訃報と提案

 我が家に旅の仲間たちが押しかけると、ずいぶん狭く感じる。

 お父さんのアーチボルドが、閉店後にいつも磨いている年季の入ったカウンター。お母さんのゲルダが、刺繍したクロスが敷いてある陳列棚。

 記憶にある通りだ。ただ、見上げていたはずのカウンターが、胸のあたりまでしかないことなどが、ある意味新鮮だった。


 お姉ちゃんに叩き起こされたお母さんとお父さんとは、ゆっくりと再会を喜びあう時間もなかった。

 たった一人の徒弟のエルマーが、ひと月ほど前から行方知れずなのだという。お母さんが言うには、最近のエルマーはろくでなしだったらしいが、心配だ。

 お母さんとお父さんはお店のことで忙しいからと、お父さんが売れ残ったパンをわたしたちに配り終えたら、お姉ちゃんが母屋に追い返してしまったのだ。


 懐かしい我が家のパンを食べながら、お姉ちゃんと情報を整理しているうちに、老竜ライオスが楽園へ召されていたことを知った。


「嘘だ! 大おじいさまがいないってどういうことだよ!」


 それもわたしたちが旅立った日に、召されたのだという。

 アーウィンがお姉ちゃんに掴みかからんばかりに、驚きの声を上げても無理はないだろう。


 アーウィンが信じられないと喚いている。


「信じたくないなら、星辰のうみの誰かに直接訊けばいいじゃないか」


「……アンバー。お前っ」


 カウンターの近くにいたアンバーは、冷淡なほど冷静だった。ヴァンとローワンが止めてくれなかったら、ガードナーベーカリーは、大変なことになっていたに違いない。

 いくらか顔色がよくなったローワンになだめられながら、アーウィンは水鏡を生成し始める。売り場の中央に集めた水に、彼が軽く息を吹きかけると、腰くらいの高さで水平に浮かぶ大きな水鏡が完成した。

 しかし、黄色のタイル張りの床が透けて見える。反応がないのだ。


「なにやっているんだよ、今夜の鏡番かがみばんは……」


 アーウィンは、イライラと青い髪をかき回す。普段はタレ目がちな青い目も、釣り上がりやや血走っているようにみえる。ますます我が家の空気がピリピリと張りつめたものになっていく。


鏡番かがみばんって、なんのことですの?」


 ライラが、わたしの耳元で小声で尋ねてくる。


「明け星の館で、夜に緊急の知らせとかのために、水鏡の番をする水竜のことよ」


 なるほどとライラは軽くうなずくと、顎に手をやってさらに何か考え始めた。


「もしかして、水鏡は任意の相手につなぐことはできないのかしら?」


「むっ」


 その通りだ。任意の相手に向けて、水鏡を使うこともできないこともないが、そう簡単にできることではないと知っている。知ってはいるけど、黙っていたほうが賢明だろう。先ほどから、離れたところでアンバーと並んで立っているヴァンの視線が怖い。

 竜族は、自らの秘術を明らかにすることを嫌うものだから。

 それはさておき、ライオス亡き後の長は、やはり氷刃のディランだろうか。彼以外に考えられない。けれども、妻のナターシャに棍棒で殴られては嬉しそうな顔をする姿を知っていると、なぜか複雑な気分になる。

 そもそも、ライオスは本当に亡くなられたのだろうか。

 信じられないし、信じたくない。


 気軽におしゃべりできるような空気ではなかったので、つらつらと考え事をしていると、ライラが居住まいを正した。

 水鏡に変化が現れたのだろう。

 宙に浮く水の板だった水鏡が、まさに鏡面となって薄暗い天井を映す。次の瞬間、青いウロコの頭のてっぺんが見えた。と思ったら――。


「るせぇよ! 夜だぞ、夜! ったく、花嫁くらい、自分で探しやがれってんだ。クソガキ! だいたいなぁ……」


「…………」


 アーウィンも飛び退るほどの怒声が聞こえてきた。


「ん? いやいや、アー坊のわけがないな。うん。夢でも見てるに決まってる」


 竜族独特の縦長の虹彩を持つ青い目が、水鏡の向こうでパチクリと瞬きを繰り返す。


「ドゥールおじさん、アーウィンだよ。おじさんの従兄弟の船頭のダグラスの息子の、アーウィンだよ! フィオもいるし、みんないるんだから、寝ぼけてないでしっかりしてよ」


