南へ

 秋の終月30日。

 明日は冬至。新しい年が始まる日でもある。


「明日、か」


 ニールの伝手つてで乗ることになった商船が、この港街を離れる日でもあった。

 波止場の荷降ろしの報酬を受け取って、早めに宿に戻ってきたのだが二人ともいなかった。

 まだ、夕食には早い。

 荷物を整理するには、ちょうどいい。


 とはいえ、平織りの丈夫な布袋の中身など、たかが知れている。

 火打ち箱に限らず、ナイフもブランケットも、年季が入りすぎている。

 ベッドの上に広げたそれらを、ひとつひとつ確認していく。


 道具の使い方を教えてくれたのは、ユリウスさまだ。

 もう、千年も置き去りにされている。

 流星のライオスがいなくなった今、かつてないほど世界は終焉へと大きく傾いている。


「俺は、世界を望んでいないのに」


 皮肉としか、いいようがない。


 水色のリボンの小娘。


 あれから半年以上、手がかりらしい手がかりもつかめないままだ。

 竜の森で探りたかったのだが、ライオスが死んでからは、人間の出入りが厳しく制限されるようになった。無理もない。真理派のこともあるだろうから。


「……フィオナ・ガードナー。お前は、一体何者なんだ」


 右足がうずく。


「おっ。珍しいではないか。お前が先に戻っているなんて」


「……ニール」


 ニールは本当に舌がよく回る。

 そもそも、この宿代も南に向かう商船に乗る金も、全部彼が出している。

 金に困っていないと、会った日に言っていたことは間違いないようだ。


 金に不自由しない根無し草の帝国人。


 もしかしたら、ニールがあの噂の――


「それ、恋人か誰かのだろう?」


「は?」


 ニヤリと笑う奴の視線の先には、俺が手にしていた水色のリボン。


「そういうのじゃない」


「はいはい」


 片手剣を外してベッドに腰を下ろしても、奴はまだ笑っている。


「戻りましたぁ」


 マーガレットも戻ってきた。

 彼女は、じっとしていられない性分だったのか、この宿の下働きをしている。ニールがいくら言っても、助けてもらってばかりでは駄目だと、今日も掃除や皿洗いをしていた。


 一度腰を下ろしたニールが、入り口に立つ彼女のもとへと駆け寄る。

 嫌な予感がする。


「聞いてくれないか、マギー。そこなファビアン殿は、なかなかすみにおけない男であってな……」


「ニール!」


 声を荒げたが、逆効果でしかなかった。

 アーモンド型の目でまばたきを繰り返したマーガレットは、わざとらしく奴に耳打ちする。


「ファビアンさんがムキになるなんて、珍しいですね」


「そうだろう。実は、一人で女物のリボンを見つめていたのだ」


「まぁ!」


 全部聞こえている。


「そういうのじゃないと、言っただろう」


 二人は肩を落とした俺をクスクス笑う。

 からかわれただけだろう。

 ニールが、芝居がかった態度をとる時は気をつけた方がよさそうだ。


「珍しい物なら、お前も腰から下げているだろう。ニール」


「……っ」


 思いもよらなかったのだろう。ニールは顔を強ばらせて、上着の上から腰のそれに手を置いた。


「余計な詮索はやめることだ」


 気まずい空気に耐えかねたのか、マーガレットが笑顔を作って進み出てくる。


「人に聞かれたくないことくらい、誰にでもありますからねぇ。……はい、ファビアンさん」


「ん? ああ、ありがとう」


 彼女がくれた小袋の中身は、おそらく豆だ。持った感覚でわかる。


「いくらした?」


「お金はいらないです。ほんの気持ちですから」


「それなら、ニールの奴に何かすればいい。俺はなにもしてない」


 困惑する俺に、彼女は首を横に振る。


「一昨日、あたしと一緒に家族に会ってくれたじゃないですか」


 確かに、二日前に彼女の家に行った。

 当たり前だろう。彼女は、家族に何も告げずに家を出てきたと言っていたのだから。

 気まずそうな彼女に、もう会えないかもしれないのだと説得して、頼まれるままに彼女と一緒に近くの農村まで赴いただけだ。

 それだけだというのに、マーガレットは俺に感謝しているというのか。


「もらってやれよ。ファビアン殿に、美味しいところを持っていかれたというわけだな。一なる女神さまよ、哀れなこの俺にお慈悲を」


「っぷ。もぉ、ニールさんたらっ」


 ニールの芝居がかった物言いにも、声に出して笑うマーガレットにも、困惑は増すばかり。


「ニールさんには、昨日、お酒あげたじゃないですか」


「そうだったかな?」


「…………」


 とりあえず、豆はありがたく受け取っておいたほうが良さそうだ。

 マーガレットは、数日前まで笑うこともできなかったのだろうから。

 こうして、ニールと出会うことができた彼女は幸せ者だろう。


 おどけるニールに、マーガレットが笑っている間に、俺は蝋燭に火をつけた。

 いつの間にか、夕闇が部屋の中に忍びこんできていた。

 一年の最後の日は、さすがに宵の市も開かれない。外も静かなものだ。


 広げた荷物を手早く布袋に詰めこんで、俺もベッドに腰を下ろす。


「それにしても、マーガレットの花婿は幸せ者だろうよ」


「え?」


 マーガレットの戸惑う顔が見れて、満足だ。得意げに首を縦に振るニールは、知らん。


「こんな年若い娘が、一人で陽炎の荒野まで会いに行こうとしたんだ。幸せ者以外に何がある?」


