ニール

 ニールは、どちらかというと信心深い男ではない。

 真理派の演説が気に入らなかったから、ああいったものの、一なる女神さまの導きや加護を信じるほどではなかった。ましてや、罰など――。

 彼は、北の帝国人らしい現実主義者だった。


「なんなんだよ」


 そんな彼でも、ぼやかずにはいられない光景が目の前にあった。

 人通りの絶えた暗い路地に真理派の無骨な連中を誘い込むまでは、予定通り。


 その直後、鳥たちが羽ばたく音とともに、あたりが真っ暗になった。


「……ヤバすぎるだろ」


 この街中の鳥が集まったのではないかというほどの、種類も様々な鳥たちが真理派の男たちを襲っている。

 クチバシや爪を使って、奴らを襲っている。真理派の顔――特に眼球を狙っているのだから、たまったものではなかっただろう。 振り払う両手にも、クチバシや爪を使って襲ってくる。

 悲鳴が弱々しい呻き声へと変わっていく頃には、奴らは全身を鳥たちに襲われていた。

 片手剣に手をやり生唾を飲み込んだままニールは、動けなくなっていた。

 一なる女神さまのご加護など信じていない。だが、そうでなければ、この狭い路地で自分だけが襲われてない事実を説明できない。

 鳥たちに覆われた人の形が、だんだん小さくなっていく。 蹲ったり地面に這いつくばっているだけだが、血を流している彼らには耳や鼻など体の一部がどこか欠けているかもしれない。そこまでしてようやく鳥たちも気がおさまったのか、一斉に路地を離れる。


「うわっ」


 急に飛び立った鳥たちに驚いて、さすがのニールも尻餅をついた。

 狭い路地には、血を流して地面に這いつくばる真理派の男たちだけ――ではなかった。


 いつの間にか、男が一人立っていた。


 黒い毛皮のコートの男が、すっとニールに手を伸ばす。

 男の出で立ちは、異様としか言いようがなかった。

 櫛が負けそうなほど絡まった灰色の髪は、まるで狼のようだ。毛皮のコートもあいまって、祖国のおとぎ話に出てくる狼男を思い出さずにはいられなかったかもしれない。しかし、何よりも異様だったのは、左目を覆う眼帯だった。左の口角近くまである黒革の眼帯は、目を隠すにはあまりにも大きすぎた。覆われていない方の右目は、髪よりも濃い灰色。