 頬を朱に染めたアーウィンに腕を引かれて、わたしは水鏡をのぞきこむ。なんとも言えない短い叫び声を上げて、ドゥールは文字通り驚きのあまり飛び上がった。


「姫さまもか! 半年もどこで何をしていたんだ? 全員無事なのか?」


 やはり、今日は秋の中月6日で間違いないようだ。

 ドゥールは、わたしたちの無事を心の底から喜んでいる。水鏡を覗き込んだ一人ひとりに声をかけるほど、喜んでいる。


「……ライラ殿も、無事で何より。西の王国にも、良い知らせを聞かせられる。ターニャ、あいつが心配していたぞ。何度も、この星辰の湖に押しかけてきたくらいだ。一度くらい……」


「あいつの話はいいだろう。そんなことよりも、話したいことがあるんだ」


 話を打ち切ったターニャの顔が赤く見えたのは、気のせいだろうか。彼女は彼の母ナターシャの縁者だから、共通の知り合いくらいいてもおかしくはないだろう。それにしても、気になる。


「そうか。そうだったな。こんな時に、親父殿が不在とは……」


 一方的に気がすむまでしゃべり終えたドゥールは、頭を抱える。

 ドゥールは水竜族一の翼を持っているが、同時に水竜族一の回る舌を持っているのではないかと思うほど、普段からよくしゃべる。やかましく思うこともあるけど、今回はアーウィンのいら立ちすら吹き飛ばしてくれたのだから、感謝してもいいかもしれない。


「ねぇ、ドゥールおじさん。訊きたいことがあるんだけど、そろそろいいかな?」


「ああ。嬉しすぎて、ついしゃべりすぎてしまったな。俺もいろいろ訊きたいことばかりだが、俺に答えられることなら、なんでも訊いてくれ」


 大きなため息は、アーウィンだけのものだっただろうか。


「……大おじいさまがいないって、本当?」


「なにを今さら!」


 老竜ライオスがこの世界にもういないことは、疑いようのない事実となった。

 ドゥールに、これまでの経緯を説明した。

 わたしたちの感覚では、旅立ってまだ四日、長くても五日ほどしか経っていないこと。世界の中心の塔の地下からリュックベンの港に直接来てしまったこと。

 お姉ちゃんに話をした後ということもあって、アンバーが中心となってスムーズに説明することができた。


「……それで、夜遅くにフィオの家に押しかけることになったんだ。ところで、氷刃のディランの息子ドゥール殿、今の水竜族の長は?」


「親父殿だ。氷刃のディランが、我らの長となった。……やれやれ、姫さまたちを、どんなに探しても見つからないわけだ。黒い都に誰かよこすべきではないかという話も、あるくらいだからな」


 わたしたちが旅立った後のことを、ドゥールはかいつまんで話して聞かせてくれた。


 老竜ライオスがいなくなったことで、竜族の存在を認めない集団真理派しんりはの動きが活発になったことを、ドゥールはなにより先に教えてくれた。


「花嫁狩りが始まるのも、時間の問題だろう。忌々しい」


 花嫁狩り――その言葉を聞くだけで、寒気がする。自分を抱きしめずにはいられなかったほどだ。


「ドゥール殿、話を戻して申し訳ないけど、ライオスさまが亡くなられたのは、なぜだ? フィオの旅立ちと無関係なわけがないと思うけど」


 アンバーの問いは、誰もが知りたかったことだ。けれども、誰も尋ねようとしなかったことを、平然と尋ねられるのは地竜族だからだろうか。

 ドゥールはしばらくアンバーを見つめて、軽く首を横に振った。


「さすが、と言うべきかな。一枚岩のヘイデンの息子。……悪いが、大おじいさまのことについては、俺から話していいことではない」


「教えて。ドゥール、わたしが教えて欲しいと言えば、教えない訳にはいかないでしょう?」


 わたしのお願いを無視にできる竜なんて、いやしない。竜族にとって、わたしは守り育てるべき存在なのだから。

 勘違いしないでほしいのだけど、わたしが自分の立場を利用して無理をお願いしたのは、これが初めてだ。

 旅に出る前は、竜族の方から世話を焼いてくれた。甘やかされてきた自覚はないのだけれども、おそらくそうなのだと思う。まだまだ世界竜の花嫁という自覚がないけれども、試したいという気持ちもあってか、ドゥールに無理を言ってみた。


「姫さまが言うなら、しかたない」


 ドゥールは目を閉じて、水鏡が歪むほど深いため息をついた。彼もまた、ライオスを慕っていたのだ。押し上げられたまぶたの下にあった青い瞳が、影って見えたのは気のせいではないはずだ。


「大おじいさまの死因を語る前に、なぜ、大おじいさまが千年以上も生きることができたかを、聞かせるほうが先だろう。姫さま、大おじいさまから、最後の竜王ユリウスさまの遺言を伝えられただろう?」