「ファビアンも、たまにはいい事言うな。このニール、感動したぞ」


 目頭を押さえる奴は視界から外して、マーガレットを見れば、なぜかうつむいて両手を握りしめている。


「無謀だというくらい、わかってました」


 声も震えている。


「しかたないじゃないですか。いつ迎えに来るかわからない花婿を、待ってたら……」


「すまなかった。好きで出てきたわけじゃなかったな」


 彼女の明るいふるまいに、つい忘れてしまっていた。


 二日前に会った彼女の両親は、村ぐるみでひどい仕打ちにあっていたのだという。

 当の彼女は、親しくしていた友人たちからも冷たくされたのだという。

 手を差し伸べたい村人たちもいたようだが、村の有力者と真理派が親しくなったことで、難しい状況だった。


 マーガレットは、よく理解していた。村人たちが、悪いわけではないことを。急に勢力を強めてきた真理派が、原因だということを。


「どうして、竜族は何もしてくれないんですか。あたしの他にもいるんです。辛い目にあっている花嫁はっ」


 ニールは、今にも泣き出しそうな彼女をベッドに座らせる。


「したくても、できない。竜族だって、歯がゆい思いをしているだろうさ」


 どういうことと、マーガレットは顔を上げる。


「直接、花嫁に危害を加えてないからだよ」


「真理派も馬鹿ではないということだ」


 真理派は、何千年も前からいた。

 あの忌々しい嘆きの夜よりも前は、表立って存在を主張することもなかったが、影のように常に世界にはびこっていた。

 俺が置き去りにされたあの夜から、何度も花嫁と竜族の嘆きを耳にしてきた。


「嘆きの夜から続く混乱の時代、奴らは初めて花嫁狩りをした。奴らにとっては皮肉なことに、その花嫁狩りが四竜族の結束を強め、人間たちにも影響力を与えることになったんだ。だが、そう簡単に花嫁狩りはなくならなかった」


「意外と詳しいんだな。ファビアン」


 意外そうな表情を浮かべるニールの隣で、マーガレットは赤い目でもっと詳しく話してほしいと訴える。


「長いこと根無し草をやっていると、どうでもいいことまで詳しくなるものだ。もっとも強き竜族の直接的な介入は、真理派以外の人間たちの脅威にもなった。それまでは、数限られた人間が、黒い都に招かれて竜王の恩恵に預かる程度でしか介入はなかった。度を超えた介入のあがないとして、流星のライオスがしたことが、都市の神殿と竜が契約を交わし、街の復興に力を貸した」


 想像することすら、難しいだろう。

 今は互いに力を補い合っている四竜族が、いがみ合っていた時代のことなど。


「流星のライオスのおかげで、混乱の時代以降の八百年ほどは、個人的な恨みさえなければ、真理派も花嫁に危害を加えるような真似はできなかった。竜族も、花嫁に危害を加えられなければ、そう簡単に介入できない。今はまだ、な」


「逆に、あたしたち人間がライオスさまに依存したいたようにも聞こえるわ」


「そうだな」


 マーガレットの前に立って、彼女の手をとる。

 ひどい手だ。もともと日焼けした働き者の手だったが、慣れない下働きをしたせいか、あかぎれがひどい。素焼きの軟膏入れを握らせる。


「やっぱり、俺はこんな手になってまで会いに行こうとするマーガレットの花婿は、幸せ者だと思うぞ。よくきく軟膏だ。塗っておけ」


「……ありがとうございます」


 マーガレットの顔が心なしか赤い気がする。すぐにうつむいたから、気のせいだろうが。


「もし、リュックベン市で竜族に花嫁の現状を訴えれば、竜族も動きやすくなるかもしれないな。火竜族の長、灰色仮面のクレメントは真理派を誰よりも憎んでいる。力になってくれるはずだ」


 キュッと唇を引き結んだ彼女の琥珀色の瞳に宿る決意の光は、そう簡単に消えないだろう。


「本当に、ファビアンはおいしいところを持っていくなぁ」


「は?」


 大げさなくらい肩をすくめたニールが、大げさすぎるくらいのため息をつくと、マーガレットはすぐに笑顔になる。


「そうですよね。ファビアンさん、意外と優しいですよねぇ」


「は?」


 意味がわからない。

 俺は、ユリウスさまから学んだ通りにしているだけだ。困っている女子どもには、できるだけ手を貸すようにと。


「そういう自覚なさそうなのが、憎めなくて辛いよ。まったく、天然のたらしにはかなわない」


「ニール。俺はたらしじゃない」


「いやいや、自覚がないだけさ。今までも、泣かせた女の一人や二人、いそうだな」


 マーガレットの隣りに座る奴に拳を振り下ろさずにはいられなかった。


「ニールっ」


「おおっと」


「きゃっ」


 もしかしたら、俺はこの時すでに彼らとの時間を楽しんでいたのかもしれない。



 統一歴3459年冬の初月1日。

 新しい年が始まった。


 ニールが紹介してくれた商船は、カヴァレリースト帝国の旗をはためかせて、ゆっくりと港を離れていく。


「きれい……」


 後甲板の上で、マーガレットが感嘆の声を漏らす。


 月影の高原の向こうから昇った朝日に照らされる港街ティンガル。

 悪意ある真理派がはびこっている港街でも、真冬の張り詰めた空気の中で輝いている。


 人間のふりをしている今は、世界を正しく眺めることはできないが、彼女の言うとおり綺麗だ。


 最南端の港町に、名無しが言っていた鍵を握る小娘はいるだろうか。

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