地下にて

 いったい、どれほど滑り落ちたのだろうか。

 いつの間にか、わたしは意識を失っていた。


「むぅ」


 目覚めた時、辺り一帯は真っ暗で、何も見えなかった。それこそ、自分の指先すら見えなかった。


「みんな、いる?」


 ざらついた床に手をやり立ち上がって、声を上げる。声の反響具合からして、それほど広い空間ではなさそうだ。少なくとも、世界の中心の塔ほど広くはないはずだ。

 頭を必死に動かして、パニックに襲われないようにしないと。


「うっ、え? ここどこ?」


 生意気なアーウィンの声に、涙が出そうなほど安心してしまうなんて、不覚だ。


 次々と、仲間たちが目をさましていく声が聞こえる。


「ちょっと、誰ですの! そんなところ、触らないでください」


「あ、ライラ、わりぃ。何も見えないんだから、しかたないだろ」


 ローワンのうろたえた声に、笑い声があがる。


 笑いながら口元に手をやると、チリンチリンと腕輪が鳴った。


「そういえば……」


 ユリウスの声が聞こえない。

 小馬鹿にした笑い声が聞こえてきても、おかしくないはずなのに。


 声に出すことのできない名前を、腕輪に触れながら何度も心の中で呼ぶ。

 返事はない。どう考えても、ユリウスがこのまずい状況を作り上げたのだから、説明くらいするべきだ。


 巻きこんでしまったみんなは、状況を理解するのにも時間がかかっているようだ。


「……ん? あっ、ちょ、もしかして」


「ローワン、大きな声出さないでよ」


「わりぃ。わりぃ」


 アーウィンの文句をローワンがカラカラと笑い飛ばすと、暗闇に光が生まれた。


「むっ」


 光に目が慣れてくると、少し離れたところに立つローワンの左手の上に、握りこぶし大の火球かきゅうが浮かんでいた。

 黒い都では、四竜族は力をふるうことができないはず。なのに、ローワンは火球を生じさせているではないか。

 わたしたちの足は、自然と灯りを持つローワンのもとへと向かった。


「なんか、できそうだなぁって、気がしてよぉ。試してみたら、できた」


 得意気に笑って、ローワンは火球を頭上に放り上げる。二つ、三つと火球の数を増やしてくれた。


 全部で八つの火球が頭上高くに浮かぶ頃には、この空間の四方が赤茶けたレンガに囲まれていることがわかった。予想通り、さほど広くない。しかし、天井は暗闇に沈んで高さを推し量ることができない。

