朝日が顔を覗かせる。

 今は灰色だが俺の黄金色の瞳は、朝日のようだとユリウスさまが褒めてくれたことを思い出しながら、左目の眼帯に手をやる。


 はたして、この街にフィオナ・ガードナーはいるのだろうか。

 いたとして、なぜ名無しは彼女とともにいるのだろうか。


 いなかったら、俺はこのひと月半ほど、無駄に過ごしたことになる。

 それは困る。


「どうしたの、ニール。何か見つけたの?」


 広場を抜ける頃には、並んで歩いていたマーガレットの声に我に返る。

 彼女の向こうを歩いていたニールが、足を止めてある一点を見つめていた。


「まぁな。後で何か食うもの調達する場所、見当つけとかないと困るだろ」


「確かにな。……っ」


 かすかに漂うパンが焼ける匂いにつられて、ニールの視線の先を見て息を飲む。


『ガードナーベーカリー』


 まさか――。


「ファビアン、今は神殿が先だろう」


「ああ、わかっている」


 ニールの言う通りだろう。

 今は、神殿にマーガレットを送り届けるのが先だ。


 カーテンがしまったショーウィンドウのパン屋の前を後にする。


 長い長い一日は、まだ始まったばかり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る