 灰色の男というよりも、狼のような男と言ってもよかったかもしれない。


「誰、だ?」


「ファビアン」




 ――――


 尻餅をついた帝国の伊達男が俺にかけた言葉は、あの堂々とした若者とは思えないほど、間抜けなものだった。


「……ファビアン? あ、ああ、ありがとう」


 我に返った彼は、慌てて俺の手を握り返す。


「あんたの仕業か?」


 まるで余計なお世話だと言いたげな彼に、肩をすくめて豆を一粒口に放りこむ。


「動物に好かれているからな、俺は」


「……そうかい。俺に何か用?」


 拍子抜けするほど、彼の態度はそっけない。


「リュックベン市の話だ。もっと詳しく聞きたくてな。えーっと」


「ニール。……いいぜ。ただ、場所だけは変えたいね」


 やれやれと肩をすくめたニールの言うとおりだ。

 血まみれの人間が転がっているそばでゆっくりしたいやつなど、そうはいない。

 それに、街中の鳥たちが集まったのだ。すぐに、誰かがやってくるだろう。


 後で聞かされたのだが、あの時ニールには俺が死神に見えたらしい。

 まったくひどい話だが、夕食を奢ると俺が言っただけで、いいやつと俺の印象を変えたそうだ。


 もしかしたら、名無しが探せと言った小娘の手がかりになるかもしれない。そう考えて、あの広場で真理派に喧嘩を売ったニールと接触したことを、早くも後悔している。


「いやぁ。奢らせちまって、悪いねぇ」


「……別に」


 ニールはよく食べ、よく飲む。

 金はそれなりにあるから俺はかまわないが、屋台の店主の顔色が変わってきた。仕込んだ料理も底をつくかもしれない。

 その時は他の屋台に行けばいいのだが、できることならその前に話をすませて別れたい。


 新しい年が始まる冬至が近い秋の終月では、宵のいちが始まるのも早い。

 大きな都市には、必ずこうした宵の市がある。

 屋台が立ち並び、料理や酒を振る舞う。都市の住人たちよりも、よそ者のために。

 都市の治安にもよりけりだが、宵の市でお腹いっぱい食べたよそ者がそのまま広場で夜を明かすのも珍しくない。

 夕闇が濃くなるにつれて、賑やかになる広場。

 誰かと話すことを避けてきたからか、いつもはわずらわしい賑やかさが心地よく感じる。


「……どういう経緯で、四竜族の若い連中が集まったかまでは知らないんだな?」


「そこまでは、あいつも教えてくれなかった」


 ニールは気にならなかったのだろうか。そんなはずはないだろう。だが、粗悪な安酒を煽る彼は、経緯を気にしている様子はない。

 もしかしたら、見当がついているのかもしれない。

 知り合って半日も経たない俺に、話せるわけがないか。


「あ、そうそう。実は、リュックベン市で作っている施設だけどな……」


「なんだ?」


 ニールが真顔で身を乗り出した分、俺はのけぞる。


「俺の聞き間違いでなけりゃ、風呂、だとよ」


「風呂?」


 俺の反応に満足したのか、ニールはニヤリと笑って座り直す。


「人間と四竜族が力を合わせて作るのが、風呂だぞ。俺も聞き間違いであってほしいと願っているよ。リュックベン市でガッカリしたくないからな」


「……そうだな」


 ニールの言うとおりだ。前例のない一大事業が、風呂だなんて、何かの間違いに決まっている。


「ファビアンも、リュックベン市に行くのか?」


「まぁな」


 特に考えることなく返事をしたことを、すぐに後悔することになった。


「なら、一緒に行こう!」


「は?」


 嬉しそうな顔して、奴は今なんて言っただろうか。耳を疑うようなことを言わなかったか。


「ファビアンも、リュックベン市に行くんだろう?」


「なんで、そうなる?」


「連れは多いほうが、旅は楽しいに決まっている」


「それだけでか!」


 テーブルを叩かなくては気がすまなかった。いや、まだ気がすんだわけじゃない。

 何杯目かわからない酒の入ったゴブレットが倒れる前に、ニールは口に運んで平然と笑う。


「だが、行くつもりだろう?」


「行くつもりだが、貴様と一緒には……」


「あ、あのぉ……」


 腹の立つニールの馬鹿面に殴りかかろうとしていた時だ。横から遠慮がちな声が、割って入ってきたのは。

 俺も奴も、声がした方を顔を向ける。


「マーガレット・メイジャーって言いますっ」


 みすぼらしい身なりの赤毛の少女が、勢い良く頭を下げた。

 ニールの知り合いかと、奴を横目で見る。だが、奴も横目で同じようなことを俺に尋ねてくるではないか。

 どうしたものかと、奴と無言で相談していると、マーガレットは頭を下げた時と同じくらい勢いよく頭を上げる。


「あ、あの、あたしもリュックベン市に連れてってください。できることは何でもしますから」


 また、勢いよく頭を下げる。


 なんなんだ。

 冗談にしては、笑えない。

 なにより、癖の強い赤毛の向こうにあった琥珀色の瞳が、真剣そのものだった。


 どうしたものかと、ニールを横目で見ると、満面の笑みを浮かべている。


 嫌な予感がする。そして、その予感は外れなかった。


「もちろんだともと言いたいところだけど、お嬢さん、まずは、理由を聞かせてもらえないかな? それから、俺たち三人でリュックベン市に行こうではないか!」


「ありがとうございますっ」


 どうやら、この帝国人のおめでたい頭の中では、三人でリュックベン市に向かうことになっているようだ。



 夜更け過ぎ。どちらかといえば、夜明けのほうが近い頃、俺は静かにベッドを抜け出した。

 年季の入った簡素なベッドが、ギィっと軋む。

 一瞬、ニールの寝息が止まったから、起こしたのではないかと気をもんだ。すぐに再開されて、杞憂だったことを知る。

 ここ数日、溜まりに溜まった心労の反動か、マーガレットに目覚める気配はない。


 ニールがまだ十五歳だという火竜の花嫁のために、見つけた宿の四人部屋。

 そう、マーガレットは赤いウロコを握りしめて生まれてきたのだ。


 まったく、どうしてこうなった。


 窓辺に立って、ゴワゴワしたカーテンをめくる。だが、はめ込み式の窓の向こうは、隣の家屋の壁板がせまっていて、カーテンを戻すしかない。


 マーガレットは、この港街の近くの生まれ育った村から一人でこの街にやってきたらしい。

 真理派からの風当たりがきつくなり、家族に迷惑をかけるくらいならと、自ら陽炎の荒野におもむくつもりだったという。無謀というより、他ない。

 十五歳という、行動力ばかりもてあそんてる年頃だから、できたことかもしれない。

 それでも、やはり無謀だ。

 少女のあり金などたかが知れている。なにより、この港街は、真理派の勢いが日に日に増している。

 街の有力者にも、真理派の信者が何人もいる。神殿が何もできずにいるのは、そういうことだ。


 胸元の小袋の上に手をおいて眠るマーガレットから、隣のベッドで横になっているニールに目を向ける。


 ただのお人好しかなんなのか、よくわからない奴だ。

 昼間のように、真理派に喧嘩を売るような馬鹿なことをしたかと思えば、マーガレットの身の上話に涙して、ともにリュックベン市に行こうと言い出す。


 まったく、どうしてこうなった。


『名無しは、彼女とともに出ていくよ。探しにおいで。彼女がすべての鍵を握っているからさぁ』


 名無しの声が蘇る。

 数少ない荷物を詰め込んだ袋の奥にある水色のリボンの小娘。

 小娘の手がかりになればと、ニールと接触しただけだというのに。


 今すぐに、この宿から抜け出して、南へ向かうのは簡単だ。


 それをしないでいるのは、ニールの人柄に惹かれたのと、マーガレットを放っておけないと感じたのかもしれない。後になっても、この夜の思いを言葉にするのは難しい。


 革袋に手をやって、煎り豆が残っていないことに、今さら気づく。


「手遅れにならない程度なら、こういうのも悪くないかもしれない」


 秋の終月24日。年の瀬もせまるこの日。

 この後、ずっと行動をともにすることとなる得難い仲間を二人に出会った。

 もちろん、この時はその場しのぎの関係だと言い聞かせていたのだが。

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