「そう、だけど……」


 右手の腕輪に手をやらずにはいられなかった。


 ライオスはユリウスと約束を交わしていたのだと、ドゥールは教えてくれた。

 世界竜族との約束がどれほど強引なものか、わたしはそのユリウスによって身をもって教えられている。とはいえ、命まで縛るということが、どういうことなのかまではわかっていなかった。


 ユリウスの今際の際の言葉を、誰かに伝えなくては死ねないという約束。まるで、呪いではないか。

 最後の竜王と敬っていたライオスに、なんてひどい仕打ちをしたのだろうか。

 なにより、わたしがあの時――


「姫さま、どうか自分を責めないでほしい。大おじいさまは、姫さまにすべてを伝えなかったのだから」


 だから、わたしのせいでライオスがなくなったわけではないと、ドゥールは強調する。


「だったら、他に誰かが遺言を聞いたってことだろ?」


「もちろん、親父殿だ。他に誰がいるんだい、ターニャ」


 さすがに、ドゥールはその遺言の内容までは知らないらしい。


「長たちは、二日前から西の石舞台で会議をしている。もちろん、姫さまたちの安否のこともあるが、真理派のこともあってな。さっきも言ったが、大おじいさまがいなくなったことで、奴らの活動が目立ってきた。集会の数も増え、信者も増える一方だ」


 苦々しくドゥールは、鼻を鳴らす。


「この半年の間に、状況がずいぶん変わっている。特にお前たち、四竜族の若い奴らが一緒に行動するのは、危険だ」


 それはつまり、旅の方針を変えるということだろうか。

 冗談じゃないと叫んだのは、ローワンだけだったが、みんなもそう思ったことだろう。

 決定してはいないだろうが、四竜族そろっての旅は続けられないに違いない。

 ライラが後ろ髪をなでて、ため息をついた。


「残念ですけど、しかたないことだと思いますわ」


 なんて日なのだろう。

 わたしにしてみれば姿なきユリウスに声をかけられたあの夕方から、一度は意識を失ったとはいえ、一日しか感じられない。実際には、半年以上の時間が流れていたのだけれど。


 途方に暮れて、このまま寝てしまいたい。目が覚めたら、夢だったなんてこともあるかもしれない。そんなわけはないと、疲れきった体が教えてくれているというのに。


 コンコンッ


 不意に、背後の目抜き通りに面したドアを叩く音がした。

 ギョッとする間もなく、懐かしいドアベルが音を立てて見知らぬ男が入ってきた。

 お姉ちゃんは、よく知る相手らしい。ローワンよりも背の高い痩せぎすの青年に、抱きつかんばかりの勢いで駆け寄った。


「カル!」


「やぁ、リーナ。それから、えーっと……」


 誰だろう。

 わたしを含め、仲間たち、それから水鏡の向こうのドゥールは、お姉ちゃんがカルと呼んだ青年に敵意に近い警戒心を抱いていた。


 黒いハット帽に、黒いステッキ。身なりも黒を基調にした役人のようなかっちりとした服を、しっかり着こなしている。

 年は三十歳前後だろうか。ハット帽の短い髪には黒に混ざって、白いものもかなりあるのが、ランプの明かりの中でもわかった。片眼鏡モノクルの向こうにある、狐のような黒い目は、どこか賢そうな光を宿している。


 居心地などいいわけがないのに、彼はとぼけた笑みを浮かべて一礼する。


「はじめまして。僕はこのリュックベン市の市長を勤めさせていただいおております、カルヴィン・ワイズマン。非常に申し上げにくいのですが、先ほどから話し声が外に漏れておりまして、だいたいのことは聞かせてもらいました」


「むっ!」


 とんでもないことだ。

 いや、外にまで聞こえるほどの声で話し合っていたわたしたちの不注意もあるのだけど。

 とんでもないことなのに、隣に立つお姉ちゃんはどこかうっとりと彼を見つめている。


 戦斧の柄に手をかけたターニャなど、敵意に近い警戒心を通り超えて殺意すらにじませている。


 このカルヴィンという青年は市長というだけあってか、まるで動じる素振りを見せない。


「僭越ながら、あなた方が誰一人かけることもなく旅を続けられるようにと、提案がありまして、失礼を承知でまいったわけです」


「提案? まずは、話だけでも聞かせてもらおうか」


 なんとも大胆な若き市長は、この夜の鏡番かがみばんが人間びいきのドゥールだったことに、感謝するべきだ。

 そうでなかったら、彼は想像もできないほど、ひどい目にあっていただろう。


 最南端の港町リュックベンが、改革の港町と呼ばれるようになるまでの、長い道のりの第一歩が踏み出されたのは、間違いなく今日この日。統一歴3458年 秋の中月6日だ。


 しかし、この提案が世界に波紋を広げることになるとは、当の市長だって、夢にも思ってなかったに違いない。

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