 ぐるりとあたりを見渡すと、一方の壁に何処かに通じるアーチ型の横穴があった。二人並んで歩くのがやっとといったところだろうか。

 反対側の壁には、わたしの背よりも高いところにポッカリと穴が開いている。

 アンバーのため息が聞こえてきた。


「おそらく、僕らはあのあそこから落ちてきたんだろうな」


 おそらく――ではなく、間違いなく頭上の穴から落ちてきたのだと思う。

 無傷でいることを、もっと喜ぶべきだったかもしれない。


 ライラのため息は、アンバーのものより大きく深かった。


「まずは、荷物を集めましょう」


 ほとんどの荷物は、竜王の屋敷においてきてしまった。だけど、赤茶けたレンガの床の上に散らばったパナル草などだけでも集めなくては。


 あいかわらず、ユリウスの声は聞こえない。


 ターニャとライラと一緒にパナル草を籠に集めるが、大切なものが見つからない。


「ねぇ、みんな! わたしのリボン、見なかった?」


 みんなは手を止めて、申し訳なさそうに首を横に振った。


「むぅ。……諦めるしかないね」


 どこにでもあるようなリボンだ。

 故郷のお姉ちゃんには申し訳ないけど、見つからないものに執着してもしかたない。


 トレードマークとなっていた水色のリボンの代わりに、ライラからもらった組紐で髪をまとめる。


「なんだか、落ち着いて見えるな」


 ターニャの言葉は、きっと褒め言葉だ。微妙な顔をしているけど、褒め言葉として受け止めておこう。

 諦めると言ったものの、心は簡単に諦められないようだ。


 わたしの憂鬱な気分を吹き飛ばそうとしてくれたわけではないだろうけど、ローワンが頭上の穴を見上げている二人に声を張り上げた。


「で、アンバー、ヴァン、上に行けそうか?」


 パナル草を集め終わったわたしたちも、彼らに注目する。


 アンバーが確認するようにヴァンをうかがった横顔は、いつになく厳しいものだった。

 ヴァンが軽く首を横に振ると、アンバーはため息をつきながら振り返った。


「無理だ。僕の力で、階段状にレンガを組み替えることもできないことないけど、ヴァンが風を送り込んでも出口が見つからないんだよ」


 残念がるみんなには申し訳ないけど、わたしは塔に戻りたくない。


 反対側のアーチ型の横穴を進むことになる。


「それなら、早く行きましょう。食糧も置いてきてしまったのですから」


 ライラの言うことは、もっともだ。

 わたしが持っていたパナル草以外には、アンバーがたまたま持っていた例の日記。あとは、個人が普段から持ち歩いているものしかない。


 今まで意識していなかった空腹感が、一気に襲ってくる。そういえば、夕食すら食べていなかったではないか。

 せっかく用意した料理が無駄になってしまったヴァンは、とても残念な気分だろう。そう思って、振り返ったヴァンの顔をうかがったら、どこか嬉しそうだった。


「パナル草があるってことだけが、不幸中の幸いだよ」


 嫌な予感がする。


 パナル草の効能など知らない。ただ、薬学に長けた風竜のヴァンが興奮するほどすごい薬草ということは、理解しているつもりだ。

 理解しているつもりだけど、ヴァンの嬉しそうな顔と、アンバーの不安そうな顔が、嫌な予感を抱かせるのだ。それはもう予感ではなく、確信と呼ぶべきかもしれない。


 しかし、わたしは早く空腹感を紛らわせたくてしかたなかった。みんなもそうだったと思う。

 やや興奮気味のヴァンが教えてくれたとおり、パナル草の丸みをおびた葉を一枚口に含んだ。


「よく噛むんだ。でも、飲み込んだらいけない。ある程度、活力が湧いてきたら、吐き出すんだよ」


 わたしたちはパナル草を噛んだ。アンバーは、口に含む前から嫌々という態度を崩さなかった。


 二日ほど天日干しにされたとは言え、肉厚なパナル草の葉は、完全には乾いていなかった。

 はじめは、ただ青臭い味が口の中に広がっただけ。アンバーが嫌がる理由に、首を傾げてしまったほどだ。

 ――しかし、


「うぇっ」


 真っ先にローワンが、パナル草を吐き出した。


「むぅ!」


 わたしも、すぐに口をおさえて壁際に走り出した。


 なにこれ。

 舌がヒリヒリする。痛い。吐き出しても、まだ舌がおかしい。

 隣にいたライラの目にも涙が浮かんでいる。ひどい顔だ。わたしも、負けないくらいひどい顔をしているに違いない。


「……アーウィン、水! 水っ」


 アンバーの悲鳴じみた声に応じたアーウィンが、急いで巨大な水球を作る。


 考えるよりも先に、体が動いていた。


 頭がずぶ濡れになるくらい、アーウィンの水球を飲んでも、まだ舌の感覚が麻痺してる。

 確かにヴァンが言ったとおり、活力が湧いてきたような気がする。空腹感も気にならなくなった。頭も冴えてきたし、一日中歩けそうなほど体に力がみなぎってきている。


「……ところで、ヴァンはよく平気だったよな」


 わたしたちのように水球に頭を突っ込むことができなかった火竜のローワンが、涙目でヴァンをにらんでいる。そういえば、ヴァンは嬉しそうな笑顔のままだ。もしやという考えが、頭をよぎる。


「俺はまだ半乾きのパナル草の世話にならなくても平気なだけさ」


 忘れていた。

 風竜族は四竜族でもっともマイペースであることを。

 そうでなければ、笑顔でわたしたちみんなの堪忍袋の緒を切るようなことを言うわけがない。


 ヴァン以外の六人と目があった。

 なんとしても、ヴァンにパナル草を味わってもらわなくてはならない。

 ヴァンの悲鳴が響き渡った。



 火球を掲げたローワンを先頭に、わたしたちは横穴を進む。


「ところで、ずっと気になってたんだけど。フィオ、大丈夫なのか?」


 真ん中を歩いていたわたしに、後ろのアンバーが心配そうな声で尋ねてきたけど、意味がよくわからなかった。


「大丈夫だけど。何か気になることでもあるの?」


「大丈夫ならいいんだ。その腕輪が竜王の証じゃないかって気がしてたけど、違ったみたいだ」


「む?」


 アンバーが言うには、四竜族の長たちの指輪と同じように竜王も腕輪をはめていたらしい。それは知っていたけど、ライオスから聞いた話では、幅広の黄金の腕輪だったはずだ。


「……だから、そんなすごい腕輪じゃないと思うんだけど」


「それならいいんだ。長の指輪と同じように、倒れるんじゃないかって心配でさ」


「む?」


 倒れるとは、どういうことだろうか。


「長の指輪って先代から認められてないと、はめられないだろう」


 人間たちの間でも、広く知られている話だ。長となった竜の力を増幅させるとも聞いたことがある。


「それを、親父殿は認めらていないやつがはめたらどうなるか、知りたかったからって、僕を実験台にしたんだよ」


 一枚岩のヘイデンなら、やりかねない。


「僕だって、どういうものか知ってたらはめなかったよ。親父殿もそれをわかってたから、四歳だった僕の目の前にさり気なく置いたと思うけどさ。最悪だったよ。目は回るし、頭はガンガンしてくるし、耳鳴りもひどかったし、母さんが親父殿をどやしつけなかったら、死んでたかもしれない」


 その光景が、簡単に想像できてしまうのが辛い。


「でも、その腕輪が竜王の証でなくても、何かしらの力を持っているはずだと思いますわ。はずれないようですし」


 ライラの言うとおりだ。

 そもそも、ユリウスが腕輪の正体を教えてくれればすむことだ。


 みんなは、歩きながら考えることが尽きないようだ。

 腕輪のこと。ここがどこなのかということ。どれほどの時間が経っているのかということ。なぜ、力が使えるのかということ。


 すべて、ユリウスが答えを知っているはずだ。

 わたしは、心のなかでユリウスに呼びかけ続けている。彼は、世界竜族の生き残りを探す力を貸してくれるはずだったではないか。わたしに不利益になるようなことはしないと、約束もした。ならば、この地下に落としたのだって、意味があるはずだ。


 いら立ちばかりつのる地下道の行軍は、それほど長くかからなかった。


 地下道の先には、地下水路に浮かぶ黒い小舟が待ち構えていた。

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